情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

知らなきゃ判断できないじゃないか! ということで、情報流通を促進するために何ができるか考えていきましょう

海自の迎撃ミサイル試験は『成功』なのか?~真実を伝えぬメディアは単に勉強不足か。それとも…

2007-12-19 09:57:09 | 有事法制関連
 「軍事問題研究会ニュース・リリース(07年12月19日配信)」によると、海自の迎撃ミサイル試験は『成功』とはいえないという。なぜなら、SM-3の射程(百数十キロ)は、実際のノドンの高度(200キロ超)には届かないないかららしい。現に、今回もノドンの高度よりも低い位置での迎撃が発表されているという。まったく、市民を馬鹿にした発表だ。メディアはこの情報を垂れ流すだけなのか…。

■■ニュースリリースの引用開始■■
 12月18日にハワイの沖合でイージス艦「こんごう」が初めてSM-3ミサイルによる迎撃試験を行い、この試験を防衛省は「成功」と宣伝している。

 本会は従前からSM-3の射程では、北朝鮮のノドン級ミサイルの迎撃は不可能であることを指摘しているが(軍事民論354号参照)、果たして今回はノドン級ミサイルの迎撃に「成功」したわけではなさそうだ。

 今回の迎撃試験は、標的となるミサイルの飛翔高度をSM-3の射程に合わせた上で行われたものと推測される。つまり起こり得る想定に向けてSM-3の能力を向上させたわけでなく、SM-3の能力の範囲内に想定の方を近づけたわけだ。つまり実戦では全く役に立たないことを証明したに過ぎない。

 マスメディアによるこの迎撃試験の報道では、「高度100キロ以上の大気圏外で迎撃する」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071216-00000044-mai-pol)といった表現が平然とまかりとおっている。SM-3の射程距離が問題の要であることを認識していれば、「高度100キロ以上」などという表現(101キロでも1,000キロでも相当するのであるから)がいかにナンセンスであるかが理解できよう。

 NHKがかろうじて「標的のミサイルをおよそ7分後に高度百数十キロの大気圏外で撃ち落とし」(http://www3.nhk.or.jp/news/2007/12/18/d20071218000074.html)と報じており、SM-3の射程距離からすると妥当な迎撃高度と思われる。

 ただし軍事民論354号が指摘するように我が国に向けて飛翔するノドン級ミサイルのミッド・コース(SM-3が迎撃を予定している飛翔コース)の高度は200キロを超える。高度百数十キロでは射程が不足しているのである。

 太平洋戦争末期、我が国の対空砲火はその射程能力の不足ゆえにB29を捉えることができず、夜空を彩る花火の役割を果たすに過ぎなかった。国民が今回の「成功」報道に安心していると、当時と同じく夜空を彩る花火を眺める羽目になると言える。(軍事問題研究会)

■■ニュースリリースの引用終了■■

結局、できもしないことをできると言って、予算をとったうえで、しかも、敵対関係を強める方向に働かせている。

【実験に立ち会った海上幕僚監部の河野克俊防衛部長は「これで、上層と下層という多層で弾道ミサイルに対処する態勢ができた。日本の防衛の結節点だ」と実験の意義を強調した】という(朝日新聞:http://www.asahi.com/politics/update/1218/TKY200712180035.html?ref=goo)。 他方で、【こうした整備には1兆円を超す費用がかかる見通しだ】ともいう(朝日新聞)。

 できないことはできないとの前提で、両国の関係の改善を図り、無用な緊張関係を解消することの方が大切なのに…。

画像は、http://kakujoho.net/us/bmd.htmlより。



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国会議事録を独立行政委員会で検索をしてみた~4件ヒットしたが、放送関係はわずかに2件…

2007-12-19 04:22:25 | メディア(知るための手段のあり方)
 放送法などをめぐる国会審議の中で、放送行政を政府から切り離し「独立行政委員会」に委ねるという考え方がどの程度、議論されたのか、気になり、今国会の全ての議事録について、「独立行政委員会」というキーワードで検索をかけた。4件ヒットした(http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_list.cgi?SESSION=20099&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&DPAGE=1&DTOTAL=4&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&DMY=20127)。

