やんちゃ姫さんだそうで、どうなることかと心配だった由。
とりあえず親はグッタリ、子供は元気…で終わったようです。
スナップが送られてきましたので、お許しいただいてアップ。
小さい子でも、着物を着るところってなんか素敵ですね。
お父様がこの着物をとても気に入ってくださったそうで、選んだ私もほっとしました。
当日は、どうしても草履を嫌がり、一騒動だったらしいのですが、とにかく無事写真にはおさまったとか。
出来上がったら見せていただけるとのことで、楽しみです。
お被布も着たところがこちら。あれこれおもちゃなどで気を引いて「楽しく楽しく」…
大変ですよね。まだまだオシャレよりお遊びでしょうから。頭にはカーラー巻いてます。
これからおめかしですね。
ところで…この当日の夜のメールで「お被布にシミがついてしまった」という連絡がありました。
着物は東レシルックですが、お被布は正絹ちりめんで、薄く中綿も入っています。
プロに任せた方がいいから、と、本番までにシミ抜きをすることになりました。
そのシミというのが「シャボン玉」だというのです。
つまり、写真を撮るときにまあ気を引くと言いますか、自然な笑顔なんかを撮るとか、
スタジオによっては、親子できちんと椅子に座ったりなどのいわゆる記念写真のほかに、
スナップ写真のように遊んでいるところとか、そういう写真を撮るところもあるとか。
今回は、ただご機嫌をとる…感じで使われたようですが、それがついてシミになったというわけです。
とりあえず、呉服屋さんに聞いたところ、すぐにとったほうがいいということで、
急ぎお預かりになったのですが、呉服屋さんも「考えてほしいわねぇ」と言ってました。
最近は貸衣装や、すべて化繊という場合も多いでしょうから、あまり気にしないのかもしれませんが、
正絹ちりめんでは、ヘタに自分でやったら縮んだり、輪ジミが残ったりしますから。
シャボン玉の液、私が子供の頃は母に石鹸削ってもらったり、台所の液体洗剤ができてからは
それをもらったりして作ったものですが、今は「シャボン玉液」を専用に瓶入りで売っています。
中身は当然洗剤と同じ「界面活性剤」ですが、シャボン玉専用液には、しっかり膨らんで、
すぐに割れないように「粘着性」を持たせるものが入っていたり、最近は色のついたシャボン玉とか、
アレルギーを考えて、抗菌や消毒効果のある木酢や竹酢の成分が入っていたりいろいろです。
やたらと素人がとろうとして、かえってシミをひどくしたりなんてこともあるかもしれません。
それでなくても「洗剤系」のシミはとろうとして「輪ジミ、水ジミ」になったりします。
プロに任せた方がいいですね。それと、スタジオ経営の方も、
そういうことも考えてくださるといいなと思いました。
昨日は風邪気味で、一日ぐしゅぐしゅしていました。朝方の肌寒さにちと油断していまして、
朝、目が覚めたらすでに頭痛に鼻水…でした。
さすが季節の変わり目、日も早く暮れるようになりましたしね。
しっかり毛布を出して冬支度に入ります。皆様もお気を付けください。
祖母の着物に黒の羽織が複数枚あって、これどうしようと思ってましたが、そういうことだったんですね。
黒い羽織の歴史がわかってよかったです。
礼装の歴史は、どうしても身分、富裕…と言うことが主体になります。
かつての日本では、生活水準は低かったですから、
一般庶民、農民などは、礼装などそろえることはなかったわけです。
ある程度の資産のある人たちの間で、礼装の歴史が作られ、
それが少しずつ「シモジモ」のものにも広がっていったのですね。
「羽織」というものの成り立ちになるわけですが、
元々は武士の普段着、つまり「ハウスウェア」として、自宅で来ていたもの、胴服が始まりと言われています。
今のように細かく決まりごとはなく、袖があったりなかったり、
丈も色柄も自由でした。それを戦場で甲冑の上から着るようになったのが
「陣羽織」と呼ばれるものです。羽織なのに袖、ありませんよね。
その後時代が落ち着いて、武士の服装をあれこれきめるようになり、
将軍に会える身分の人は裃長袴、とか、儀式のあれこれのときは「素襖」とか…。
そのなかでお目見え以下(将軍には直接会えない身分)の御家人の、
いわば通勤着、ユニフォーム?、それが紋付羽織袴、となったわけです。
