「傾聴」による気づきと学びのセミナー

対人援助と自己援助を考えるセミナー、から「傾聴」による気づきと学びのセミナー、と改名いたしました。

「ふり返りシート」から、続きです。

2021年03月13日 17時18分15秒 | 傾聴セミナー
(ベイシックスコース)
 今回は、自己紹介からその後のワークまで同じグループでご一緒させていただきました。。そのお一人の方の自己紹介から私はその方の笑顔がとても素敵なうえにはつらつとされていて、さらに柔らかさも感じ話しやすい方だという印象が残りました。その後のやりとりも真摯にされていたので、この方に相談される方はきっと安心して聴いてもらえるだろうと思いました。
 その方の聴き手に私がなったときのことです。当たり前でありますが、その受けた印象とは全く違う様子で悩みを話され始めました。私は第一印象に引きずられてしまい、ふと浮かぶイメージからも、その方自身解決の糸口はきっと持っておられるはずという思い込みから、お相手のしんどさに一緒にとどまることもできずに、問いを深めてしまいました。つまり、自分自身のモードを切りかえられなかったのです。後半になるにつれ、今この方はしんどさのまっただ中におられるのだと理解する頃にはもうタイムアウトでした。相手の方の途中話されている時の表情のくもりを読み取っているにもかかわらず、すっかり自分軸にこだわった聴き手になってしまっていたのです。ちょうど堅田先生とのデモをさせていただいたあとだったにもかかわらずです。その方があえてこの場で語ってくださったことだったのに「聴いてもらえてよかった」という気持ちにはならなかったのではと本当に申し訳なく思いました。
 その堅田先生とのデモでは、自分に軸足がある聴き方と相手に軸足がある聴き方をしてくださるという貴重な経験をすることができました。1回目は、よいアドバイスをしてくださっているようなのですが、全く自分の気持ちにコミットしてきませんでした。そのうち、できない自分を責められているかのように感じ始めました。ただ、反発心も生まれてきました。アドバイスされている内容はどれも一度は考えてみたことであり、それでもしっくりいかずどうしていいか分からないので相談しているのにと。しまいには聴き手の表情や態度がとても尊大にみえてきて、早く終わってほしいとばかり思っていました。最後に終わると分かったときにはやっと解放されるうれしさから笑顔になり「ありがとうございました」と伝えました。とても疲れました。
 2回目の聴き方では私自身が自分に問いかけることが圧倒的に多くなりました。その問いかけも柔らかく、しかも問うている間もしっかりと待っていてくださりました。自分にも気づいていなかった思いが出てきます、さらに自分にいってほしい言葉や言い方もリクエストできて、その通りに言われた時に心が本当にあったかくなりました。
 最後にイメージをお伝えいただいたとき、想定を越えるイメージにびっくりしましたが、自分のことを愛おしい、大切にしたいと思えたのです。同じ悩みを伝えにもかかわらず、大きな違いを経験しました。その直後ですから、余計に先ほどの話し手の方にも、ご自身が自分に問いかけられるような働きかけをしようとしたのも事実です。しかし、本当に苦しみのまっただなかにおられる時には自分にアクセスすることさえしんどいことがあるのは当然のことです。「相手の広場に出かけていく」のではなく、まさしく「自分の広場に招こう」としてしまったのです。
 今回は、ベーシックで学ぶ基本的なことを再度立ち戻る機会となりました。日常陥りやすい自分の癖にも気づいてこれまでの相談はどうだったのだろうかと思いました。これまでの傾聴セミナーでは、自分が少しずつ積み上がってきていることに喜びを感じていたのですが、今回は本当に立ち止まってしまい、なにやってるのだろうと悲しくなりました。しかし、最後の振り返りの会で語られる参加された方々の感想を拝聴し、一歩前に進めるヒントをたくさんいただきました。ご一緒に学び合えるお仲間がいることが本当に支えになりました。練習あるのみ。自分にいい聴かせた夜でした。


(アドバンスコース)

