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写真は手持ちの本「カメ流」、著者は今度猿之助を襲名される「市川亀次郎」氏。
2008年の本です。
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カメ流 |
クリエーター情報なし | |
角川学芸出版
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私は特別大ファンとか、そういった立場ではないのですが(新・猿之助様ごめんなさい)、
テレビなどでの歌舞伎以外の氏を拝見していて、おもいろい方だなぁと思っておりまして…。
まぁ本の内容詳細は、ここでは書きませんが、今回「猿之助」を襲名されるにあたってのお話しも、
テレビで拝見しまして、なるほどねぇと…。
この本にも書かれていますが、先代猿之助と言う方は、あのスーパー歌舞伎を生み出した方。
私、歌舞伎の系譜については、よくわかりません。
市川猿之助については、初代猿之助は、立師(殺陣師)の息子から歌舞伎の門人となって、
今の澤瀉屋を「名門」の地位まで押し上げた苦労人…
で、この人が市川段四郎の名前をつぎ、出世したわけですが「猿之助」の名前を息子に継がせた…。
この二代目猿之助が、新しいことにチャレンジする思いの強い人で…と、このあたりは知ってました。
この二代目が、それまでの「昔からの伝統的な歌舞伎」に、新風をふきこんだというか、つむじ風を起こしたというか。
時は明治から大正にかけてのころのお話し、海外に留学して舞台芸術を学んだ人です。
帰国して、今までの歌舞伎にないものを取り入れるなどしたわけですね。
そのポリシーといいますか、革新的なものを作り出す…そういうものを受け継いで、更に新しいものを作り出したのが、
三代目、つまり今の猿之助さんです。亀次郎さんは、6月に4代目となられるわけです。
ざっと話そうと思っても、これだけややこしいので、単純オツムの私には梨園の系譜は覚え切れません。
で、この亀次郎氏は本の中で「400年前の歌舞伎は今より自由だったかもしれない」と。
そして「400年かけて洗練された部分もあるけれど、退化下部分もある。
僕はその退化した部分と闘わなければならないと思っている」と書いておられます。
執筆からから6年経って、ついに襲名を前にしての彼の話にも、変わらぬ思いがありました。
「今やっている歌舞伎の演目や演出というものは、伝統を踏襲しているものが中心」
まるまるおんなじではありませんが、セリフもかの時代の言葉、衣装や音楽も同じ…。
それは確かに「伝統」を守ることではあるけれど、江戸時代、歌舞伎と言うものは、常に当時の流行を取り入れたり、
また作り出したり、舞台装置などを考えたり…つまり、いつも新しいものを考えていた…。
それが「お客様に対する歌舞伎の心意気」とでもいうんでしょうかねぇ、そういうものだったと。
これはまぁ私が勝手にまとめたので、 正しくお話しできているかどうかは正確ではありませんが、
要するに「古いものばかりを大切にしていては、歌舞伎は進まない、残らない」と言うわけです。
確かに、江戸時代の「芝居」は、今のようなレクリエーションがない時代、
大型テレビで最高の映画を見るのと、大好きな歌手のコンサートにいくのと、
ディズニーランドでホンモノそっくりのフィギュアや3Dの中で現場を模擬体験するのと…
もうもうみんなひっくるめたような、一大エンターティンメントだったわけです。
だからこそ、歌舞伎役者は今のアイドルなんかよりずっと、性別も年齢も超えたたくさんの人たちの人気者になり、
彼らの化粧法だの、浴衣の柄だの、帯の締め方だの、頭巾の被り方だの…全てが大人気を博し、
それでお金がたくさん動いたわけです。
こういった世界の常ですが、いつまでも同じものを同じようにやっていたのでは、客は飽きてしまう。
だから衣装の色柄を変えたり、脚本を変えたり、すっぽんとか回り舞台とか、大掛かりに舞台装置を考え出したり、
早替わりをしてみたり、それはそれは、工夫を怠らずにきたんですね。
演目も、当時起こった事件や、過去の事象などを基にして、戯作者が新しい物語を書く…。
忠臣蔵や、曽根崎心中なども、実際にあった事件を基にしています。
3代目は、スーパー歌舞伎にたどり着くまで、ソウゼツな「新しいもの作り」に奔走したわけです。
歌舞伎とは違う世界の人に脚本を書いてもらうとか、昔のままの「何々でござんしょう」「~ではないかいな」
というような言葉ではなく、現代語を遣い、音楽も三味線太鼓ではなくオーケストラを使う…。
確かに賛否両論はありましょうが、見ている側とすれば、
例えば絵画にも昔ながらの日本画や大和絵もあれば現代画もあります。生け花も古典もあれば現代もあります。
