写真は、表紙をスキャンしたのですが、カバーずれてるし、ヘリが擦れて破れてるし…スミマセン。
毎度口にするたびに、舌を噛みそうになるお名前で…苦労したあげく、
私の中では「クロ・ド・節子さま」と、勝手に決めております「節子・クロソフスカ・ド・ローラ」さま。
今、東京都美術館で6月22日まで開催中の「バルテュス展」、そのバルテュス氏の奥様。
まぁ有名な方ですから、今更説明もいらないと思いますが…。
着物に限らず、ですが、よく「○○さん風メイク」とか「○○君風カット」とか「○○風ファッション」とか…
そんな風に、有名人のメイクや髪型をまねたり、ファッションの傾向をまねたりって、ありますね。
私の若いころは「聖子ちゃんカット」なんてのがありました。
絵画でも「模写は大切」というくらいですから、誰かステキな人のまねをすることは、
スタートとして悪いことではないと思いますが、ただ丸々まねをして、そこから動かないのは、
どうかなぁ…と、私は思っています。
まね、は「真似」「真似る」、「真(まこと)に似せる」ということで、まねる、まねぶ、で
「学ぶ」はここからきている、と言われます。
つまり「まねっこ」から始まって、進化することが、ほんとにそれを自分のものにする…
そういうことだと思うのです。そりゃ難しいことですが…。
いくらファンであっても、その人そのものになれるわけではありません。
その人のモノの選び方や、それの使い方、もっというならその人の生き方、考え方に共感し、
好ましく思う…そこから、学びとるものや、新たに気が付くものがある…。
別に、タレントさんについてもそうでなければなんて、硬いことは申しません。
はい、私も結構ミーハーですから、カオがいいというだけで好きな俳優さんはいますからして…。
ともかく、私は、この「クロ・ド節子」さんのことを知ってから、いいなあといろんなことで思ったわけです。
なにしろセレブな方ですし、その人生も、私のような「へーへーぼんぼん」な人生とは、
わけが違います。身にまとうもの、積み上げてきたもの、磨きをかけてきたものは、
到底「世界が違うこと」で、まねなんかできるもんじゃありません。
それでも、この方の書いた本を読み、写真を拝見すると「おごりのない生き方」「感じ方の深さ」というものに、
心惹かれるわけです。私もこうありたい、と思うことも多いのです。
元々が恵まれておられますから、狭い家で、この着物をしまうにはどこをどう詰めたらよかろ…
なんていう暮らしをしている私では、到底まねっこしたくとも…ムリムリ。
でも、着物の繰り回しや工夫、和のものを大切にするお話などを読むと、あぁそうそうそうですぅと、
頷くことが多いのです。
バルテュス氏が、着物を着ることを望まれたことで、海外でずっと着物暮らしをなさっています。
この本のま「まえがき」の中に、こんな文章があります。
「手取り早く急いで物事が処理される時代に手のかかることは貴重な存在だと思います・
今の着付けの在り方は美術館の陳列棚に並んでいるお人形のようです。
でもこれでは生活できません。自然のしぐさや、仕事をしなければならない身体の動きで、
それに伴った着物の皺、そこにむしろ絵画的な美しさが生まれます。
多くの方が一般的概念の美ではなく、自己の感性を磨くことに努め、常に新たな美を生み出して
きものを纏っていただけたらと願っています。」
本当にそうだと思うのです。着物はやたらしきたりに縛られているようなことが言われますが、
ゼッタイというほどの縛りは、礼装に多く、それはまた洋装でも変わらないことだと思います。
自由に着られる範囲で、何を選び、どう着るか、たとえば「教室でそう習ったから」、
それはそれでいいと思いますが「習ったけれどこれは私にあっているか」、
それを考えることが抜けると、そこで止まってしまいます。
いろいろ考えたけど、ほかのことも試したけど、私はやっぱりこれがいい…なら、
それでいいと思います。
「それに伴った着物の皺」、着物はたっぷりした衣服です。
皺までいかずとも、着物を着て動くとあちこちにドレープができます。柔らか物などは特に…。
デブってくると、どこもかしこもパンパンで…(涙)、皺なんぞ付けたくてもつかない…
というほどでもありませんが、体に合ったものを着易いように着て、
少しのドレープも、「重さ」でできる皺も、見苦しくないように着られたらいいな、と思っています。
「節子・クロソフスカ・ド・ローラ」さんの著書はたくさんあります。
この「きものを纏う美」は、特に好きな一冊です。
セレブなればこそのお話もありますが、着物の魅力だけでなく、
手仕事をたくさんなさって、帯板などを手作りされたりもしています。
お金があるとかないとか、日本に住んでるとか外国にいるとか、
そういうことを飛び越えて「きものをこんな風に感じながら着るって、素敵だなぁ」と思えるのです。
あぁ本日時間切れ、また「クロ・ド・節子」さんのお話を、いつか書きたいと思っています。
きものを纏う美 | |
クリエーター情報なし | |
扶桑社 |
私のも擦りきれてます。立場は違えど、自ら工夫すること、手をかけることなどしみじみ頷いてしまう内容が沢山ありますね!
