妻が
「これは木枯(こが)らしよ。〇〇さん(ニュースキャスター)が昨日、(天気予報で)言ってたもの。」
私がいつも気になってしまうのは、妻にとって、テレビキャスターの〇〇さんが話題になるとき、隣の奥さんにこんなこと聞いたわよと、それぐらいの感じで話しているということです。😅
(とても馴れ馴れしいという意味です。)
女性にとっては、あるあるなのでしょうけど…。
妻「でも、こんな暖かい木枯らしなんて、はじめてね。」
たしかに…。
妻は最近、変形性膝(ひざ)関節症になり、もともと逆流性胃腸炎の症状もあります。
子供のころからの持病もあります。
「病気の問屋(とんや)さんね。」と言うくらいさまざまな病気を経験しています。
ただそこに救いもあります。
今のところ、命にかかわる病気ではなかった、ということです。
妻はもともと身体が弱く、私は彼女が五十歳を越えたあたりから、よくこの年まで無事生きていると、不思議な感慨を覚えています。
それには少し訳(わけ)があります。
妻が40歳ぐらいのときだったでしょうか。
知人が病気になって、みるみる症状が悪化していきました。
夫婦で、知人がなんとかたすかっていただきたいと、神様に願っていました。
そんな中、妻が私にこんなことをつげました。
「神様に、私の命を〇年分捧(ささ)げますから、〇〇さんの命をたすけてくださいとお願いしたの。」
(妻がそんな願いかたがあるのを、どこで知ったのかはわかりませんが、少し驚きました。)
そしたらね、神様が言うには
「お前の寿命はもともとない。
だから、捧げる命はないのだ」
と、いわれてがっかりしたそうです。
たすかってほしかった知人も、その後残念ながら亡くなってしまいましたが、私のなかで、その時の言葉はずっと忘れることなく残っていました。
なぜなら、私にとって、たとえどんなことをいわれようと、神様は絶対だからです。
妻が一つ年をとるごと、あらためて感慨を覚え、感謝の気持ちがわいてきます。
もともとない寿命であれば、一年、一年(神様が)足(た)してくれた寿命なのだと思っています。