先日のゆかた、着てみました。
たまたま、テレビでゆかたで歩こう…みたいなのをやっていまして、
浅草の町を女性二人が歩きました。
お店の紹介などもあって、なかなか楽しませていただいたのですが…。
二人のうち一人は「着物ビト」、もう一人は初心者の女性アナウンサー。
この違い…着崩れに出ました。女性アナの方は、途中から「ア…」とわかる…。
途中で「着崩れの直し方」などもやりましたけど、
実は「着崩れ」というのは、着物にはあって当たり前のものなんですね。
たとえば少し手を高く上げれば必ず脇が上がりますし、
右見たり左見たりしていれば、衿が動きますし…。
着崩れない、というのは、もちろん最初の着方、着崩れないコツ、はありますが、
ひとつには着たあとに着崩れにくい動き方をするとか、
こまめに自分でさりげなく直してしまうといかもあるわけです。
それはどんな風に…といわれても、なかなか言葉では言い表しにくいもので、
これもやっぱり場数踏むことなんですよね。
もちろん高いところに無理に手を伸ばさないとか、大股で歩かないとかはありますが、
こまごましたことは「着物を着たら自然とそうなる」という風にしてしまうことですね。
洋装というのは、周りにたくさんいますから、人の振り見て我が振りなおせ…だったり、
あぁあの動ききれいだなと思ったり…そういうことってありますね。
歩き方とか座り方とか、スカーフの直し方ひとつの動きでも優雅な人もいれば、
立っているだけなのに、もーちょっとシャキッとお立ちなさいましよ…なんて人もいます。
子供のころから、まわりがみんな洋服ですから頭の中でも応用はきくんですね。
ところが着物は、まわりにそんなにいませんし、自分もまだキャリアが浅いし、
目にする写真や動画は、ほとんどがきっちりきれいに着ているか、
着物を着慣れた人…だから、なかなか自分のものとしてイメージできないんですね。
一度自分が着物をきてあれこれやっているところを動画で撮ったり、
写真に撮ったりしてみるといいんです。
ちょっとしたしぐさのとき、袖はどんな格好で広がるのか、
首をかしげたとき、人からみたらどう見えるのか。
どこがだぶったり着崩れたりすると、人から見てどう見えるのか…。
ちょいとあれこれ写してみました、この前母親のやっていたしぐさの写真を載せましたが、
今回は着物を着て動くとこんなだよ…の写真です。
シャッターにあわせてゆーっくり動いて、20枚くらいとったものの中からです。
まずは普通の「撮るよー」「はいちーず」の写真、つまんないですよね。
これは?なにしているところに見えますか。
隣に友達がいて「でさ~こぅだったのよ」「ふ~ん」って感じですかしら。
こちらは「えーーと本日たまねぎ特売…ちっ、昨日買っちまったわよっ」
これだと「そりゃさ、アタシだってヤセたいとは思ってるわよ、でもさ…」
これはですねぇ、実はシャッター切れる寸前に、天井に黒いもの発見…
なんせ眼がわるくなったものですから、ありゃなんだろ…と眼を凝らしてみているうちに
シャッター下りました。「蛾」が一匹止まっていたのですよー。
ちょっと、アンタいつ入ったのよ…。
糊の利いた浴衣は油断すると袖が裃のようにハリます。
太っているとよけい膨らんで見えるので、こういうときは袖口を下に引いて、
両腕も内側に引いておきます。
わずかの差ですが、トップ写真と感じがちがいますでしょ。
着物というのは形がみんな同じですから、動き方も見え方もみな同じかというと
決してそうではないんですね。体型によっても袖の広がりや胸元の印象が違うし、
わずかな着方の違いや、ちょっとしたしぐさや動きで、
形が同じである分、逆に個性がわかりやすいんです。
また似合うとか似合わないとかの基準が、洋装とは違います。
着物は「Vネック」を変えることはできませんし、長袖もかえられませんしね。
つまりデザインの変化で個性を出したりあわせたりするのではなく、
同じデザインのなかで、全体の色柄と動きや表情で装うわけです。
私は着物を着たときに「色っぽくある」のではなく「艶っぽく」ありたいと思っています。
艶っぽいというのは、若いころは「せくしーさ」を優先する言葉ですが、
