阿波踊りや西馬音内、風の盆…なんて書いていましたら、
全部行ったことがあるわけじゃないのに、なんだか懐かしい気がしまして…。
阿波踊りのときは、母の友人の里帰りに誘われての旅でした。
トップ写真は「栗林公園」の中、モンのすごいピーカンで、
暑いわまぶしいわ、近くのおみやげ物店でこれを買ったという…。
ゆかたでも着てりゃまだマシですが、この下はこんなカッコ…およよ。
いえちゃんとショートパンツはいてるんですよ。当時はホットパンツと申しました。
これは「金毘羅さん」、隣はまだまだ暑さにも元気だった母です。
母の友人のご実家が徳島の少し田舎にあって「いいから行こうよ」と誘われました。
アチラはウチの車で交通費を浮かせたい、こちらは宿代浮かせたい…なんて言ったら
ミもフタもありませんが、そのへんは気楽にお互い「そうだよね」という話になりました。
友人は大阪で身内と落ち合い、みんなでわいわい楽しくフェリーで四国に渡り
「甲子園」「栗林公園」「金毘羅さん」「祖谷のつり橋」「大歩危小歩危」…
思えばゼータクで楽しい旅でしたねぇ。
友人のご実家は大家族、初対面の私たちにみんなして「ようおいでたなぁ」と
満面の笑みで迎えてくださいました。
確かその夜に踊りを見に行ったと思うのですが、とにかくそのへん「阿波踊り」一色です。
明るいうちは、そのあたりの空き地で子供もヤットサーヤットサーと練習。
夜になると「どこから出てくるのか」と思うほどのヒトが揃いの浴衣のあの姿で…。
テレビに映るような大きな会場ではありませんから、目の前で踊ってると、
ついついこっちも…。でもねぇ長時間「バンザイ」の姿勢で踊るのって疲れますよぉ。
さて、思い出話に一人酔いしれるのはこのへんにして。
昨日「よさこいの衣装は斬新」と書きましたが、
まだ歴史が浅いゆえの着物らしからぬ「今風・イマドキ」なわけです。
では例えばの話、この後100年200年と、あのよさこいが続いていったら…。
そのころの日常的なファッションがどうかわっているかは、
私なんぞには想像もつきませんが、そのころになっても、
「よさこいファッション」として、今のあの着物もどきがベースとして残るのかもです。
「積み重ね」って、そういうことですよね。
私が一度は見たいお祭り、昨日書いた「おわら風の盆」「西馬音内盆踊り」、
そしてもうひとつあります「熊本は山鹿・灯篭祭り」です。
初めてそれを知ったたのを覚えてるんですよ、まだ結婚前、
テレビの「水戸黄門」で山鹿を舞台にしたお話しをやったのです。
いったいいつのことだったかと、こうなると調べないと気がすまない…。
なんたって長寿番組ですから、検索すればいくらでも出てきます。
やっと見つけました。幸いにもそのときのゲスト出演者を覚えていたんです。
あの山鹿の灯篭を被っていたのは、元宝塚の「上月晃」さん。
なんと昭和50年でした。わ~~私ってヘンなとこだけ記憶力いい~~。
というわけで、私はドラマのなかで、あの灯篭つくりと
それを被って踊るところを見たのでした。35年前です。
ただ、実を言うと、元々「かぶるもの」ではないものを、
アタマのテッペンに乗せるので、とてもヘンな感じがしたのです。
もちろん現在でも続いていますので写真はこちら。
動画があるのですが、こちらが「千人灯篭」、千個の灯篭が動くのは圧巻です。
この踊りを踊るのが「よへほ節」、面白い名前ですね。
明治のものだそうで、実は「踊り」そのものは、昭和に入ってからのものだそうです。
それでも「灯篭」の方の歴史が古いため、それを奉納する儀式は何百年…。
それをアタマに載せて踊る、ということで、やはり「ゆかた」ですね。
これはずっと変わらないでいてほしいと思います。
でもやっぱアタマの上に灯篭って、なんかフシギ…。
この「山鹿灯篭」ですが、こんな重たいものをアタマにのせるなんて…と
つい思ってしまいますが、実は紙と糊だけしか使われていません。木も釘もナシ。
かなり前に、この山鹿灯篭師のドキュメンタリーがありました。
灯篭は、このアタマに乗せている形のものはごく標準のもの。
実は「建造物」を模したものを作るのがプロ。これも全部和紙です。
毎年コンクールが行われているそうです。
日本ってすごいなぁと、こういうのを見ると思うわけです。
そして「古い」というだけで、なんでもかんでも「今風に」としてしまわないことって、
ステキだよね、と思うのです。
もっと掘り下げていうならば…ですが、この山鹿の灯篭に使われる和紙、
中には八女で漉かれた専用の和紙にこだわる職人さんも多いとか。
和紙の材料は「こうぞ、みつまた、がんぴ」ですが「こうぞ」なんかほとんど「輸入物」。
