とまぁ、毎度のことながら「どこだっけ」状態。
母のすでに遺品ともいうべき「袖口用レース」、一組残しておいたはずなのに…。
どっかにしまってあるよねぇ…と、ここまで考えて…あれっなんかに使った記憶が…
ストック分の片袖のレース部分だけをカットして何かに使ったわ…幅が広いレースだから、
お人形用の下着だったか、パンツだったか…ということは、出てきたとしても「片方しかないやん」…。
で、まぁあらたにストック用にと探したら…今「袖口だけ」のレース、ほとんど売ってないんですねぇ。
柄なんてどうでもいいようなものですが、やっぱりこだわって、あんまり細かい花だとジミ…とか、
そんな感じで「選んで」買ってたのに、今は選ぶほどアリマセン。
とりあえず見つけたので、1組購入…送料入れて700円越す…昔300円くらいだったのに。
こちら「あおい 正直問屋」さんからの借り物画像。
私は更年期過ぎてからの「異様な暑がり」ですが、母は若いころからの「暑がり」でした。
その母が、どうしても夏場きものを着るというときにこのレース袖口の半襦袢でした。
私が高校生くらいのときは、母もようやく絽の着物も持つようになりましたが、
あとがたいへんやし…と、結局、母が絽を着ていた記憶がほとんどありません。
夏場はレース袖つきだけですむものしか着ない…だったのでしょう。
ただ、昔の人ですから「もしも必要になったとき」のために、白い絽の「替え袖」はちゃんとあって、
昔はマジックテープなんてありませんでしたから、スナップでとめるように作ってありましたっけ。
かくいう私は、嫁入りのときに「夏は暑いから着ないし、いいよー」と、替え袖を作らず来てしまった…。
年齢的にこれからは、嫌だと言っても夏場着なければならないことも(喪服など特に)ありますから、
一応半衿つきレース袖半じゅばんもありますが、絽の替え袖…作っとかなきゃなぁ…ですでに数年です。
昔ながらの…でいうと、このレース袖口・さらし半じゅばん…は、
「うそつき」よりさらにカジュアルなものですから、本来は、透けて見える絽や紗など、
ちょっといいものには、それだけでは着ない…が原則です。
肌じゅばんも着るのが原則…って言ったら何のために筒袖つけてるのよ…ですが、
母の言うことにゃ…袖の中にこのレース袖が付いていると、
腕にじゅばんの袖がペタッとつかなくて風通しがえぇねん、と。
なるほど、レース部分は木綿で多少ハリがありますから、風も通るのですね。
余談ですが…夏場扇子を使うとき、確かに汗をかいた顔や首あたりをパタパタもすずしいですが、
空気の流れのないところでは、手首の下に扇子をあてて、袖の中にパタパタすると涼しいんですよ。
要するに昔は「普段着は、洗えるさらしで作った、レース袖のうそつきという簡略なものを着る」だけで、
夏の工夫、だったわけです。だからあくまで絽の着物のためには「絽の替え袖」をさらにつける…。
いつもくる呉服屋の奥さんは「レース袖だけってのは、せめて麻までにしてぇ」と言います。
つまり「透けない素材」ですね。でもねぇ…確実に「暑さが増している現代」です。
礼装はちゃんとしたいですが、絽でもお遊び着、ランク一つ下の紗、くらいでも、
ばあいによって、替え袖がついてなくてもいいんじゃないかと思っています。
だいたい絽の着物は透けますから、袖は絽でも、胴は木綿なら、外から見たらわかりますもんね。
でも、それよりもなにを重視したか、実は「見慣れた眼」から見ると、
ゆかた以外は着物の袖の中に、もう一枚袖(じゅばんの)がないと、あれっ、なんかヘン…という気がします。
だから「中はごまかしてますが、私は気を遣っていますよ、ちゃんと」というアピールであれば、
見る方も容認する…というような「暗黙の了解」ではなかったかと思っています。
でも、いつもいうように「変わっていくもの・こと」もあります。