年をとると、そっちはどうでもいいです。
まんま「人としてのつや」がほしいと思うわけです。
えぇ本人、顔はすでにアブラのつやではありますがー。中身でねぇ…。
帯はあの「うなぎ帯」に懲りましたので、同じ無地系で、よくしまるものを…。
これ、両端に柄があるんです。せめて片方でも柄をだすにはどーするべ…で、
適当にこんな感じでになました。もう一回結べといわれても…ははは。
裏と表で表情の違う帯です。
たまたま、テレビでゆかたで歩こう…みたいなのをやっていまして、
浅草の町を女性二人が歩きました。
お店の紹介などもあって、なかなか楽しませていただいたのですが…。
二人のうち一人は「着物ビト」、もう一人は初心者の女性アナウンサー。
この違い…着崩れに出ました。女性アナの方は、途中から「ア…」とわかる…。
途中で「着崩れの直し方」などもやりましたけど、
実は「着崩れ」というのは、着物にはあって当たり前のものなんですね。
たとえば少し手を高く上げれば必ず脇が上がりますし、
右見たり左見たりしていれば、衿が動きますし…。
着崩れない、というのは、もちろん最初の着方、着崩れないコツ、はありますが、
ひとつには着たあとに着崩れにくい動き方をするとか、
こまめに自分でさりげなく直してしまうといかもあるわけです。
それはどんな風に…といわれても、なかなか言葉では言い表しにくいもので、
これもやっぱり場数踏むことなんですよね。
もちろん高いところに無理に手を伸ばさないとか、大股で歩かないとかはありますが、
こまごましたことは「着物を着たら自然とそうなる」という風にしてしまうことですね。
洋装というのは、周りにたくさんいますから、人の振り見て我が振りなおせ…だったり、
あぁあの動ききれいだなと思ったり…そういうことってありますね。
歩き方とか座り方とか、スカーフの直し方ひとつの動きでも優雅な人もいれば、
立っているだけなのに、もーちょっとシャキッとお立ちなさいましよ…なんて人もいます。
子供のころから、まわりがみんな洋服ですから頭の中でも応用はきくんですね。
ところが着物は、まわりにそんなにいませんし、自分もまだキャリアが浅いし、
目にする写真や動画は、ほとんどがきっちりきれいに着ているか、
着物を着慣れた人…だから、なかなか自分のものとしてイメージできないんですね。
一度自分が着物をきてあれこれやっているところを動画で撮ったり、
写真に撮ったりしてみるといいんです。
ちょっとしたしぐさのとき、袖はどんな格好で広がるのか、
首をかしげたとき、人からみたらどう見えるのか。
どこがだぶったり着崩れたりすると、人から見てどう見えるのか…。
ちょいとあれこれ写してみました、この前母親のやっていたしぐさの写真を載せましたが、
今回は着物を着て動くとこんなだよ…の写真です。
シャッターにあわせてゆーっくり動いて、20枚くらいとったものの中からです。
まずは普通の「撮るよー」「はいちーず」の写真、つまんないですよね。
これは?なにしているところに見えますか。
隣に友達がいて「でさ~こぅだったのよ」「ふ~ん」って感じですかしら。
こちらは「えーーと本日たまねぎ特売…ちっ、昨日買っちまったわよっ」
これだと「そりゃさ、アタシだってヤセたいとは思ってるわよ、でもさ…」
これはですねぇ、実はシャッター切れる寸前に、天井に黒いもの発見…
なんせ眼がわるくなったものですから、ありゃなんだろ…と眼を凝らしてみているうちに
シャッター下りました。「蛾」が一匹止まっていたのですよー。
ちょっと、アンタいつ入ったのよ…。
糊の利いた浴衣は油断すると袖が裃のようにハリます。
太っているとよけい膨らんで見えるので、こういうときは袖口を下に引いて、
両腕も内側に引いておきます。
わずかの差ですが、トップ写真と感じがちがいますでしょ。
着物というのは形がみんな同じですから、動き方も見え方もみな同じかというと
決してそうではないんですね。体型によっても袖の広がりや胸元の印象が違うし、
わずかな着方の違いや、ちょっとしたしぐさや動きで、
形が同じである分、逆に個性がわかりやすいんです。