とれないわけじゃなくて、これを栽培するとか、採集するとかの量が激減したので、
国内産は高騰したためです。
でも「みつまた」は、お札に使われるため需要が「保障」されているのと同じ、
だからまだ国内でも作られているのです。
お祭りにはゆかた、ですが、そのゆかたもたとえば阿波踊りにしてもなんにしても、
「群舞」となれば、それなりにおソロの衣装が多量に必要になります。
だから化繊が使われる…。それはそれで経済的負担を思えば、
必要なことだとは思いますが、それを見に行くヒトのゆかたの木綿は、これまた「輸入」。
お祭りの縁日で売れる焼きそばの元の粉も輸入、ちょびっと入ってる豚肉も輸入…。
日本はどうなっていくんでしょ…。
お祭りの写真や画像をみていたら、余計なことまで考えてしまった私です。
全部行ったことがあるわけじゃないのに、なんだか懐かしい気がしまして…。
阿波踊りのときは、母の友人の里帰りに誘われての旅でした。
トップ写真は「栗林公園」の中、モンのすごいピーカンで、
暑いわまぶしいわ、近くのおみやげ物店でこれを買ったという…。
ゆかたでも着てりゃまだマシですが、この下はこんなカッコ…およよ。
いえちゃんとショートパンツはいてるんですよ。当時はホットパンツと申しました。
これは「金毘羅さん」、隣はまだまだ暑さにも元気だった母です。
母の友人のご実家が徳島の少し田舎にあって「いいから行こうよ」と誘われました。
アチラはウチの車で交通費を浮かせたい、こちらは宿代浮かせたい…なんて言ったら
ミもフタもありませんが、そのへんは気楽にお互い「そうだよね」という話になりました。
友人は大阪で身内と落ち合い、みんなでわいわい楽しくフェリーで四国に渡り
「甲子園」「栗林公園」「金毘羅さん」「祖谷のつり橋」「大歩危小歩危」…
思えばゼータクで楽しい旅でしたねぇ。
友人のご実家は大家族、初対面の私たちにみんなして「ようおいでたなぁ」と
満面の笑みで迎えてくださいました。
確かその夜に踊りを見に行ったと思うのですが、とにかくそのへん「阿波踊り」一色です。
明るいうちは、そのあたりの空き地で子供もヤットサーヤットサーと練習。
夜になると「どこから出てくるのか」と思うほどのヒトが揃いの浴衣のあの姿で…。
テレビに映るような大きな会場ではありませんから、目の前で踊ってると、
ついついこっちも…。でもねぇ長時間「バンザイ」の姿勢で踊るのって疲れますよぉ。
さて、思い出話に一人酔いしれるのはこのへんにして。
昨日「よさこいの衣装は斬新」と書きましたが、
まだ歴史が浅いゆえの着物らしからぬ「今風・イマドキ」なわけです。
では例えばの話、この後100年200年と、あのよさこいが続いていったら…。
そのころの日常的なファッションがどうかわっているかは、
私なんぞには想像もつきませんが、そのころになっても、
「よさこいファッション」として、今のあの着物もどきがベースとして残るのかもです。
「積み重ね」って、そういうことですよね。
私が一度は見たいお祭り、昨日書いた「おわら風の盆」「西馬音内盆踊り」、
そしてもうひとつあります「熊本は山鹿・灯篭祭り」です。
初めてそれを知ったたのを覚えてるんですよ、まだ結婚前、
テレビの「水戸黄門」で山鹿を舞台にしたお話しをやったのです。
いったいいつのことだったかと、こうなると調べないと気がすまない…。
なんたって長寿番組ですから、検索すればいくらでも出てきます。
やっと見つけました。幸いにもそのときのゲスト出演者を覚えていたんです。
あの山鹿の灯篭を被っていたのは、元宝塚の「上月晃」さん。
なんと昭和50年でした。わ~~私ってヘンなとこだけ記憶力いい~~。
というわけで、私はドラマのなかで、あの灯篭つくりと
それを被って踊るところを見たのでした。35年前です。
ただ、実を言うと、元々「かぶるもの」ではないものを、
アタマのテッペンに乗せるので、とてもヘンな感じがしたのです。
もちろん現在でも続いていますので写真はこちら。
動画があるのですが、こちらが「千人灯篭」、千個の灯篭が動くのは圧巻です。
この踊りを踊るのが「よへほ節」、面白い名前ですね。
明治のものだそうで、実は「踊り」そのものは、昭和に入ってからのものだそうです。
それでも「灯篭」の方の歴史が古いため、それを奉納する儀式は何百年…。
それをアタマに載せて踊る、ということで、やはり「ゆかた」ですね。
これはずっと変わらないでいてほしいと思います。
でもやっぱアタマの上に灯篭って、なんかフシギ…。
この「山鹿灯篭」ですが、こんな重たいものをアタマにのせるなんて…と