 このうち、1件は公正取引委員会の関連で使われ、1件はネットの有害情報監視に特化した意味で使われていた。総務委員会での2件のみが放送行政との関係で述べられていた。

一つは、11月29日の委員会での小川淳也議員(民主党)の発言。小川議員は、質問の最後で、

【そして、あわせて最後に、参考までに申し上げますが、私は今回、この放送法の改正案を拝見すればするほど、国民の目から見て放送の内容の適正を期すために、やはりある種の公的な関与は必要だと思います。全くそれを取り去るということにはならないと思います。しかし一方で、政治権力の直下にある内閣の構成員たる総務大臣がこの権限を直接間接に行使する、これからの時代、私はやはりそれは不適切だと思います。
 ということの二つのバランスを考えたときに、やはりこの放送にかかわるメディア規制あるいはメディアに対するさまざまな許認可、監督指導、これはぜひ大臣の権限から切り離すべきだ、総務大臣から切り離して第三者委員会的な独立した行政委員会として新たに構築を図るべきだ、私は今回、放送法の改正案を見るにつけて、そのことを思うに至りました。
 参考までに、アメリカでは連邦通信委員会、連邦議会に対して責任を負う独立行政委員会が所管をしているんだそうです。イギリスでは通信庁、政府から独立した法人組織だそうです。フランスでは視聴覚最高評議会、政府から独立した行政委員会。ドイツでも各州、政府から独立した公法人等々の様子でありますので、大臣、ぜひこれは、中長期で結構です、こうした観点に立って御検討をお願いしたい、そのことを申し上げて、質疑を終わりたいと思います。】

と指摘した。素晴らしい指摘だが、質問の中に盛り込んでほしいところだ。


 これを受ける形で、森本哲生議員(民主党)は12月4日の委員会で次のように述べている。

【それと、次、大きな二つ目でございますが、規制監督機関の独立性についてお伺いをしていきます。
 我が国の放送の規制監督は、かつては郵政省、そして現在は総務省でございますが、大臣を長とする独任制の組織が担っているわけであります。放送行政には政治的中立性や公平性の確保が重要でありますが、そうした観点から、放送の規制監督は政府から独立した合議制の組織、例えば独立行政委員会が担うべきであるということは、これまでもたびたび指摘がなされてまいりましたし、私どもの党もそのように主張をさせていただいております。今回の改正案には総務大臣の権限強化を盛り込まれていることから、改めて規制監督機関のあり方を考える必要が高まっているのではないかというふうに思っております。
 こうした指摘に対してこれまで総務省は回答されてきたと思いますが、いま一度、現在の独任制の形態の方が適当であるとする理由を教えてください。】

これに対し、政府側の回答は、

【○増田国務大臣 お答え申し上げます。
 まず、考え方でございますが、改めて申し上げますが、放送の規制監督について、いろいろな各国の事情もあると思いますが、その大前提として、行政組織の形態がどのようになっているかというものも大きく影響してございます。我が国では議院内閣制というものを採用しておりまして、内閣の一員である各省大臣が責任を持って行政を執行する、分担管理の原則でございますが、こういうことが我が国の行政組織の原則である、こういうことでございます。
 戦後、独立行政委員会というものが幾つか置かれましたけれども、順次廃止をされて、今ほとんどなくなっているということ、そして、今申し上げましたように、議院内閣制のもとで執行している。
 こういう中で、情報通信分野ということでございますけれども、これは、非常に技術革新が激しいということがございます。
 現在の制度のもとで、放送の完全デジタル化に向けた取り組みでございますとか、さまざまな環境変化に対応するために、マスメディアの集中排除原則の適時適切の緩和ですとか、通信・放送の融合への対応、それから世界に先駆けた衛星放送の開始といったようなことで、大臣のもとでこうしたことをタイムリーに行ってきたということがございます。
 それから、今後も、例えば国際競争力の維持向上に向けて国家戦略的な対応が強く求められる分野である、こういうふうにも思いますので、今後も引き続き機動的な行政判断が必要になるのではないか、こういうことでございます。
 したがいまして、こうした経緯と、それから今後の放送・通信などの課題ということを考えますと、機動的、一体的、総合的な課題への対応を可能とする独任制の省、今は総務省でございますが、この形態で大臣が全般の責任を持って迅速に行政を執行する制度、こういうことが適当ではないか、これが今の制度をとっている理由でございます】というもの。

