すみません無関係画像ですが、横浜「雪」になりました。
まだ降ってるのですよー。ほんっとにさっぶいです。
チューリップもさぞビックリしていることでしょう。
さて、本題…。
毎年、今頃になるとこの話題があちこちから聞かれまして、
私は毎年「そうそう」と思ったり「いや違うでしょ」と思ったり、
「あぁそうなったのねぇ」と思ったり…自分にはまったくもう関係のないお話なのに、
浮いたり沈んだり、空気少な目の風船のような気分です。ははは…。
ついつい傍観者の立場で見ていますが、「着物の先々」と考えると、
やっぱり気になります。
私、毎年今頃になると(しかもいつも「後だし」みたいに遅れて!)
このお話しをするんですけれど、今回は礼装全体のお話しを考えてみたら
「入・卒」の着物の位置づけみたいなものが見えるかなと、そんなことを思いました。
思いっきり「長文」になると思いますので、そのつもりで…。
礼装というのは、文字通り「礼」を尽くすときの「装(よそおい)」ですね。
じゃ「礼」って何かっていうと…その行事や式典のなかで決められている動作やしぐさ、
たとえぱ神主さんが祝詞をあげるとか、新郎新婦の盃ごととか…、
決められた手順で行われるさまざまなことです。それから使われる言葉や使わない言葉、
またその儀式に使われる道具や主となる人、参加する人の服装、そういったものの全て。
「礼を尽くす」とは、そういうことを全てきちんと守る…ということですね。
もちろん、それは「カタチ」のことだけでなく「心」が伴ってこそのことです。
時代とともに、さまざまな式典や行事もいろいろと変わってきています。
たとえば結婚式ひとつとっても、神仏の前ではなく「人前式」が行われたり、
式だけはどこかでやっても披露宴はレストランなどでカジュアル、とか…。
お通夜に「全員まっくろけ」なんて、もうアタリマエになってしまいました。
そういうことを全ていいんじゃないのぉ…と流していってしまうことは、
私としてはちょっと心配だなーと思っています。いいこともたくさんありますけどね。
先日ある呉服屋さんのHPで「羽織」についての説明がありました。
羽織の歴史や、戦後の羽織の流れなどの説明があって、
さすが専門家…と思っていたのですが、終わりのほうになって
「今の時代、長くて美しい羽織が見直されている、もっと着てほしい」
みたいなことが書いてあり、そのなかに
「訪問着に羽織を着てはいけないと誰が決めたのでしょう」という一文があり、
正直なところ「ギョッ」としました。
「誰が言ったか」ではなく「どうしてそうなったか」です。
昨日今日ポンと出てきたものなら、そんなのおかしい…も議論されるかもしれませんが、
長い年月をかけて形作られてきたものには、それなりの理由があります。
呉服屋さんがこれを言うなんて、というよりそういう言い方をすることが
ちょっとショックでした。
何百年も続いてきたこと、というものの中には、笑っちゃうような行事とか、
最初から「奇祭」と呼ばれる祭事とか、或いはよその国から見たら
こんなのが礼装?と思えるようにもののオンパレードです。
それでも、かつてそれを始めた先人たちは、そのことやその衣装に深い意味を持たせ、
自分たちの思いを込めて、時間をかけて練り上げてきたわけです。
「なんで」の前に、その積み重なった「思い」を受け止めることが、
伝統やしきたりを守るということではないかと私は思っています。
着物はいろんな変遷を続けていますから、変わっていくことは当たり前のことです。
「平安時代の女性の衣装は?」というと「十二単」と答える。
間違ってはいません。でも、当時の女性でそれを着られた人はごくわずかです。
つまりおよそ江戸時代までの着物の歴史は「身分の上下」と「貧富」で、
分かれていたわけです。
着物の歴史の近年のターニングポイントは「明治維新」と「戦争」です。
昔は今では考えられない「絹を着るな」とか「華美にするな」などの「お達し」があり、
自由に好きなものを着られなかったわけです。
「白無垢」も「黒留袖」も、元は「武家」の風習として
江戸時代後期に確立されたといわれていますが、
幕府の力が弱まった後期、武家以外の裕福な階層も、これをまねしました。
それが時代がかわって、禁止令がなくなり一般にも普及したわけです。
そうやって衣装は変わってきましたが「礼を尽くす」という心は変わってはいないわけです。
さて、さきほどの「訪問着に羽織を着てはいけないと誰が言った…」のことですが、
当然「誰かが言った」のではなく、着物が着られていた世界で、
礼装の決まりごととして自然とできた流れです。
ここでは今度は「羽織」というものが「なんなのだ」になります。
