「試金石」という言葉、比喩的な意味では多用される。だが意味のもとになっている石についてはあまり知られていないのではないか▼石は通常、黒くて板状だ。金をこすり付けて、表面に残った色や薬品をかけて出た色で、純度が分かる。古代ローマの文学作品や江戸期の絵巻にも登場し、現在も貴金属店などで使われるそうだ。古くから各地で金を取引する人が、この表面に目を凝らしてきたのだ▼いったいどんな色が出るのだろうかと多くの人が固唾(かたず)をのんで見つめている光景が目に浮かぶ。人工多能性幹細胞(iPS細胞)を使った心臓病治療の臨床研究が始まることになった。大阪大のチームが年度内に、重症の患者にシート状の細胞の移植手術を行うのだという▼ノーベル賞につながったiPS細胞が、いよいよ人の生命を救う領域で応用に近づくということでもある。心臓病は日本人の死因第二位の病気だ。移植を待っている人も多い。期待は大きい▼子どもの場合はなおさらだ。親たちはわずかでも願いを込めながら、研究を見つめることになるだろう。ただ、細胞のがん化や未知のリスクが否定できていない。命に関わる治療で成果を急ぐと悲劇を招きかねない▼きれいな色が現れなかった時、想定外の色が出た時にどうするか。災難は人の真の試金石だという格言がある。踏みとどまる勇気も試されることになる。
Pavel Zvychaynyy - Oxana Lebedew | 2018 DPV German Ch. Pro LAT, Augsburg - Honor dance J
日本が三つの国に分かれて戦争を始めてしまった時代、若い天才物理学者は衝撃を受ける。兵器に使われているのが、彼の開発した技術だったからだ▼科学者と戦争協力、科学技術の軍事利用という重いテーマを扱ったこの物語。大人だけに向けたフィクションではない。放送中の「仮面ライダー」シリーズの最新作だ▼評判を聞いて、見ている。おなじみの変身や特撮ヒーローらしい派手な戦闘シーンもふんだんにある。その一方で、ライダーに変身する天才物理学者は悩み、科学の役割は、「過ちを繰り返さないため」にあると決意する▼現実はどうだろう。世界で軍事用ロボットやドローンなどの開発が目覚ましい。人工知能が操り、敵を殺傷する兵器の登場も近いという▼ロボット兵器開発には、国境を超えて研究者たちが反対の声を上げ始めた。京大は先日、平和を脅かす軍事研究をしない基本方針を明らかにしている。ただ軍事研究との関わり方には、制度化に苦慮する大学も多い。ロボットのように、民間用と軍用の技術の線引きが難しいという事情もあるだろう▼一月に発表された調査によると、男の子のなりたい職業一位は「学者・博士」だそうだ。特撮のヒーローが科学と軍事の問題に悩んでも不思議でない時代ということか。科学の在り方に悩むヒーローの決意もまた軽く見てはいけない時代ではないだろうか。
作詞家の阿久悠さんが「歌謡曲」について、こんな定義を試みている。「流行歌とも演歌とも違うし、Jポップとも違う。ただし、流行歌とも思えるし、演歌とも考えられるし、Jポップ的なところもパーツとしては、見つけられる」。つまり「おそろしくフトコロの広い、大きな器」なのだと(『昭和と歌謡曲と日本人』)▼その定義でいえば、歌謡曲全盛の一九七〇年代にひときわ輝いた、その歌い手は歌謡曲それ自体を体現した存在だったといえるだろう。歌手の西城秀樹さんが亡くなった。六十三歳。情熱の人の早すぎる旅立ちが寂しい▼阿久さんの言葉を借りて西城さんの歌を考えれば、「アイドルとも思えるし、流行歌とも、ロックとも考えられる」となるのだろう▼加えて、独特な絶唱やときどきかすれる声は、日本人を泣かせる演歌の憂いや哀切までも含んでいた。大きな器であった▼情熱、感激、一途(いちず)。歌声から連想する言葉を並べれば、自然と高度成長期後半の日本人の熱っぽい顔が浮かんでくる。時代の空気が歌声にマッチしていた▼<君が望むなら生命(いのち)をあげてもいい>(「情熱の嵐」)。<若いうちはやりたいことなんでもできるのさ>(「YOUNG MAN」)。今の若い人が聞けば、皮肉な笑いを浮かべるかもしれぬ。熱を失った今の日本において、それらの歌詞は成立しにくいか。それも寂しい。