たとえばそのおでかけが、ちょっと目上の人と会う…とか、高級レストランに行く、とか、
そういうときは「エチケット・おしゃれ」の両方の意味で「袖あり」がいいとは思います。
でも、自分のなかで「一人お遊び」「ラクなおつきあい」だから、と判断するならいいと思うのです。
大事なことは「基本を知っている」ということで、昔なら「透ける着物なのに、レースじゅばんだけなんて」と
そう思われることが多かったかもですが、今の時代は「まぁ暑いしねぇ」と思ってくれる人もいる…。
ただ「知らない人」は「あれでいいんだ」と思ってしまう、そこがあやういわけです。
基本を知っていれば「あぁほんとはこうだけど、今の時代はこうでもしかたないよねぇ」と理解できます。
いつもいいますが「かえるには、かえるなりの理由の積み重ねがあり、
それによって順当な変化が起きていくことが大事」…です。
いいわ、いいわで好き勝手に着ることは、いずれ「なんでもあり」になります。
この記事を書いたのは、
昨日の本「きものを纏う美」のなかに、ご自身が「レース袖口の半じゅばんを
よくお召しになることが、書かれていたのを思い出したからです。
一年中着る…とのこと。再読しました。
「節子さま」は、ずっとヨーロッパでお暮らしです。当然気候も違うし、生活習慣も違います。
お住まいは有名な「グラン・シャレ」、スイスのロシニエールという小さな村にある、
築250年、スイスで一番古い木造建築の豪邸です。見学はできませんが観光マップには出ています。
また、ご本人はご主人の作品や、現代の芸術家のために「パルテュス財団」をおつくりですので、
あちこちおでかけになるわけで…。
本には「ヨーロッパでは『レースのおしゃれ』が歴史的伝統的にあって、
(レース袖口は)優雅な雰囲気を醸し出す役目を果たしています」とあります。
確かに「レース編み」は、ヨーロッパの誇る素晴らしい手芸です。
日本では、明治以降の新しい文化で、しかもこの袖口用は木綿、さらにはレースと言っても
この袖口のレースは、実際編まれたものではなく、ミシンで「刺繍」のように作ったもの。
だから、どうしても普段着だの、カジュアルだのと見るわけです。
それが、ヨーロッパでは、袖口からチラリと見えるレースもようが「いいですねぇ」になるわけで。
異文化交流、という言葉があります。
着物はそれを上手にとりいれてきたもの、のはずです。
特に戦後は、素材にも化繊ができたり、ポンチョやコートなど、
それまでの和装にはなかったようなものも考え出されたり…。
でも、ちゃんといろいろ伝わることがうすーーくなってしまったために、へんなところであれこれ途切れました。
おかげで、へんに頑なだったり、やたらルーズになったり。
レースの袖口半じゅばん、というのも、「夏の」「ごく普段着の」と限定されていたりする…
この酷暑の日本で、です。すでに…そんな暑苦しい限定はなーしよ、と、
実行なさっておられる方もいらっしゃると思います。
大事なことは最初に書いた「エチケットとおしゃれ」、その心意気だと思います。
礼装は自分のためのおしゃれ、よりも「相手に対する礼儀」を優先する着物です。
失礼のないように、礼を尽くして…と思ったら、当然暑くても絽の長じゅばんですね。
それ以外は、自分で臨機応変に考える…昨日の節子さまの文の中、
「多くの方が一般的概念の美ではなく、自己の感性を磨くことに努め、常に新たな美を生み出して
きものを纏っていただけたらと願っています。」
これだと、つくづく思うのです。
本日のおまけ画像。当時は余裕のない暮らし、母が私のために縫ったこの白いワンピは、
袖口レースを二枚使って作ったもの…。父の字で「一歳二か月」とあります。よちよち歩きのころですね。
今じゃ袖二枚つなげたって、胴にまわりゃしない…。
もう一枚、白が大好きだった母は、夏の暑さのなかは洋服…で、こんな服を自分で縫って着てました。