結論を先に言ってしまうと、訪問着に羽織…着てもかまいませんけどね。
但し、着て歩いているのを見たら私なら「あぁ道行持ってないのねぇ」と思います。
つまり、羽織とはなんであるか、ということです。
柔らかモノに多く着る道行や、それよりはカジュアルな道中着は、
洋服で言えば「コート」です。羽織は、洋服で言えば「ブレザー」や「ジャケット」です。
おわかりでしょう?羽織は「建物の中に入っても脱がない」ものなのです。
訪問着や留袖は、洋服で言うならフォーマルスーツやドレス、男性ならタキシードなど、
それに「防寒」や「防塵」の目的で道行を着るのは、スーツの上にコートを着ている、
というわけで、建物の中や式典の会場に入ったら当然脱ぐべきものです。
羽織は「上着」にあたるもので、紋がついていても「スーツの上着」です。
だから室内でも脱がないのです。
訪問着に羽織を着ているということは、実はフォーマル・スーツの上に
コートではなくジャケットやスーツの上着を着ている、ということになります。
では、なんで「羽織は家の中では脱がないもの」なのでしょう。
これは今度は「羽織」の歴史に関わってきます。
羽織の元は戦国時代の武家の胴服である、など諸説あるのですが、
いずれにしても「武家」の衣装が元になっています。
戦国の世が終わり平穏になってきて、まず羽織は武家のいわばスーツになりました。
但し、身分の高い武士がそれなりのところに行くときは裃などの更に上の礼装を着ます。
羽織は「武士の通常の仕事用ユニフォーム」というところでしょうか。
お茶事の席で、盛んに用いられたといわれています。
この羽織というものが、まずは武士以外の富裕層にまねされるようになりました。
いつの時代もそうですが、便利なモノはひろがるのです。
ただ、あくまで出発点が「武家の礼装」ですから、例えそれ以外の人が着るとしても
やたらと着られない、つまり「ある程度の地位にあるもの」です。
「大店の主人」などは、競って着物とのおソロを着ましたが、
後年になっても「番頭は着られる手代は着られない」そういう決まりごとがありました。
更に、日本では先にあげた「身分の差」「貧富の差」ともうひとつ「男女の差」がありました。
だから女性は身分があっても羽織は着られないものだったのです。
それを打ち破ったのが「辰巳芸者」…とまぁ、この説はよくいわれていることですが、
いずれにしても、女性が堂々と羽織をワードローブに入れたのは明治になってからです。
男が、紋のついた黒羽織でどこでもOKなのは、それが男子の礼装であると、
その生い立ちから歴史の中で、先に立ち位置をきっちりと決められてきたからです。
女の羽織が正装として認められないのは、すでに女性の正装は羽織ナシできた上、
本来男のものを真似して着るようになったもの、であり、
家の中で脱がないのは、男女に関係なく「羽織は脱がないもの」で始まっているからです。
男の人が「ボクは黒紋付はつまんないから留袖のように絵羽柄を入れたい」といったら、
私、今のまま進んでいったらそういうこともありえると思います。
現に結婚式だといっても、最近の新郎は色紋付だったりしますよね。
「黒じゃみんなおんなじだし」という、イマドキ感覚で考えるからでしょう。
「黒紋付は男の正装」という意識より「ファッション感覚」の方が勝ったわけです。
昔は、結婚式では男は新郎も仲人も新郎の父親も来賓も、みんな黒紋付でした。
そういうふうに、時代によって変わっていくものではありますが、
それはまず「きちんとした流れ」を持っていて、その流れの中で
状況にあわせてかわってゆく、ということで、途中からまったく別の流れを
新しく作ってしまったら、そこで伝統だとかしきたりだとかはなくなってしまうわけです。
「変えないもの」「変えていいもの」と私はよく言いますが、
やたらとあれこれかえるのではなく、あくまで「ずっと続いている流れの中で」、
ここはこちらに流れていってもいいのではないかと、そういう意味なのです。
明日は、更に「入・卒」に黒羽織を着ること、
訪問着に羽織を着ることの「2」なんて感じでお話ししようと思います。
まだ降ってるのですよー。ほんっとにさっぶいです。
チューリップもさぞビックリしていることでしょう。
さて、本題…。
毎年、今頃になるとこの話題があちこちから聞かれまして、
私は毎年「そうそう」と思ったり「いや違うでしょ」と思ったり、
「あぁそうなったのねぇ」と思ったり…自分にはまったくもう関係のないお話なのに、
浮いたり沈んだり、空気少な目の風船のような気分です。ははは…。
ついつい傍観者の立場で見ていますが、「着物の先々」と考えると、
やっぱり気になります。
私、毎年今頃になると(しかもいつも「後だし」みたいに遅れて!)
