写真は当時の「ニュースタイル」、このころは「束髪」のバリエーションで、名前も「○○巻」という呼び方。
別ページには、まだ「丸髷」などの写真もあります。まさに「和洋折衷」の時代だったんですね。
さて、皆様は「ツタンカーメン」…といったら、何を思い浮かべますか?…なーんて、唐突にすみません。
私はやっぱりあの「黄金のマスク」、とお棺の上に飾られていた「ヤグルマソウ」…。
実は、この本の中のたーいへん面白い記事、こちらです。
「ツタンカーメン式化粧装身法」
この説明によれば「イ」と「ハ」は「日本美人向き」だそうで…さらに「ロ」はアメリカ美人、
「ニ」と「ホ」はフランス美人でございます…と。どこがどう違うのか、ようわかりませんが…。
「ホ」なんか、アタマ怪我して包帯巻いてるような…。気のせいか表情も痛そう??
説明文は…
「これは最近全世界を風靡しつつあるツタンカーメン式流行の一部で、その化粧装身法でございます。」
何で突然ツタンカーメン…実はこの2年前、つまり大正11年に「ツタンカーメンの墓」が発見・発掘されたんですね。
この本によれば…ですが、発掘以来、過去のエジプトの華やかな文化が紹介されて、
それはヨーロッパ、アメリカに伝わり、日本へも渡来した…2年かかってますね。今ならネットで瞬時…ですが。
最初は衣装、そのあとは装身化粧全般に広がったとあります。それが「ツタンカーメン式東洋趣味」…。
そのうちの「装身具」が、上の写真というわけです。
この本には「現代の花嫁」の写真もあります。これが受け入れられたかどうかはわかりませんが、
当時のスタンダードな花嫁はおそらく「黒振袖に文金高島田」、もしくは「白無垢に綿帽子」、
それからしたら「ハイカラ」だったことでしょう。
で、説明にある「角隠しの代わりの新しい髪かざり」…がツタンカーメン風…?
なんか鉢巻のような…ティアラのような…。今の方がかえってウケたりして…?
さらに、本文の「化粧法」を見ますと「眉と唇が中心」…これは西洋と東洋の顔立ちの違いは眼と唇にあるからと。
その化粧法はといいますと「眉は眉頭をさげ全体に三日月形に細く剃りこむ。
これで眉と眼の間を広く見せ…ここからがすごい!「まぶたには従来は墨をぬりましたが…」…えっ?墨?
ひょっとしてアイラインか?えーと続きは「ツタンカーメン式では、ここに美しい紅をさし、
眉と眼の間を明らかに晴々しく見せます」…日本初のアイシャドウですかね。
唇は…「以前は紅を唇の中央に大きくさして、唇を小さく見せましたが、今度は唇全体にわたり広くさして
自然に見せ、薄くさして上品に美しく見せます」
だいたい想像はつくと思いますが、要するにアイシャドウ、アイライン、ルージュなど、
今に近いお化粧が始まったというわけですね。ちなみにアイシャドーの起源は確かにエジプト。
オシャレではなく、魔よけや眼病予防であったそうな。日本でも太古より眼の周りに朱をさしましたがあくまで魔よけ…。
以前、お化粧のことについて書いたことがありますが、日本の化粧は江戸時代まで「白、赤、黒」の三色。
照明が薄暗かった昔は、顔がくっきり目立つよう白塗りをし、目鼻立ちをはっきりさせるために眉を引き、紅を差す…。
これに既婚者になると、眉はなくなり「鉄漿(おはぐろ」がつきます。
眉を剃る、あるいは抜くのを「引き眉」といい、三日月形に眉を墨で描いたり、また公家のように
元の眉より上に薄く楕円の眉を入れました。「殿上眉」といいます。江戸時代では庶民もすることがありました。
まぁ実際には、夜も遅くまで化粧してシゴトして、というのは遊郭、花町のヒトでした。
文明開化で、照明なども格段に明るくなって、白塗りは衰退して行ったのでしょう。
今でも「薄明かりの中で際立つ化粧」は、芸者さん、舞妓さん、歌舞伎の役者さんなどに残っていますね。
特にアイメイクの特徴は、まぶたの目じりに近いほうに紅をさしました。
舞妓さんは、唇まで白く塗って、まだ若葉マークのコは下唇の真ん中にチョンと紅をさし、
1年ほど過ぎると上にもさします。できるだけ「おちょぼ口」が、日本での「美人の条件」だったんですね。
文明開化で、照明も明るくなり、自然な色のおしろいを使うようになったら、
目じりの紅や、真ん中だけの口紅は、ちょっと違和感あったでしょう。
実際にアイシャドウなとが使われ始めたのは、昭和に入ってからですが、
このツタンカーメン式は、そういう時期に新しい「オシャレ」として受け入れられたのでしょう。
ツタンカーメンが日本女性の化粧法を変えた…なんてね。
日本はこうして明治維新によって、本当にいろんなことがかわってきたわけですが、
さらにこのあと「戦争」があり、それでまた服装も化粧も大きく「変化」しました。
そのときそのとき、只中にいるヒトにとっては「新しいもの、新しいこと」ですが、
50年100年たつと、それが文化だの流行だのと語り継がれるだけのものになるのですね。
一時期おおはやりした「ルーズソックス」も、当時の女学生には「最先端のファッション」、
今では「もう廃れたファッション」、もしも江戸時代のヒトが見たら「だらしない脚胖…」だはは。
若い頃は毛たぼを入れて結ってもらった
事もありますが、今ではどこの美容室でも
してくれるとは限らないでしょうね。
流行り廃れも時代の流れなんですね。
束髪って、ステキですよね。
今はパーマでウェーブ浸けるのが当たり前だし、
カットが主流ですからねぇ。
きっと写真持ってって「こんなの」といっても
無理かもしれませんねぇ。
いろんなものが出ては消え…してきたんですね。