中国の故事に「将を射んと欲すれば先(ま)ず馬を射よ」とはいうけれど、源平合戦の時代にあっては「陸上の騎射戦において、敵の馬を射るのは卑怯(ひきょう)とされている」と、司馬遼太郎さんが『義経』の中で書いている。義経さん、その卑怯な戦法を選択する。壇の浦の合戦である▼当時の水軍戦では、船頭や梶取(かんどり)を射ってはならぬという暗黙の了解があったそうだ。船頭は元はかき集められた水夫(かこ)や漁夫で戦闘員ではない。それを狙うのは武勇を競い合う合戦にふさわしい行為ではないと考えられていたが、司馬さんの描く義経はそれにこだわらない。「勝つためなのだ。全軍にそれを命じよ」▼義経も青ざめる、「勝つためなのだ」の卑怯な戦法か。訂正する。戦法ではなく酸鼻を極める暴力行為である。日本大学アメリカンフットボール部の悪質な反則プレーのことである▼パスを投げ終え、無防備な相手選手に背後からタックルする日大選手。映像に息をのんだ人もいるだろう▼若い命を奪う危険もあったプレーである。それをやればどうなるか。大学生らしい想像力も知性も人情も働かなかったのが悲しい▼タックルの選手を批判するのは義経の命令で船頭を狙った射手を責める話だろう。「勝つためなのだ」と幻惑し、曲がった行為をそそのかす何かが、日大同部や大学スポーツ全体に棲(す)んでいまいか。射るべきはそれである。
小学校の通学路沿いに住んでいるので朝はにぎやかである。子どもの声がいぎたなき、わが耳に心地良い。「ジャイアンをこらしめなくちゃ」「そうよ、そうよ」-。女の子たちの突拍子のない会話に何があったんだろうと笑いながら想像する。クラスにちょっと横暴な男の子でもいるのだろうか▼「友だちが待っているでしょ。早く行きなさい」。父親の叱る声に女の子が「ヤーナコッタ、ヤナコッタ」と節をつけて言い返すのもおかしい。通学路の音は楽しい▼七時四十分になると、通学路に「ジャンケンおばさん」がやって来る。学校に向かう子どもたちにジャンケンをせがむ。ジャンケンポン。勝った、負けた。そして「気をつけてね。いってらっしゃい」と声をかける▼十数年は続いていらっしゃるのではないか。「おばさん」は子どもを喜ばせながら、見守っている▼なるほど、これなら子どもを見守りつつも、いかめしく監視している雰囲気にはならぬか。失礼ながら、「おばさん」の年齢も超えていらっしゃる。しんどい日もあろうに、通学路に目を光らせる、たのもしいお人である▼新潟の小学二年生が殺された、いたましい事件のことを書かねばならぬ。容疑者の男がようやく逮捕された。下校途中の悲劇であったか。憤りの一方、子どもを見守る人の目のありがたさをあらためて思う。目を、声を増やしたい。
「犬が西向きゃ尾は東」「北に近けりゃ南に遠い」-。いずれも言うまでもないこと、あたりまえであることをたとえる古い言い回しである▼分かりきったことを臆面もなく主張する者への当て付けの言葉。まだまだある。「ニワトリは裸足(はだし)」「親父(おやじ)は俺より年が上」「雨の降る日は天気が悪い」…▼シッポの大きく曲がった犬や足下駄(あしげた)をはいたニワトリが浮かぶ。何かといえば、内閣支持率である▼安倍政権の支持率は先月の調査から1・9ポイント増の38・9%。不支持(50・3%)が上回っているが、加計学園の獣医学部新設問題などで厳しく批判されながら、下がるどころか上昇している▼一連の問題を世間が許しているわけではないことは同じ調査結果を見れば分かる。加計学園をめぐる元首相秘書官の国会答弁に対し、「納得できない」の回答は75・5%。獣医学部新設を認可した政府のやり方を不適切だったと考える人も約七割である。この問題だけで支持率が左右されるわけではないのは承知しているが、ここまで世間を騒がせても支持率増とは「雨の降る日も天気は良い」か▼景気は悪くない。世間には疑わしきことや不届きな言動に目をつぶってでも安倍政権を支持したい空気があることは理解するとしても、「政治家が怪しげなことをすれば、支持を失う」のあたりまえの判断がしにくい日本の政治の現状は寂しい。