このお話しをするんですけれど、今回は礼装全体のお話しを考えてみたら
「入・卒」の着物の位置づけみたいなものが見えるかなと、そんなことを思いました。
思いっきり「長文」になると思いますので、そのつもりで…。
礼装というのは、文字通り「礼」を尽くすときの「装(よそおい)」ですね。
じゃ「礼」って何かっていうと…その行事や式典のなかで決められている動作やしぐさ、
たとえぱ神主さんが祝詞をあげるとか、新郎新婦の盃ごととか…、
決められた手順で行われるさまざまなことです。それから使われる言葉や使わない言葉、
またその儀式に使われる道具や主となる人、参加する人の服装、そういったものの全て。
「礼を尽くす」とは、そういうことを全てきちんと守る…ということですね。
もちろん、それは「カタチ」のことだけでなく「心」が伴ってこそのことです。
時代とともに、さまざまな式典や行事もいろいろと変わってきています。
たとえば結婚式ひとつとっても、神仏の前ではなく「人前式」が行われたり、
式だけはどこかでやっても披露宴はレストランなどでカジュアル、とか…。
お通夜に「全員まっくろけ」なんて、もうアタリマエになってしまいました。
そういうことを全ていいんじゃないのぉ…と流していってしまうことは、
私としてはちょっと心配だなーと思っています。いいこともたくさんありますけどね。
先日ある呉服屋さんのHPで「羽織」についての説明がありました。
羽織の歴史や、戦後の羽織の流れなどの説明があって、
さすが専門家…と思っていたのですが、終わりのほうになって
「今の時代、長くて美しい羽織が見直されている、もっと着てほしい」
みたいなことが書いてあり、そのなかに
「訪問着に羽織を着てはいけないと誰が決めたのでしょう」という一文があり、
正直なところ「ギョッ」としました。
「誰が言ったか」ではなく「どうしてそうなったか」です。
昨日今日ポンと出てきたものなら、そんなのおかしい…も議論されるかもしれませんが、
長い年月をかけて形作られてきたものには、それなりの理由があります。
呉服屋さんがこれを言うなんて、というよりそういう言い方をすることが
ちょっとショックでした。
何百年も続いてきたこと、というものの中には、笑っちゃうような行事とか、
最初から「奇祭」と呼ばれる祭事とか、或いはよその国から見たら
こんなのが礼装?と思えるようにもののオンパレードです。
それでも、かつてそれを始めた先人たちは、そのことやその衣装に深い意味を持たせ、
自分たちの思いを込めて、時間をかけて練り上げてきたわけです。
「なんで」の前に、その積み重なった「思い」を受け止めることが、
伝統やしきたりを守るということではないかと私は思っています。
着物はいろんな変遷を続けていますから、変わっていくことは当たり前のことです。
「平安時代の女性の衣装は?」というと「十二単」と答える。
間違ってはいません。でも、当時の女性でそれを着られた人はごくわずかです。
つまりおよそ江戸時代までの着物の歴史は「身分の上下」と「貧富」で、
分かれていたわけです。
着物の歴史の近年のターニングポイントは「明治維新」と「戦争」です。
昔は今では考えられない「絹を着るな」とか「華美にするな」などの「お達し」があり、
自由に好きなものを着られなかったわけです。
「白無垢」も「黒留袖」も、元は「武家」の風習として
江戸時代後期に確立されたといわれていますが、
幕府の力が弱まった後期、武家以外の裕福な階層も、これをまねしました。
それが時代がかわって、禁止令がなくなり一般にも普及したわけです。
そうやって衣装は変わってきましたが「礼を尽くす」という心は変わってはいないわけです。
さて、さきほどの「訪問着に羽織を着てはいけないと誰が言った…」のことですが、