つい思ってしまいますが、実は紙と糊だけしか使われていません。木も釘もナシ。
かなり前に、この山鹿灯篭師のドキュメンタリーがありました。
灯篭は、このアタマに乗せている形のものはごく標準のもの。
実は「建造物」を模したものを作るのがプロ。これも全部和紙です。
毎年コンクールが行われているそうです。
日本ってすごいなぁと、こういうのを見ると思うわけです。
そして「古い」というだけで、なんでもかんでも「今風に」としてしまわないことって、
ステキだよね、と思うのです。
もっと掘り下げていうならば…ですが、この山鹿の灯篭に使われる和紙、
中には八女で漉かれた専用の和紙にこだわる職人さんも多いとか。
和紙の材料は「こうぞ、みつまた、がんぴ」ですが「こうぞ」なんかほとんど「輸入物」。
とれないわけじゃなくて、これを栽培するとか、採集するとかの量が激減したので、
国内産は高騰したためです。
でも「みつまた」は、お札に使われるため需要が「保障」されているのと同じ、
だからまだ国内でも作られているのです。
お祭りにはゆかた、ですが、そのゆかたもたとえば阿波踊りにしてもなんにしても、
「群舞」となれば、それなりにおソロの衣装が多量に必要になります。
だから化繊が使われる…。それはそれで経済的負担を思えば、
必要なことだとは思いますが、それを見に行くヒトのゆかたの木綿は、これまた「輸入」。
お祭りの縁日で売れる焼きそばの元の粉も輸入、ちょびっと入ってる豚肉も輸入…。
日本はどうなっていくんでしょ…。
お祭りの写真や画像をみていたら、余計なことまで考えてしまった私です。
あの足は、あれっきりこれっきり…。
いまやりっぱな大根のよーに…。
お祭りとか、開発とかそういうことって、
やっぱり地域ですから、まとまりがなかったり、
誰かだけがチカラがあったりすると、
不自然な形になりますよね。
年に一回、楽しい時間があったっていいのに…ねぇ。
こちらこそ、はじめまして。
よさこいも、そういう歴史があったんですね。
今、いろんな「ダンス」のコンテストなんかも
盛んに行われています。
そういうものと流れがあわさったのでしょうね。
あれはあれで、また別の楽しみ方があるなぁと思っています。
なんにしても「夏のお祭りの思い出」があるって
素敵なことだと思います。
いえもぉ過去の栄光…で、このあとすぐに
「大根足」になり始め、りっぱに?成長しました。
あの灯篭は私もテレビで見るまで、
てっきり金属だと思っていたので、
びっくりしました。
すごい技術があるものですね。
おみ足、美しーっ☆
裾除けのダーツ必須ですね笑
よさこい、昔からあったんですねえ。
私の故郷は、私が高校生のころ無理やり大きな祭りをでっち上げまして苦笑
歌も間延びして面白くないし、踊りもつまらないくせに、市がテコ入れしているせいかやたらと規模が大きいお祭りなんです。
そこに6年ほど前ですかねえ、いきなりよさこい踊りが入りまして。
アップテンポの曲と、派手な衣装のインパクトがすごかったです。
個人的には、そもそもの地元のお祭りが歴史なんかないでっち上げたお祭りだったし、見ててもちっとも楽しくなかったのでよさこい大歓迎だったんですけど、土地のえらいさんが気に入らなかったらしく(負けてたから?w)一年限りで終わってしまったようです。
よさこい祭り自体は大規模スーパーのイベントみたいにしてコンテストやってるみたいですけどね。
駅前に都内のデパートが進出するはずだった時も、客が取られるとか言ってだめにしてしまったし、駐車場が有料だから客が郊外に行ってしまうんだとわかっていても、誰も地代の値下げや無料化に賛成しないという、目先の事しか見えない不思議な人たちの集まった地域ですねえ。。。
トンボさんより少しだけ妹分です。
私が幼稚園から低学年の頃<50年近く前>には
よさこい祭りの衣装も鳥追い笠に赤い腰巻に浴衣姿だったと思います。といってもキモノのことなどわかってない年齢でしたが。
踊りも曲もアレンジはほとんど無し~
50数年の間に、どんどん変化したんです。あんな生バンドなんて...当たり前ですね。
思うに、よさこい祭りはキモノのようです。
北大の学生さんが、札幌に持ち帰ってからはまるであちら様がご本家のようなのもそれを物語っているようです。
キモノから話がそれて済みません。
夏休みに東京から祖父母を訪ねて、辻ツジで夕涼みしながら連取を見るのも楽しみでした。
思い出させていただき、ありがとうござい増し亜た。
「よへほ節」優雅な踊りですね。
山鹿灯篭が和紙で出来ているなんて
驚きです。
おかげ様で素晴らしい画像をみせて
頂きました。