これが庶民の目に留まり、いわゆる着物と羽織のセット、
今でいうところのアンサンブルが、富裕層のファッションとして
広まっていきました。
ただ、元々が武家の服装から出たもの、身分の上下だけでなく
男尊女卑もあった時代でしたから。女性は羽織は着てはいけませんでした。
やがて黒の紋付に羽織、仙台平の袴、のセットが、男性の礼装として定着したわけです。
なので「改まった感じを出す」のではなく、礼装としては「それ」なのです。
最近の男性用紋付セットは、成人式からしてキラキラしていたり、
いろんな色柄が使われていますが、あれは実際にはNGです。
まぁ女性が華やかな振袖を着るのに、オトコはみんなまっくろけ…では、
バランスがわるかろうと、あれこれ考えだされてああなっているのでしょうけれど、
本来、礼装として着るなら「黒紋付き」です。
子供の場合は「熨斗目」、ただ子供なので袖が長くて、
柄があったりします。
近代に入って、黒紋付きでも背中に鯉の滝登りとか鷹に富士山とか、
勇壮な柄がつけられるようになりました。それも親の思い、でしょうね。
それに仙台平の袴ですね。
女性が羽織を着るようになったのは、江戸末期と言われています。
男性と違って、普段のオシャレ着として広まったわけです。
そのため、男性の礼装は「羽織・袴」、女性の礼装は「羽織ナシ」という流れになりました。
今でも留袖や訪問着には、羽織は着ませんね。
こちらで女性の黒い羽織について書いてています。
http://blog.goo.ne.jp/tombo624/e/22d036f0c6d0e3c375e0b1a7f506c43a
よろしかったらご覧ください。
3歳は着流しに兵児帯に袖なし羽織、或いは洋装
5歳で羽織袴
これでよろしいかと思います。
熨斗目は元々「長袴の下」に着るもので、縞か格子でしたが、今はいろんな柄があります。
小さいこの「黒い着物」って、りりしくてかわいいもです。
楽しみですね。
なので、男性が袴を着る場合は改まった場合なので、袴羽織がいるのですね。
間違いました。
大変よくわかりました。
3歳は着流しに兵児帯に袖なし羽織、或いは洋装
5歳で羽織袴ということでいいのでしょうか。
男性の場合は、羽織で改まった感じを出すことになると理解しました。
なので、男性が袴を着る場合は改まった場合なので、袴がいるのですね。
着物の礼装という感覚が、なかなかわかりにくいですので、また勉強したいと思いました。
とんぼさんのブログもよく読みます、またよろしくお願いいたします。有難うございました。
おっしゃる通り、5歳で「着袴の儀」ですから、
本来は羽織袴ではないわけですが、
最近の風潮ではそこまでするところは限られます。
武家の服装では「熨斗目に袖なし羽織」。
武家の風習ですから「陣羽織」もありです。
熨斗目はお宮参りの掛け着を使いますが、
今は「サイズがどうかねぇ」なのです。
本来七五三は「数え年」で行うものですが、
今は満年齢ですから、体も大きくなっていたりしますから。
実際には着流しに兵児帯でいいのですが、
「時代の流れ」で、熨斗目に袖なし羽織は、あまり見られません。
ちゃんと紋つき羽織袴で、というのは、もしかすると貸衣装屋さんの思惑…?かもですね。
「きちんとしたかっこう」となれば、洋装なら3歳でも
かわいい蝶ネクタイつけて半ズボンのスーツ…になりますよね。
着物でのスーツにあたるものと考えると、
羽織袴になってしまうわけです。
元々神様に対しての、お礼とお祈りのための衣装ですから、
それなりに…と考えることになりますね。
それと「礼装」という意味で、袴には羽織、です。
サイズがなんとかなれば、お宮参りの時の着物を使い、
兵児帯に袖なし羽織、でバッチリです。
今の子供たちは、生まれたときから洋装ですから、
晴れ着として初めて袖の長い、足をスッポリ包み込む、
ついでに履きなれない草履…という和装は、
小さいほど大変ではないかな…と言うのも、
今の時代の考慮点、ということになりますでしょうか。
男の子の場合は、紋付羽織袴ということですが、5歳で着袴と聞いたので、5歳になって袴、3歳の場合は袴でなくてもいいのかと思っていました。
それと、袴の場合は羽織も着ないといけないのでしょうか?