裕福であっても、お手入れなど、外国での着物暮らしはさぞ大変なことと想像します。
割烹着をしていたり、自転車に乗る時はもんぺを
穿いたり、畑へ行く時は地下足袋だったりで、今の
ような感じとは違いましたね。
写真撮影ような着付けは見た目は綺麗ですが
動きづらいですよね。
こういう着物の本がある事、知りませんでした。
着物関連の本を探していて、この方の本に出会い、素敵な方だなぁと思いました。(実は、恥ずかしながら、つい最近まで「バルテュス」の奥様だとは、知りませんでした。)この方の仰る事って、なんだか心にすとんっと入ってくる気がします。
昨日偶然、NHKの浴衣の番組で着付けの仕方だったのですが、ほんとうに陳列棚にいるような感じにするための着付けでした。
浴衣でこんな着方じゃなきゃダメと思ったら、着物を着てみようという気もなくなるんじゃないかと気になります。
第2回でしたが、多分全部で8回くらいの番組だろうと思いますが。
見た方があれば感想を聞きたいような…来週火曜には再放送あるようですが。
動いてきれいに見えるような着方ができるといいなあと思います。
私も勝手に「節子さま」とお呼びして、著書も何冊か持っております。
クラクラするようなセレブ生活にため息が出ますが、その豊かな暮らしの中で手をかけ、時間をかけながらの暮らしぶりには、拝読しながらワクワクするものがありました。
大切なものを手間暇かけて守り繋ぐことは、経済的な豊かさの有無にかかわらず、大切なことだと思います。
また「節子さま」のお召し物が、それはそれは素敵で、まさに「日本の美」そのものですね。
数日続いた猛暑の後、ここ数日は肌寒くて上着が必要な気温デス。
こんな日は着物・・・「節子さま」の優雅な着物には及びませんが、働く着物もまた心地よく寒さから守ってくれます。
もっと着物が日常的になると良いなあ・・・日本人が着物を着て、なぜ視線が痛いのか・・・
さっそく読んでみたいと思いますー楽しみです。
ほんとに「そうそう」ということ、「なるほど」ということ
たくさんありますね。
日本にも、時にはお戻りのようですから、
いろいろまとめて頼んで…もおありかもですが、
やっぱり「ちょっとそこの呉服屋さんまで」が
できないということはねた異変でしょうね。
そうでしたよね。ぐさぐさのシワシワ。
裾からげて掃除したり、引張で汚れ隠したり…。
普段着物って、それだったですね。
この方、こまめなので、いろいろ手作りされたりしています。
楽しい本ですよ。
元々が、お嬢様らしいですから、
いいものをお召しだったのでしょうけれど、
長くずっと着ていらっしゃる方の言葉は、
説得力ありますね。
いろいろ出しておられますよ。
NHKは、以前「紬」のことでも「なにこれ」と、
首をかしげるような放送がありました。
元々「着物」というものについて、この節子さんのように
実績のある方をよんで、きちんと企画する…
というところがないようです。
要するに「イマドキ喜ばれそうな基本」みたいな?
見る方が選択眼がないのでは…というような、
きめの細かい製作姿勢ではない、と、思っています。
自分だけではそこから進むことのできない人に、
一番の「お人形さん部分だけ」を教えて
どうするのかと思います。