歌舞伎にも、江戸時代さながらのものも、現代のものも、あっていいわけで、そのほうが楽しいです。
当の歌舞伎界の中では「異端児」といわれたり、反対されたりしても、
結局は世に受け入れられて、いまやスーパー歌舞伎のチケットは普通の歌舞伎のチケット以上に、
手に入らないそうです。
彼はこの話を「騒ぎ立つ<澤瀉>のDNA」という章で書いています。
「僕がやらねばならないことは、伝統をきちんと受け止めた上で、眼をつむってはすまされないところを
直視し、改善すること」、これは、今まさに4代目を襲名しようとする彼の、今の気持ちでもあると思います。
私はこの部分を読んでいて、着物も同じなのだ…と思いました。
着物は暮らしの中の衣服であったわけですから、日々の暮らしの中で、社会が変われば変化します。
いつも言いますが、先人が少しずつ積み重ねてきたことをシッカリ踏まえたうえで、
変えたほうがいいところはかえていく…でないと、タダの奇をてらったもの、にしかなりません。
一部には受けるかもしれませんが、新しいものでこれはいつか伝統と呼ばれるものになっていく…という
「過去の積み重ねの上に乗るべきページ」にはならないと思うのです。
この前、民族衣装のお話をしましたが、
今でも日常で、たとえ数少なくても着られているものの数は減っています。
特別な式典やお祭りの時だけ「これがわが国の民族衣装」として着られるけれど普段はダレも着ない…、
こういう民族衣装は「そこで時が止まっている」のです。
たとえ一部であっても、サりーや着物、南米の小さな国などで、今も着られているものは、
「時がずっと動いている」、つまり民族衣装が「育っている」わけです。
育っているならかわって当たり前、でも、ジャガイモの花が一ヶ月たったらきゅうりになりました…は、
ゼッタイありません。「それ」として生まれたら、原点も基本も「それ」です。
全く違う花をのりで貼り付けるような変わり方は、やっぱりムリがあります。
ある質問サイトで「5月の半ばに袷はもう遅いでしょうか。単でないとおかしいですか」
というような質問がありました。あらら、もう質問がこんな形にかわってる…。
これは「5月31日までは袷が基本」という昔ながらのことが知られていない、というより、
そのあとの「最近はもう5月でも暑いですから、半ば過ぎの暑い日などは単でもいいんじゃないでしょうか」という、
少しゆるゆるとしてきたことまでもが、もうすっ飛ばされてる???
今年の5月はいまだにストーブがいるようなあんばいですから、まだ袷でもしんどいことは少ないようですが、
毎年今頃って、日陰は心地いいけれど、日向は夏みたいに暑いですよね。
それでも「本来5月は袷だけれども」というものがきっちりベースにあって、
「でも最近は暑いから…」となるべきなのに、いきなり「単じゃないとおかしいですか」といわれたら、
ちょっと変化のスピードはやすぎないか?と思うわけです。
今まで歌舞伎を見たことがない人が、スーパー歌舞伎を見て「歌舞伎」と言うものに興味を持つ、
と言うことが往々にしてあるそうです。それは現代語のセリフであっても、オーケストラであっても、
歌舞伎の大切な基本は、きっちり踏襲しているからだと思うのです。
それが何であるかは、歌舞伎をよく知らない私が言えることではありませんが、
少なくともスーパー歌舞伎が世に出たら、誰も歌舞伎をみにいかなくなった…ということはありません。
古いものと新しいものが、向かい合わせでしっかりかみあって、
余分なところをそぎ落とし、大切な芯は守り…と育てていく、それはどんな世界でも同じだと思うのです。
襲名披露はヤマトタケルだそうです。いかれない私はDVDの発売を、今から首を長ーくして待っています。
3代目さんのは…もってないんですけどね、あたし、ほんといって3代目さんはあんまり好みじゃないもんで…。
昨夜たまたま市川亀次郎さんが出て
おられた番組を見ていまして、歌舞伎の
世界は並はずれた体力と気力が必要
なんですね。
40度の熱でも、下痢でもぎっくり腰でも
舞台に立つと聞いて驚きでした。
年金生活に入ったというのに またまた火がつき始めまして
今まで見た事が無かったスーパー歌舞伎を見ようと思ったら
キャンセル待ちになりました
とんぼさんが亀治郎さんの言葉を勝手にまとめられたと書かれていますが
そういう内容の事を話されていたと思いますよ。
だって録画したのを克明に書きとったのかなと思いましたもの
親の死に目にも会えない…なんていいますよね。
確かに、一人欠けても困るでしょうから、
がんばらねばならないのでしょうけれど、
私にはとてもできまへん。
役者さんとか俳優さんとか、タイヘンですよね。
プラチナチケットどころじゃないらしいですね。
キャンセルがありますように!
まとめ書き、あっていたと言っていただいて、
ほっとしています。
あの方、おもしろい人ですね。