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時の関守

奇跡の後の人間的すぎる営み (4)

ベルナデットをどうあつかったらよいのか、それぞれの立場や地位のある人にとっては、難しかったことは想像できます。

知事は、ベルナデットを精神病院に入れようとしますが、うまくいきません。
また、司祭はベルナデットに言います。
「聖母が話したとは思えない。
たぶんそこに鳥でもいたのを、聖母が話したと想像したのだろう。」と、
「だって鳥だったとしたら、しゃべるわけがないじゃありませんか。」
と、ベルナデットも反論します。

「なんであなたのような無知なものが、聖母に選ばれたのだね。」
と言われると、
「もし私より無知のものがいれば、聖母さまはそっちを選んだでしょう。」
と答えた。
司祭は、
「聖母はこの子に過ぎた恩寵(おんちょう)をくださったんですよ。
もっとふさわしい子がいくらでもいるんですがね。」
と言ったといいます。

しかし、
ルルドによる奇跡は起こり続け、とうとう教会より公認されます。
ルルドへの巡礼と礼拝が認められるのです。
1866年、22歳のベルナデットは
修道院に入り、35歳の若さで息を引き取るまで、そこを出ることはなかった。
カトリックという巨大宗教の、ある意味、核心となる巡礼地を出現させた聖女は、
その残りの人生のほとんどを病床ですごします。

年間500万人の巡礼者を集め、数えきれないほどの病人をすくった泉で、
ベルナデットが癒(いや)されることはありませんでした。


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