 オンラインの講座になって、なんとなく以前のような聴き方ができていない感じがありました。前日も、アドバイスこそしないけれども、話し手の方に本当の自分にアクセスしていただけたらという自分軸の思いから、問いを重ねてしまい、苦しみにまっただなかにいる方の心情に寄り添うどころかしんどい思いをさせてしまったのではないかという気持ちになりました。一緒に「そのしんどさにとどまる」というよりも、解決志向にある自分の悪い癖が出てしまったと思いました。しかし、今日のアドバンスで、前日やここ数回のことを振り返ると、すでに無意識のうちに「アセスメント・解説・助言、指導」「カウンセリングマインド」「寄り添い」の3つのサイクルを使おうとして臨んでいるのだが、無意識がゆえ、今、どこに自分がいるのか意識する、判断し、切りかえながら話を聴くことがきちんとできでいなかったので、話し手の方も戸惑われ、結果として自分自身も終わった後すごくもやもやしてしまっていたのだと気づきました。この3つのサイクルについてはこれまでも何度も目にしていたにもかかわらず、今回、また新たな認識が加わりました。デモのセッションのなかで、2回目の聴き手である堅田先生が瞬時に切りかえて活用されている実際のモデルを見て本当にレベルの高いデモであると思いました。切りかえたりすることは本当に難しいです。でもチャレンジしたい課題です。
 一方で実際のワークでは、今回も同じグループの方から学ぶことも多かったです。そのなかで気づくことや学べることの大きさもやはりこの傾聴セミナーの魅力です。
 話し手になったとき、聴き手の方は、自分のイメージを語るときも、伝え返しや問いをするときもとても慎重にことばを選んでくださってことを感じました。実は、聴き手の方とは近い関係で、日ごろの会話は割とテンポよくやりとりしている方なので、そのモードの違いに最初はとまどいました。しかし、すぐに、すごく自分に寄り添ってくださろうとしている聴き手としての「間」が心地よくなり、感謝の気持ちに変わりました。また、そのモードに一瞬にして切りかえられている姿にも圧倒されました。その方があとで、「自分のイメージしたことが自分軸ではないのか、本当に相手の軸に立っているのか自分に問いながら伝えた」とおっしゃられました。私は、テンポ良くやりとりすることが当たり前になっていて、伝え返しや問う前に自分に問うことはしていなかったと気づくことができました。
 聴き手になったときに、話し手の方が語られることば1つ1つがとても深く、そこに話し手としての感情も表情や語り方に重ねられてくるため、ご本人の思いや感情にどこまで寄り添えながら聴けているのか、自分のイメージしたことも問いも伝えようとして自分に問うてみるのですがそれも自分軸から脱却できていないように感じ、なにか言おうとしても言葉にならず、確認することもできない感じがありました。その一方で、私のことばを待っておられるようにも感じると余計にふっと浮かんだことをそのまま口にしてしまうこともありました。私の言葉を受け取ったあとの聴き手の方の表情や視線、口元の動きなどを注視し、その様子を受け止めることに精一杯の自分がそこにいました。セッションが終わったあと何もできなかったとすごく動揺していました。しかし、あとの振り返りで「自分でもまだ認めたくない気持ちがある」と語られて、そうだったのかと実感できました。さらに「自分にアクセスできた時間になったよ」とフォローもいただきました。傾聴は決してスムーズにやりとりすることではなく、話し手も聴き手もお互いに立ち止まったり、考えていたりする時間も大事にしあえることが大切だと改めて学びました。それに、発せられることばだけでのやりとりでない、その人の表情や視線、動作の細かな変化などからも読み取ろうとする、いわゆるノンバーバルコミュニケーションから得られるものの大きさも感じることができた貴重なセッションでした。グループの方に深く感謝申し上げます。
 今回は、参加者全員による最後の振り返りがとてもよかったです。受講者の語りのレベルの高さはもちろんのこと、再度堅田先生が解説を加えてくださることでより一日の学びが深くなりました。受講するたびにその奥深さにも魅了され、これは生きている限り向き合う課題であると思い、学び合える場があることに幸せを感じます。今後ともよろしくお願いします。
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