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時の関守

わたしの中のだめな自分 (2)

私はホラー映画は見ませんが、バイオハザードなどは見ました。
映画のエイリアン2は、とても好きな映画でした。
でも、映画として観るぶんには楽しいのですが、それが現実であったとしたら、誰もがそれは御免(ごめん)でしょうね。

バイオハザードの映画が、現実となったら、それも、こちらはほとんど武器らしいものも持たず、相手は鉈(なた)やナイフで武装していたら、そこは地獄そのものでしょう…。

作者はあるキリスト教の牧師にたすけをもとめます。
牧師はしぶしぶ、保護してくれるのですが、宗教家としての最低限度の行動でしかありません。
暗に厄介(やっかい)ばらいしようとします。

牧師の態度は、(宗教家としてはという意味ですが)醜悪なものですが、私がその立場にいたら、どんな行動をとっていただろうかと考えます。
牧師の態度は嫌悪するものですが、最低限、彼女を暴徒につきだすことはしませんでした。
牧師にだって家族を守る権利ぐらいあるのですから。
自分もふくめ、一瞬にして家族全員が虐殺(ぎゃくさつ)を受けるかもしれない、という恐怖に打ち勝つのは至難の技です。

「生かされて」というその書物で、私は現在の地球上で起こっていた現実を知りましたが、
それは、私の心のなかの一つの現実でもあります
私のなかでは、作者をギリギリだけれども、たすけようとした牧師のなかに、自然と思いがおよんでいました

わたしの中のダメダメな部分や、身を持ち崩しそうになった青年時代を考えると、
私にしても、かろうじて紙一重で、なにかに守られて、今ここにいるというのにすぎないのですから…。



コメント一覧

tokinosekimori-kitaiwahara
@1948219suisen さんへ
ダメというか、弱い自分、心を開くことに臆病な自分、自由になると決意したのに、自由になっていない自分への、自分からの言葉なのでしょうね。
1948219suisen
駄目というより、それが普通なのでしょうね。
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