少し仮眠をとっていこうと思い、1時間ぐらい布団に入りましたが、うまく寝れません。
寝れませんでしたが、布団のなかで目をつぶって、ぼんやりとしていたからでしょうか、(身体も頭も休息できたのか)さわやかな気分になりました。
その瞬間、なにも思い煩(わずら)うことなく、頭もからっぽになっていたようです。
車を運転しながら、人間はなぜ睡眠をとるのだろうかと、ばかばかしいことを考えていました。
私は今まで睡眠とは、人が身体を休めるために必要不可欠なものだと思い込んでいました。
でも、もしかすると、そうではなくて、もっともっと大切なことがあるのかもなぁ、そんなことが、心にふっと浮かびました。
私がたしか、30代ぐらいのときだったでしょうか、テレビで、関口宏のワンダーゾーンという番組がありました。
この世にある不思議について、けっこう、ちゃんと取材されていて、とても刺激を受けました。そのなかで、「眠り」をテーマにした回がありました。
たしか、30年間眠ることができなかった女性が登場しました。
眠気がまるっきりおきなくて、ベッドによこになろうとすると、吐き気がおきて、寝ることができなかったのです。
27歳から、30年間一睡もできずすごします。
医者も原因がわかりません。
眠ることがなくても、体調を崩すこともありませんし、死ぬわけでもありません。
ただ、女性はインタビューに次のように答えました。
「とても孤独だった。」と。そして、「あんな孤独はもう、絶対味わいたくない。」(30年後に、突然眠れるようになります。)とも、答えています。
眠るということは、ただ、身体、脳を休ませるという役割だけではなく…
人間が、無意識のなかに存在する、ほんとうの自分というものに帰ることができるよう、神が人間(もしくは生命というもの)に与えた、たましいへの里帰りなのかもなぁ…そんなことを、ふと思いました。
私たちは普段、ほんとうの自分を生きてはいない。
そして、偽者(にせもの)の自分とまではいかなくとも、誰かに作られた自分というものを生きているのだろう。
社会的な責任、家族への責任、見栄(みえ)、他人(ひと)の目。
夢のなかで人は、ほんとうの自分に帰って、自由になっているのかもしれない。
ほんとうの自分にもどること、それは人間にとって、最大限のやすらぎになるのかもしれませんね。
奇しき縁 孤独を生きる たましいに また会えるはず いつの日かまた