覚えています。白地のピケ。お気に入りでしたねぇ。
お母さまの夏のワンピース、今でも着られそうです。
私は夏の正絹のきものって、持ってないんです。喪服以外は必要になってから買っても間に合うし…なんて思ってたら、いまだに必要なしのド庶民です_(^^;)ゞ
また、庶民は汗かいたら自分で洗濯したいですから…なので、小千谷が1枚ある他はあまり透けないしじらと綿麻ばかりで、いきおいレース袖の半襦袢の出番が多くなります。(2枚ある夏長襦袢も麻と化繊〔爽竹〕なので洗えますが)
だって襦袢袖1枚でも暑さが違いますもんねぇ…
「ド・ローラ・節子」さん、私も好きです。とにかくずっときものを着続けてきた方ですから、実際身体で体験して得た知識は説得力ありますね。
ご紹介の本は知りませんでしたが、ぜひ探して読んでみたいです。
発想すごいですね。
お母様は着物でもお洋服でも全身ピシッと
決めておられて本当におしゃれですね。
私も、20歳のころ、ピケの真っ白のスーツを
これは買ったのですが…初めて着たとき、
喫茶店でコーラのコップが突然割れましてね。
みごとにだんだらもようになりました。
母は白が好きで、私にも着せましたが、
子供に白って…たいへんなんすよ。
夏の着物は着るのに「勇気と決心」がいりますー。
ときーくにこの10年は太ってよけい暑いので、
なんとかして「着ないですます方向」…。
実際に毎日着物で暮らしている方の言葉は、
説得力がありますね。
もののない時代でしたから、
母はいろんなものから、いろんなものを…
作ってくれました。
父のワイシャツや、祖父の足袋まで作った人ですから。
おしゃれはやりくりしてでも、絶対忘れない人でした。
今もあるかな?と思ったんですが、なかなか売ってないみたいですし、レースも通り一遍ですね。
洋服地とかのボーダーレースの生地で余った部分を他で使えそうなものとかないかなあとか、物色したりしています。
古いものだと肌襦袢でも袖口レースが付いたものがあります。
夏の普段着だとレース袖だけでもいいということを知ってから、夏に浴衣を普段に着るにしてもレース付きの肌襦袢でおしゃれしたりしてたのかなあと思ったりします。
半襦袢でレース袖でいいと思うと、なんとなく夏に着るのも気軽になります。
絽の替え袖は、昨年秋口に麻の絽の襦袢用反物を安く買いましたので、これで作ろうと思ってます。
裾よけも作っておいて、残りは半襟にでも…と全く手は動いてないんですが。
袖口から扇子、やります。
人目がなかったら、「身八ツ口から扇子」も…背中にも風を送るとかなり汗が引きます。
今まで幅広レース(高い!)やカフェカーテン用の布(笑)を買って自作してましたが、
厚地だったり、細身に作ってしまって着にくかったりなかなか上手くいきませんでした。
それが両袖700円で出来上がりが売ってるなんて!!
知らないということはオソロシイ・・・
近所の庶民的な呉服屋さんでは、箱に入って
売っていたのに…。だんだんなくなりますね、いろいろ。
肌襦袢のレース袖も、今でも探すとありますが、
あれこれ着分けることも、今はないのでしょうね。
私も絽のハンパがあるのですが、同じく手付けずです。
夏というだけで、あっぱっぱを作ろう…と、
そっちに気がいってしまう私です。
着物って、胴体が帯で締められてるとか、
全身おおわれているとか、そういう先入観で
「暑い」と思われますが、実は風が通るものであり、
日差しをすべてさえぎってくれるものなのですよね。
母の小引出しには、この袖口レースのストックとか、
半衿のストックとか、いろんなものが入ってました。
私も自分のものと、母のものであらためて
買う必要がなかったのですが、今になって探したら、
ない~でした。
これはちゃんと脇の部分のアキも、端ミシンで
始末してあって、ほんとにそのままつけられます。
便利ですよ。一番安いので600円くらいです。