当然「誰かが言った」のではなく、着物が着られていた世界で、
礼装の決まりごととして自然とできた流れです。
ここでは今度は「羽織」というものが「なんなのだ」になります。
結論を先に言ってしまうと、訪問着に羽織…着てもかまいませんけどね。
但し、着て歩いているのを見たら私なら「あぁ道行持ってないのねぇ」と思います。
つまり、羽織とはなんであるか、ということです。
柔らかモノに多く着る道行や、それよりはカジュアルな道中着は、
洋服で言えば「コート」です。羽織は、洋服で言えば「ブレザー」や「ジャケット」です。
おわかりでしょう?羽織は「建物の中に入っても脱がない」ものなのです。
訪問着や留袖は、洋服で言うならフォーマルスーツやドレス、男性ならタキシードなど、
それに「防寒」や「防塵」の目的で道行を着るのは、スーツの上にコートを着ている、
というわけで、建物の中や式典の会場に入ったら当然脱ぐべきものです。
羽織は「上着」にあたるもので、紋がついていても「スーツの上着」です。
だから室内でも脱がないのです。
訪問着に羽織を着ているということは、実はフォーマル・スーツの上に
コートではなくジャケットやスーツの上着を着ている、ということになります。
では、なんで「羽織は家の中では脱がないもの」なのでしょう。
これは今度は「羽織」の歴史に関わってきます。
羽織の元は戦国時代の武家の胴服である、など諸説あるのですが、
いずれにしても「武家」の衣装が元になっています。
戦国の世が終わり平穏になってきて、まず羽織は武家のいわばスーツになりました。
但し、身分の高い武士がそれなりのところに行くときは裃などの更に上の礼装を着ます。
羽織は「武士の通常の仕事用ユニフォーム」というところでしょうか。
お茶事の席で、盛んに用いられたといわれています。
この羽織というものが、まずは武士以外の富裕層にまねされるようになりました。
いつの時代もそうですが、便利なモノはひろがるのです。
ただ、あくまで出発点が「武家の礼装」ですから、例えそれ以外の人が着るとしても
やたらと着られない、つまり「ある程度の地位にあるもの」です。
「大店の主人」などは、競って着物とのおソロを着ましたが、
後年になっても「番頭は着られる手代は着られない」そういう決まりごとがありました。
更に、日本では先にあげた「身分の差」「貧富の差」ともうひとつ「男女の差」がありました。
だから女性は身分があっても羽織は着られないものだったのです。
それを打ち破ったのが「辰巳芸者」…とまぁ、この説はよくいわれていることですが、
いずれにしても、女性が堂々と羽織をワードローブに入れたのは明治になってからです。
男が、紋のついた黒羽織でどこでもOKなのは、それが男子の礼装であると、
その生い立ちから歴史の中で、先に立ち位置をきっちりと決められてきたからです。
女の羽織が正装として認められないのは、すでに女性の正装は羽織ナシできた上、
本来男のものを真似して着るようになったもの、であり、
家の中で脱がないのは、男女に関係なく「羽織は脱がないもの」で始まっているからです。
男の人が「ボクは黒紋付はつまんないから留袖のように絵羽柄を入れたい」といったら、
私、今のまま進んでいったらそういうこともありえると思います。
現に結婚式だといっても、最近の新郎は色紋付だったりしますよね。
「黒じゃみんなおんなじだし」という、イマドキ感覚で考えるからでしょう。
「黒紋付は男の正装」という意識より「ファッション感覚」の方が勝ったわけです。
昔は、結婚式では男は新郎も仲人も新郎の父親も来賓も、みんな黒紋付でした。
そういうふうに、時代によって変わっていくものではありますが、
それはまず「きちんとした流れ」を持っていて、その流れの中で
