橋下弁護士の発言を真に受けて懲戒請求したことには問題があるというエントリー(ここ←クリック)にたくさんの方にアクセスしていただき、瞬間的に「人気ブログ」となりましたが、偶然、先週、多忙で(ここ←クリック)、コメント、TBの反映・TBバックができずに失礼しました。。【追記:その3、その4、その5あり。それぞれをクリックして下さい】
反論もたくさんいただいたのですが、正直、改めて再反論しなければならないようなご意見は見あたらなかったように思います。少し整理してみましょう。
平成19年4月24日、最高裁第3小法廷は、懲戒【請求をする者は,懲戒請求を受ける対象者の利益が不当に侵害されることがないように,対象者に懲戒事由があることを事実上及び法律上裏付ける相当な根拠について調査,検討をすべき義務を負うものというべきである。そうすると,同項に基づく懲戒請求が事実上又は法律上の根拠を欠く場合において,請求者が,そのことを知りながら又は通常人であれば普通の注意を払うことによりそのことを知り得たのに,あえて懲戒を請求するなど,懲戒請求が弁護士懲戒制度の趣旨目的に照らし相当性を欠くと認められるときには,違法な懲戒請求として不法行為を構成すると解するのが相当である】としている(ここ←クリック)のは、前回述べたとおりです。
そして、本件の論点は2つ、①弁護人が被告人の言い分をそのまま述べることについて懲戒事由になりうるのか、②もし、弁護人が被告人の言い分を述べていないとすれば、懲戒事由になりうるとしても、本件では弁護人が被告人の言い分を述べていないことをうかがわせる合理的理由があるのか、です。
第1に、弁護人が被告人の言い分を公判で主張することが懲戒理由に該当するか否かが問題となるが、なるはずがない。もし、被告人の言い分について、一定の内容について、その言い分を主張できないというのならば、それは被告人の主張する権利を奪うことになる。いかなる言い分であっても主張すること自体は保障しなければ、自らを弁護することが保障されているとは言えない。そして、そうであれば、その被告人の言い分を弁護人が公判で主張することが制限されてよいはずがない。もし、「いやいや、例外がある。こういう内容の主張は被告人はしてはならない」とか、「被告人が主張するのはいいが、弁護人がそういう内容の主張をしてはならない」という法的に合理的な意見があるならば、再反論します。いまのところはないようです。
第2に、弁護人が被告人の言い分以外のことを公判で主張した場合には、懲戒事由に該当する場合もあり得るのは事実です。例えば、本人は無罪だと主張しているのに、有罪だと主張したら、懲戒になる可能性が大きいでしょう。
では、本件は、弁護人が被告人の言い分以外のことを主張している可能性が懲戒申立するほどに大きいといえるのでしょうか。本件の差戻審には、被告人も出頭しています。つまり、被告人は、自分の弁護人がいかなる主張をしているかを十分に知っているわけです。もし、自分の言い分と違う主張をしていたとしたら、自分が死刑になるかどうかが問題となっているのだから、当然、その主張は自らの言い分とは違うということを、法廷で、あるいは、法廷外で述べるでしょう。しかし、そういう話は聞かない。一部の方は、「差戻審になって初めて主張した言い分もある。自分の意見ならもっと早く主張したはずだ」というが、その程度のことで、被告人本人の目の前でなされた主張が被告人本人のものと違うなんていえるだろうか。その可能性はほとんどないと考えるのが合理的でしょう。この点についても今までのところ、的確な反論はないようです。
したがって、反論を踏まえても本件の懲戒申立に懲戒に該当する事由がないのは明らかです。
※参考:富山冤罪事件の経緯
【近年、耳を疑うような無罪判決が相次いでいる。その多くは、自白の偏重と物証の軽視が招いたものだ。その構図は、今回の事件にも共通する。
男性は3度目となる任意の聴取の際に犯行を“自白”した。取調官は母親の遺影を持たせ「死んだお母さんも泣いているぞ」と関与を認めるよう迫ったという。つくられた自白。整合しない客観的事実は無視された。さらには電話の通話履歴によるアリバイが見落とされた。捜査はずさん極まりないものだったと言わざるを得ない。
だが、この事件がなによりも司法の危機を示しているのは、その虚構が真実として通じてしまったことにある。被告の側に立つはずの弁護人。虚実を見極めるべき裁判所。いずれにも見放され、控訴する気力さえ失った男性はそのまま刑に服し、2年余り後に仮出所した。
誤認逮捕だったことが明らかにされたのは、それからさらに2年が経過した後のことだ。真犯人が発覚するという偶然がなければ、男性の名誉が回復される機会は永遠に失われていたはずだ】(iza)
