2014・1・12大磯町の小正月の火祭り
「大磯左義長」開催__
●約400年前から続くと言われる「左義長」は
地域によっては「どんと焼き」などとも呼ばれる。
闇夜を焦がす浜辺の炎は勇壮で、大磯に住まいを持った
島崎藤村は「左義長」を見て大変感動したとのこと。
●この祭の準備、運営を担う地元の保存会の皆様が
「左義長」のイラストが目印の清酒「大磯左義長」を
地元の酒店であの世界遺産登録の”富士山”地元の
静岡県富士宮市の富士高砂酒造(株)に依頼して実現。
富士山の伏流水を使ったすっきり味で1本1200円(720ml)。
うち200円が運営費に。
すばらしい「左義長」祭の永久への伝承を。
●大磯町観光協会にて購入した
大磯の石を活用した西行法師の名歌__
”こころなき身にもあはれは知られけり
鴫立沢の秋の夕暮れ”
西行が大磯の鴫立沢なる場所でこの歌を詠じたという_
「私の宝箱」
「想いを基に新たな発想」
「技の伝承」
「生死一如」
「キョウヨウとキョウイク」
「いろいろご縁に感謝ありがとう」
【マイアンテナノート】
●新島襄 終焉の地碑
同志社大学の前身同志社英学校開設。
病のため早くに世を去った。
早稲田大学 大隈重信 慶応義塾大学 福沢諭吉とともに
明治の三大教育家として知られる。
明治22年病に倒れ大磯百足屋旅館で静養する。
47歳で生涯を閉じられ大磯が終焉の地になりました。
妻の八重に送った最後の言葉は
「グッドバイ また会わん」
昭和15(1940年)新島襄の門下生が集い旧百足屋の
敷地内に碑を建てられました。
愛弟子 徳富蘇峰の筆による
「新嶋先生永眠50周年に際し門下生建立」
昭和15稔年10月蘇峰徳富正敬書