状況にあわせてかわってゆく、ということで、途中からまったく別の流れを
新しく作ってしまったら、そこで伝統だとかしきたりだとかはなくなってしまうわけです。
「変えないもの」「変えていいもの」と私はよく言いますが、
やたらとあれこれかえるのではなく、あくまで「ずっと続いている流れの中で」、
ここはこちらに流れていってもいいのではないかと、そういう意味なのです。
明日は、更に「入・卒」に黒羽織を着ること、
訪問着に羽織を着ることの「2」なんて感じでお話ししようと思います。
お彼岸なのに寒いですね。
羽織やコートの位置づけ、とっても詳しい
説明ありがとうございます。
今度のデザイナー会は羽織とコートの種類と違い・・・でも、ちょっと用事で欠席しますが、
とんぼ様の所で勉強させて頂きました。
毎年数人ずつ着物姿がいるので、抵抗なく着て行かれることに感謝してます。
今の子は着物姿が見慣れないせいか、目立つからやめてって言う子もいるらしいです。
卒業式には一つ紋つき色無地+袋帯、入学式には一つ紋つき鮫小紋+袋帯と思っています。
卒業式には黒紋付羽織を着て“昭和”を醸し出そうかなとも思ったのですが、どうしようか迷ってる所です。しかも羽織は母の実家の紋、色無地は私の実家の紋なので。
着ちゃえば羽織の紋しか見えないし、わかる人なんていなさそうだから、知らん顔しちゃえって話もあるのですが、どう思いますか?(^_^;)
ということは、初めから羽織に紋を付けるはずなどありません。 基本的に、羽織は「街着」だったと考えるべきだと私も思います。
コレが一番痛いですねえ・・・。
着物の種類がどうとか、ふさわしいかとか出過ぎてないかとか・・・悩んだ挙句にこの評価では・・・・。
「旦那が着るなと反対する」
「周りに合わせて洋装にすれば?」
こういう世知辛いご意見が多くて、毎年ヘコみますです。
明らかに喪服着ているご父兄にも、一言言ってあげてほしいものです;;
道行が苦手なので、礼装用に紋付の無地羽織が欲しいなあ・・・とずっと思っているのですが、これまた着ている人が少なくて気がひけます。
派手になっちゃった訪問着に淡い色の紋付羽織で母の装い、ダメでしょうか?
さー、これは正しいのかどうなのか!?
ああここまで来たかと
気分はかくせませんでした。
現代の方々はルールとマナーの区別あいまいなのかも。
そんな感じがしました。
まぁ道路にまで積もったので、心配しましたが
深夜から雨に変わったので、
ほとんどのこりませんでした。
寒かったですー。
こういうことは、地方地域でも違ったりするので、
あまり原点的にいえないこともあるのですが、
まぁ一般論、ということで…のつもりです。
ほんと、ややこしいことですわ。
「着物は特別なもの」というのは、
ちょっとさびしいですよねぇ。
がんばってお召しになってください。
羽織は脱ぎませんから、下の着物と紋がちがっても
大丈夫でしょう。今は「これはお宅の紋?」なんて
たずねたり確認したりなんてことも
ないでしょうし。
女紋、という「女だけに伝わる紋」も
ありますし、これもまたややこしいことです。
男の黒紋付はともかく、羽織は街着感覚が、
いちばん収まりがいいと思います。
いろいろなことがあれこれかわってますから、
こうです、といったそばから「でした」に
なったりして…着物の世界もたいへんですね。
ほんっとに「おおきなお世話」と思うことや、
「そんな理由で」と思うことがありますね。
喪服…ありやりゃ…。
私は告別式で白ネクタイの御仁に会いました。
黒白ってだけできめるなって。
結婚式では赤いネクタイする気かな?
今日の記事にも書きましたが、
訪問着には基本的に羽織はナシです。
色紋付羽織があるなら、
下に色無地とか小紋とかで十分ですよ。