永年、武道・格闘技をやっている管理人・周防平民珍山でございますが、これまで「なぜそんな、痛くてキツくて、ゼニにもならないことを永年続けているんだ」という質問を、升で計って車に積んで売れるくらい受けてまいりました。
中年になった今ではそんなこともなくなりましたが、若い頃には、心無いクソのような同僚職員から、あからさまに「武道や格闘技?何それ?社会人にもなって再開?バカじゃないの?」という悪意丸出しの質問も散々されたものです。まあ、当時は私も若かったので(;´・ω・)そうした悪意ある質問をした方には、サバキの実験台になって頂き、体で分かってもらいましたが…(-_-;)。
ただ私がその質問に、武道未経験の素人さんが心底から「なるほど!」と納得するような答えを出せていなかった、ということもまた事実です。
その時々で気の利いたことを言ったつもりではあるのですが、回答後に「…なんか違うよなあ…それにうまいこと言えてないし…」と罪悪感に捉われることもしばしばございました。
そんな最近、とある筋トレの啓発本で、こんなフレーズを発見し、心に斧を打たれたような衝撃に襲われました。
「動く元気は、動くことによってしか得られない」
人間の生活は体を動かすことが基本。体を動かすには、人体唯一のエンジンである筋肉を何らかの形で刺激し、鍛えることが必要。休養や気晴らしも当然重要なのですが、それはあくまでも生活の彩やツケタシであり、決してメインにはなりえない。体を鍛えることはすなわち、動く元気を獲得する唯一にして最短の道である。
非常に腑に落ちる名言でした。
この論法でいきますと、格闘技や武道を修練し続ける理由は、こんな感じになるでしょうか。
「良質の気迫は、相手を倒す実力と自信がないと生まれない。」
ちなみに上記の言葉には源となるテキストがあります。岐阜県は士心館館長・林悦道先生の著書です。
「気迫を出すには、実際の打ち合いで相手に勝つ技術が必要です。それが相手に伝わるから、相手が引き下がるのです。」(「誰でも勝てる!実証済完全ケンカマニュアル」【林悦道著、東方出版】より抜粋)
林先生の言葉は武道・格闘技を修練する原意をまさに端的に描き出しており、万人の納得するものです。
良質の気迫は、実際に人間を害する実力なくして生まれないというのは、本当に真理だと思います。しかしそれは、チンピラやバカヤンキーの振るう暴力とは違う。日常生活とは全く違う空間の中で、きちんとした師匠に就き、きちんとした機序の中で「倒す」「殺す」ことを学ぶ。これこそがちゃんとした気迫を養成できる唯一の道といっても過言ではないでしょう。
私は今の仕事を20年少々し、並行して武道・格闘技をしてきました。
その間、実力行使の有無を問わず、様々な形の諍いやケンカらしきものを見てきましたが、その諍いの原因を見ますと、当の本人たちにとっての認識はさておき、第三者から見れば本当にちっぽけで、くだらないことばかりでした。また、そうしたレベルの低い諍いをする人間は、その人間性自体が本当にちっぽけでもありました。
そう、「相手に伝わる気迫」がないヤツ同士がいがみ合うと、すぐ目に見える諍いに発展するのです。ダメ人間同士が伝わらない気迫でキャンキャン吠え、最後には無駄で無益な諍いを起こす。ろくなもんじゃありません。
対して、一定以上のレベルで武道や格闘技を修めた人には、全てがそうだとは言いませんが、かなりの確率で「静かな気迫」がありました。それは間違いなく真に他を圧するものであり、ヘナチョコに付け入るスキを与えないものでした。
武道・格闘技で練られる気迫は社会に有益なものであり、もっと多くの研究や論文を俟ちたいところではあるのですが…とりあえずワタクシのショボい主張は、このくらいにしておきたいと思います。
中年になった今ではそんなこともなくなりましたが、若い頃には、心無いクソのような同僚職員から、あからさまに「武道や格闘技?何それ?社会人にもなって再開?バカじゃないの?」という悪意丸出しの質問も散々されたものです。まあ、当時は私も若かったので(;´・ω・)そうした悪意ある質問をした方には、サバキの実験台になって頂き、体で分かってもらいましたが…(-_-;)。
ただ私がその質問に、武道未経験の素人さんが心底から「なるほど!」と納得するような答えを出せていなかった、ということもまた事実です。
その時々で気の利いたことを言ったつもりではあるのですが、回答後に「…なんか違うよなあ…それにうまいこと言えてないし…」と罪悪感に捉われることもしばしばございました。
そんな最近、とある筋トレの啓発本で、こんなフレーズを発見し、心に斧を打たれたような衝撃に襲われました。
「動く元気は、動くことによってしか得られない」
人間の生活は体を動かすことが基本。体を動かすには、人体唯一のエンジンである筋肉を何らかの形で刺激し、鍛えることが必要。休養や気晴らしも当然重要なのですが、それはあくまでも生活の彩やツケタシであり、決してメインにはなりえない。体を鍛えることはすなわち、動く元気を獲得する唯一にして最短の道である。
非常に腑に落ちる名言でした。
この論法でいきますと、格闘技や武道を修練し続ける理由は、こんな感じになるでしょうか。
「良質の気迫は、相手を倒す実力と自信がないと生まれない。」
ちなみに上記の言葉には源となるテキストがあります。岐阜県は士心館館長・林悦道先生の著書です。
「気迫を出すには、実際の打ち合いで相手に勝つ技術が必要です。それが相手に伝わるから、相手が引き下がるのです。」(「誰でも勝てる!実証済完全ケンカマニュアル」【林悦道著、東方出版】より抜粋)
林先生の言葉は武道・格闘技を修練する原意をまさに端的に描き出しており、万人の納得するものです。
良質の気迫は、実際に人間を害する実力なくして生まれないというのは、本当に真理だと思います。しかしそれは、チンピラやバカヤンキーの振るう暴力とは違う。日常生活とは全く違う空間の中で、きちんとした師匠に就き、きちんとした機序の中で「倒す」「殺す」ことを学ぶ。これこそがちゃんとした気迫を養成できる唯一の道といっても過言ではないでしょう。
私は今の仕事を20年少々し、並行して武道・格闘技をしてきました。
その間、実力行使の有無を問わず、様々な形の諍いやケンカらしきものを見てきましたが、その諍いの原因を見ますと、当の本人たちにとっての認識はさておき、第三者から見れば本当にちっぽけで、くだらないことばかりでした。また、そうしたレベルの低い諍いをする人間は、その人間性自体が本当にちっぽけでもありました。
そう、「相手に伝わる気迫」がないヤツ同士がいがみ合うと、すぐ目に見える諍いに発展するのです。ダメ人間同士が伝わらない気迫でキャンキャン吠え、最後には無駄で無益な諍いを起こす。ろくなもんじゃありません。
対して、一定以上のレベルで武道や格闘技を修めた人には、全てがそうだとは言いませんが、かなりの確率で「静かな気迫」がありました。それは間違いなく真に他を圧するものであり、ヘナチョコに付け入るスキを与えないものでした。
武道・格闘技で練られる気迫は社会に有益なものであり、もっと多くの研究や論文を俟ちたいところではあるのですが…とりあえずワタクシのショボい主張は、このくらいにしておきたいと思います。