おっしゃるとおり、3歳で着物は大変ですし、洋装でもいいですね。
コメントありがとうございます。
七五三のお祝いについては、元々の様々な祝い事が
形を変えて今に至っています。
かつては乳幼児の死亡率が高かったですから、とにかく何かにつけ
「育ってくれてよかった、これからも元気で」と、お祝い事をしました。
また長い年月の間に、公家文化と武家文化で違いができたり、
逆に融合したり…それが今の七五三として伝わっているわけです。
今でも地方によって、男の子も3歳を祝うところもあります。
だいたい関西圏は、男の子も3歳を祝うということが多いようです。
3歳のお祝いは「髪置の儀」という、髪を伸ばし始める儀式でした。
赤ちゃんが生まれたときの髪を胎毛といいますが、
かつてはこれを一度剃って育て始めるのが決まりだったそうです。
髪置は「この世に生まれてからの髪」を伸ばすという区切りです。
白い絹糸の束を頭に乗せたり、髪と一緒に結んだりして、
白髪を表して長寿を願う…など、いろいろな形で祝われました。
男女の別はなく「赤ちゃんがここまで育ってくれた」という御祝いと、
この先の長寿を願う行事ですから、男の子はやらない、というのは、
決定事項ではありません。
衣装として、ですが、3歳という年齢だと、例えば12月1月生まれなら、
すでに3歳になって月日が経っていますが、10月生まれだと、
やっと3歳になったばかりです。
乳幼児のころは数か月の違いでも、体格的な差とか、知能的な面での差が出てきます。
元々は数え年でやったものですから、それよりはましですが、
小さい子に慣れない衣装を着けさせるのは負担がかかるということもありますね。
女の子は、振袖に帯でなくても兵児帯に被布…と、簡略化できますが、
男の子の紋付羽織袴は、どこまで行ってもそのまんまですから、
小さいほど大変だと思います。
元々は自宅で祝い、地元の氏神様にお参りしたわけですが、
最近は有名な神社に行くなど、電車や車に乗ったり、
けっこうな距離を歩いたりしますね。
場合によっては、それからお祝いの席を設けて食事…なんて言うこともあります。
なので男の子の3歳は、スーツっぽい洋装のほうが、いいのではないかと思います。
子供にかかわる行事は、元々の由来が中国にかかわるものが多かったりしますが、
元の話とまったく違っているものもあったりします。
いずれにしても、親が子供の健康や長寿、富裕などを願うもの。
ひな祭り、端午の節句など、ちゃんと形として残して行きたいものと思いますね。
七五三、男の子の場合は、三歳、五歳とどういうものを着るのが、行事の趣旨に合っているのでしょうか?
男の子の場合は、五歳で袴を着るのが一番大事で、三歳の場合は特にきまりはないのでしょうかね?
写真屋、貸衣装屋も、最近は商売優先で、とんでもないガラのものを平気で置いていますね。ランドセルも同様で、蛍光の色のものを平気で売っています。蛍光ピンクというのでしょうか。
ああいう商売に負けないためにも、行事のしきたり、昔の着物を勉強したいと思うようになりました。
コメントありがとうございます。
お返事遅れてすみません。
お褒めいただき、ありがとうございます。
最近の着物は、どうしても洋装感覚なのでしょうか。
小さい子は体の大きさに見合った、
すっきりしたものがいいと思います。
撮影裏話を後で聞きましたが、とにかく大人はグッタリ
子供は元気元気だったと。
小道具が山ほどあって、あれやこれやで遊ばせつつ…
おっしゃる通り「自然」を目指して、だったそうです。
何十枚も撮った中から、ほんの数枚が
えらばれるのでしょうねぇ。
親御さん、スタッフさんお疲れ様…ですね。
お嬢ちゃんの 愛らしさが一段と 引き立つようです。
私も 孫の写真撮りに付き合いましたが 大変ですよ。
スタジオのスタッフさんの 自然な雰囲気を引き出す努力 頭がさがりましたよ。
でも 着物をよごされちゃぁ ねぇ。
お嫁さんが「いらない」というお話、
たまに耳にします。ちょっとさみしいですね。
この友人の場合は、幸いにもあちらの御両親からして
ぜったい着物!といってくださるそうです。
これからまだまだ楽しみです。
孫が居ないので忘れていました。
義姉が、「金紗で作ろうと思ったら嫁に着ないと断られた」と言ってました。
ピンと来なくて????
三歳の着物の事だったのですね。
今は着物着なくなったからと寂しそうでした。
可愛いのにね。
こちらこそ、すっかりご無沙汰です。
小さい子は体の大きさもまちまちてすし、
特に男の子は最近は5歳しかしないことが
多いようですね。
3歳でも羽織はかま…というのは、ちとたいへんでしょうから、
着流しに被布…というのが、今様に、ということで、
定番になってきているのではないでしょうか。
それにしても、まるで成人式に旗もってさわぐような輩と
同じような羽織はかまが出されているのを見ると、
ちょっと悲しくなります。
工房では最近、初めて被布を三つ詣りの着物と一緒に染めました。
工房では定番の兎踊りの図柄で。
寸法等分からない事ばかりでしたが。
ついでにお母様の帯も兎踊りで。
実は男の子なので本来は陣羽織にすべき所、お婆様が被布の方が可愛いという事から。
調べると男の子用の被布も販売されています。
知らない事だらけでした。