また似合うとか似合わないとかの基準が、洋装とは違います。
着物は「Vネック」を変えることはできませんし、長袖もかえられませんしね。
つまりデザインの変化で個性を出したりあわせたりするのではなく、
同じデザインのなかで、全体の色柄と動きや表情で装うわけです。
私は着物を着たときに「色っぽくある」のではなく「艶っぽく」ありたいと思っています。
艶っぽいというのは、若いころは「せくしーさ」を優先する言葉ですが、
年をとると、そっちはどうでもいいです。
まんま「人としてのつや」がほしいと思うわけです。
えぇ本人、顔はすでにアブラのつやではありますがー。中身でねぇ…。
帯はあの「うなぎ帯」に懲りましたので、同じ無地系で、よくしまるものを…。
これ、両端に柄があるんです。せめて片方でも柄をだすにはどーするべ…で、
適当にこんな感じでになました。もう一回結べといわれても…ははは。
裏と表で表情の違う帯です。
着物姿がめっきり減って、比較とか習得とか
そういうこともできなくなりましたからね。
半襟何センチの世界では、
沸かせないことがほとんどなのだと思います。
だって一人ずつみんな体型もイメージも
違うんですものねぇ。
そうなんですよ、あちこち触らないのは
「触っていると思われない」というのが
正確な言い方かもしれません。
意識しなくてもちょっと引っ張ったりって
やってますもんね。
着慣れると、着崩れも同じところが同じようになる、
といいますか、それもそんなにひどくはならないですよね。
以前上前がだれーっと下がっている人をみまして、
褄先がぞうりの先にかかってる…。
踏んで転ぶんじゃないかと思いましたが、
あれは通常起こしませんしねぇ。
着慣れるということは「着崩れ」も、
その範疇に入るのだと思います。
おほめいただいて恐縮です。
下駄もそうですが、子供のころから履いていると、
大人になっても自然と足が「下駄仕様」の歩き方になる…
そういうのが一番いいんでしょうね。
半襟は何センチ出すとか、腰紐の位置はこことか、
そういうことも大切かもしれませんが、
まずは回数着てほしいと思います。
あの美人さま、またお会いしたいですー。
また誰かさんのこき下ろし大会に
なるかもしれませんけれど。
どうかなと思った色でしたが、なんとか
派手派手にはならなくてすんだみたいですね。
この半幅は薄いのですが、きゅっとよくしまって
気持ちいいです。
端に柄があるっていうのは、締め方を考えますねぇ。
貝ノ口にしたら、ぞうさんさかさまになっちゃうし…。
太ももまですそ跳ね上げて歩いている花火帰りのいなせな
おじょうさん(^_^;A付け帯の作り部分をぶんぶん振り回し
ずいぶんいさましかったです。
今は全裸とそう変わりないファッション(とも言いたくない)
ですから、着崩れても抵抗ないし気がつかない。はずかしいとも
思わないようです。ちなみにアベックでした(笑)
ここまではひどくなくても、着崩れが直せないのでなく
気がつかないんだと思います。
余談です。ちゃんと着付けてれば着崩れしない!と放言した
自称着物プロさんに、とんぼさんの今日のおはなし聞かせてやりたいです…。
「あんまりあちこちに触らない」と以前書かれていて、そうなのかぁ!っと思ったのですが、その触り方(直し方)も仕草になっていると周りの人も気にならないのではないでしょうか?
「着崩れる」というのも、着慣れているかどうかで随分違うんですよねぇ。
長い間続けられてきた着方というのは、動いて着崩れるという点も考慮されて痛んだと実感します。
その動きは着物の所作に適っているので着崩れしないのかも。
全て着る回数の多さが自然に解決して、日本人のDNAを呼び覚ましてくれるのでしょう。
とんぼさんの所作は絵になっています。
流石ですね。
この前、工房にお越し頂いた時に同席した美人さんが今日着物姿で来られました。
夏は着用する機会が少ないそうですが、矢張り茶人として立居振舞は見事でした。
着慣れた人の着姿は美しい!!
お色もとってもよくお似合いですね。
この帯、おしゃれですね。
浴衣の色とよく合って、ゾウさんが
ちらっと見える所など、本当に
いいですね~
創作帯結びもすてき!