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。転載、引用大歓迎です。なお、安倍辞任までの間、字数が許す限り、タイトルに安倍辞任要求を盛り込むようにしています(ここ←参照下さい)。
反論もたくさんいただいたのですが、正直、改めて再反論しなければならないようなご意見は見あたらなかったように思います。少し整理してみましょう。
平成19年4月24日、最高裁第3小法廷は、懲戒【請求をする者は,懲戒請求を受ける対象者の利益が不当に侵害されることがないように,対象者に懲戒事由があることを事実上及び法律上裏付ける相当な根拠について調査,検討をすべき義務を負うものというべきである。そうすると,同項に基づく懲戒請求が事実上又は法律上の根拠を欠く場合において,請求者が,そのことを知りながら又は通常人であれば普通の注意を払うことによりそのことを知り得たのに,あえて懲戒を請求するなど,懲戒請求が弁護士懲戒制度の趣旨目的に照らし相当性を欠くと認められるときには,違法な懲戒請求として不法行為を構成すると解するのが相当である】としている(ここ←クリック)のは、前回述べたとおりです。
そして、本件の論点は2つ、①弁護人が被告人の言い分をそのまま述べることについて懲戒事由になりうるのか、②もし、弁護人が被告人の言い分を述べていないとすれば、懲戒事由になりうるとしても、本件では弁護人が被告人の言い分を述べていないことをうかがわせる合理的理由があるのか、です。
第1に、弁護人が被告人の言い分を公判で主張することが懲戒理由に該当するか否かが問題となるが、なるはずがない。もし、被告人の言い分について、一定の内容について、その言い分を主張できないというのならば、それは被告人の主張する権利を奪うことになる。いかなる言い分であっても主張すること自体は保障しなければ、自らを弁護することが保障されているとは言えない。そして、そうであれば、その被告人の言い分を弁護人が公判で主張することが制限されてよいはずがない。もし、「いやいや、例外がある。こういう内容の主張は被告人はしてはならない」とか、「被告人が主張するのはいいが、弁護人がそういう内容の主張をしてはならない」という法的に合理的な意見があるならば、再反論します。いまのところはないようです。
第2に、弁護人が被告人の言い分以外のことを公判で主張した場合には、懲戒事由に該当する場合もあり得るのは事実です。例えば、本人は無罪だと主張しているのに、有罪だと主張したら、懲戒になる可能性が大きいでしょう。
では、本件は、弁護人が被告人の言い分以外のことを主張している可能性が懲戒申立するほどに大きいといえるのでしょうか。本件の差戻審には、被告人も出頭しています。つまり、被告人は、自分の弁護人がいかなる主張をしているかを十分に知っているわけです。もし、自分の言い分と違う主張をしていたとしたら、自分が死刑になるかどうかが問題となっているのだから、当然、その主張は自らの言い分とは違うということを、法廷で、あるいは、法廷外で述べるでしょう。しかし、そういう話は聞かない。一部の方は、「差戻審になって初めて主張した言い分もある。自分の意見ならもっと早く主張したはずだ」というが、その程度のことで、被告人本人の目の前でなされた主張が被告人本人のものと違うなんていえるだろうか。その可能性はほとんどないと考えるのが合理的でしょう。この点についても今までのところ、的確な反論はないようです。
したがって、反論を踏まえても本件の懲戒申立に懲戒に該当する事由がないのは明らかです。
※参考:富山冤罪事件の経緯
【近年、耳を疑うような無罪判決が相次いでいる。その多くは、自白の偏重と物証の軽視が招いたものだ。その構図は、今回の事件にも共通する。
男性は3度目となる任意の聴取の際に犯行を“自白”した。取調官は母親の遺影を持たせ「死んだお母さんも泣いているぞ」と関与を認めるよう迫ったという。つくられた自白。整合しない客観的事実は無視された。さらには電話の通話履歴によるアリバイが見落とされた。捜査はずさん極まりないものだったと言わざるを得ない。
だが、この事件がなによりも司法の危機を示しているのは、その虚構が真実として通じてしまったことにある。被告の側に立つはずの弁護人。虚実を見極めるべき裁判所。いずれにも見放され、控訴する気力さえ失った男性はそのまま刑に服し、2年余り後に仮出所した。
誤認逮捕だったことが明らかにされたのは、それからさらに2年が経過した後のことだ。真犯人が発覚するという偶然がなければ、男性の名誉が回復される機会は永遠に失われていたはずだ】(iza)
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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