これって何一つ説得力のある回答にはなっていないよね。

これに対し、森本議員は次のように突っ込んだ。

【大臣、国家戦略のための独任制は、議院内閣制も触れられましたが、大事なんだと。
 ただ、主要国におきましては、放送の規制監督については、政府から一定のやはり独立性を持った組織が担うのが、これは前の小川議員の質問で各国の情勢が述べられたわけですが、それが一般的になっておるわけです。それぞれ合議制の委員会で意思決定がなされて、委員の構成にも配慮が図られて、これが世界の潮流だというふうに思うわけです。大統領制のアメリカ、そして議院内閣制の国のイギリス、ドイツであってもそのようにされておるわけです。
 大臣がお答えになった理由では、主要国の中で日本だけが異なった規制監督のやり方をとっている理由としては、いささか説得力に欠けるんじゃないかと私は思いますが、いかがですか。】

ナイス突っ込み。

ところが、増田大臣は、

【○増田国務大臣 この関係については、やはり今までの我が国の歴史的な経緯とか変遷を十分理解して考えなければいけないというふうに思っております。
 確かに、先生がお話しございましたとおり、主要国におきましてはさまざまなあり方があって、行政委員会のようなところが所管しているということが多いようでございますけれども、もちろん主要国の法制度全部網羅的に私ども把握しているわけではございませんが、主要国でそうした例が多いというふうに聞いておりますけれども、我が国自身がそうした形態を一時期さまざまな分野で内閣の形態としてとった歴史もございましたけれども、どうも責任の所在がはっきりしない等の理由によって変わってきたという歴史がございます。
 今、一般的には、そういう各省の大臣のもとで、今まさに御審議いただいております放送法で、その中にさまざまな規定を置きまして、政治的な場面からの中立性ですとか、そういったことを前提に番組準則がいろいろつくられまして、それを放送事業者が守りながら、自主自律を基本として放送をしている。こういう歴史がございますので、私は、こういった放送法の考え方、それから、それをきちんと守りつつ今まで放送が行われてきたというこの現行の制度のもとでさらに放送の中立性を確保していくということに我々努力していくべきではないか、このように考えているものでございます。】

と答え、独立行政委員会の導入を拒否した。

政府にとって都合のいいシステムを維持しますよ…ということだ。

そもそも、少なくとも、戦後間もなく発足した放送に関する独立行政委員会である「電波管理委員会」は、免許交付の決定などで指導力を発揮しており、【我が国自身がそうした形態を一時期さまざまな分野で内閣の形態としてとった歴史もございましたけれども、どうも責任の所在がはっきりしない等の理由によって変わってきたという歴史がございます】というのは、まったく虚偽の回答だといえる。

 なぜ、政府がこういうウソを平気で述べることができるのか…。知った人が伝えないからだと思う。伝えようよ。政府の不正を知った人にはその不正を伝える義務がある、そう思う。

 350円、1000万人寄付運動だって、国のやり方がおかしいと思った方はぜひ、広く伝えてほしいのです。そして、口コミだけでなく、ネット上でこの情報を伝播してほしいのです。…いやちょっと脱線してしまいました。近く、岩国市に1回目の寄付をする予定です。多くの方のご支援をいただき、感激しつつも、他方で欲が出て、もう少し、岩国を勇気づけられる金額にまで伸びてこないかなぁとも思ってしまうのです…。

 話を戻そう。米国では、集中排除原則をめぐって2年間かけて国内で6回もパブリックヒアリングが開催された。肝心なことは時間をかけてでも市民の意見を聞く。少なくともこの点では、米国の方がはるかに進んだ考え方を持ち、制度を持っている。

 アメリカのセラピストであるG・ニッキャーシーは、精神的虐待について、【人の思考・感情を支配する最も有効な方法は、自分は無力だと信じ込ませて怯えさせること。自分には何の値打ちもないと信じ込ませること。恐怖を抱き、希望も持てず、自分には何の値打ちもないと思っている人は、決して状況を変えようとしない】と説明しています(「夫・恋人からの暴力から自由になるために」G. ニッキャーシー&S. ディヴィッドソン 著)。

 日本の政治システムにおける市民1人ひとりが置かれた状況は、まさにこのようなものではないだろうか?無力感…。どうすれば、この無力感から脱却することができるのだろうか…。やはり、情報流通しかない(笑)。

 冒頭の写真は、FCCのパブリックヒアリングの様子(http://www.floridapirg.org/about-us)。









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★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
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