押してしまったのです「カートに入れる」を…。
だってぇ、こんなのないんだもぉーん、変わってるんだもぉーん。
ちょっとシミがあるから安いしー…。
ま、3年位前ならもっともっと高かっただろうから…いっか。
ちょっと値がさがってる気がします。あっ男物だけね。
さて、この絵は何かと申しますと…どうやら「すごろく」のようです。
真ん中の浮世絵、これに「東海道五十三次 上り」と書いてあり、
廻りはずっと宿場とそこの名物などが描かれています。
たとえば、わが町のある「かながわ」は…
「小田ハラ」と「ういろう」だけは、しっかり読めました。
いまや小田原といえば「かまぼこ」「わさび」「干物」ですが、
そういえば「ういろう」ありましたわ、漢字で書くと「外郎」…。
今は名古屋名物ですよね。実は大好物です。あんまりコってないふつーの。
全部お見せしたいところですが、数が多いのでおもしろいのを。
右は今でも有名な「鞠子のとろろ汁」、左、どう見ても「染飯」ですよね。
混ぜご飯とか、茶飯みたいな「色のついたご飯」かしら。
左側は「ふじゑ?」、というわけで、検索検索。
みつけました「藤枝」、ご飯はくちなしの実で染めたごはんだそうです。
コレには伝説があって、昔、宿場近くの池に大蛇がすんでいて、
悪さをしたために高僧によって封じられた…というお話しなのですが、
その「悪さ」をする前、ある夫婦がこの池の大蛇を弁財天としてあがめ、
強飯にくちなしをそえたものをお供えしたところ、幸運がおとずれた。
そこで子孫もずっとこれを続けたところ、あるとき子孫の夢枕に
「くちなしで染めたご飯を三角にして旅人に売ってごらん、いいことあるよ」と
お告げがあった、そこでくちなしの実で染めた握り飯を茶店で売ったところ
大繁盛した…というお話しだそうです。こちら現代の「染飯」です。
お次はこちら、沼津ですね。カツオブシ、名物だったんですね。
同じ沼津の「原」宿が「うなぎの蒲焼」…「木札」みたいに見えますけど…。
次は左が「日坂」宿の「わらびもち」、右は掛川の「葛布」。
葛布はその名の通り「葛」の蔓からとった繊維で織った布です。
今でもありますが、着物地はもうなかないようです。
こちらに歴史がありますが、戦後はやはり「外国産」にとってかわられたんですね。
なんか…ちょっと悲しかったり・悔しかったり・申し訳なかったり…です。
こちらは「大津」、大津は「大津絵」で有名ですね。
この絵では「源五郎鮒?と蜆」、琵琶湖で取れる川の幸、ですね。
以前大津で「鮒の甘露煮」をお土産で買いました。
同じ大津でも「鮒寿司」は…ゴメンナサイです。
左は「伊勢」、東海道からはちっと外れますが、
実は庶民の方は「お伊勢参り」に熱中しましたからねぇ。
お伊勢さんのあわびに…真ん中の「はたき」みたいなのはなんでしょう。
左は「万金丹」、西洋の薬が入ってくるまでは「家庭の常備薬」でした。
今でもありますね。懐かしいなぁ「熊の胆」とか…。
ちょっと関東に戻って…みつけましたもう一枚「かながわ」「亀の甲せんべい」…
なんかもーちっと、シャレたものはなかったのかい…。
いまや、別のところの名物になっています。
でも、神奈川って昔は田舎でしたから(アタリマエですが)
泥亀町とか亀の甲山なんて地名、今でもあります。
右は品川、海苔ですね。
あとになりましたが、ここからが始まりで「ふりだし」って書いてあります。
コレ京都三条大橋のようですね、大原女さん歩いてるし…。
普通「五十三次すごろく」って、日本橋出発の、京都「あがり」です。
江戸時代は、京都に帝がおわしましたから、
たとえ将軍でも、江戸から京都に「のぼり」ました。「上洛」ですね。
今は東京が首都ですから、東京駅には「のぼり」はありません。
つまりこの絵って、大名行列の絵だけれど「現代モノ」ってことですね。
こちらが、その「上り」の絵です。
一応「広重」なんて名前が描いてありますが、以前にもお話ししましたとおり
こういう絵は「元絵」を適当に寸法変えたりして描いてあったりします。
著作権もへったくれもありませんが、こういうおおらかさはいいですよね。
それにしても、富士山の見えるこんな絵、あったっけ…。
お話しがコレしかないので、大名行列のお話しを…。
童謡「鞠と殿様」の歌にもあるように、大名行列は華やかなもの。
「♪金紋先箱 供揃い…」、金紋は、大名の格によってつけることを許された
金箔の家紋、これを先箱、つまり挟み箱のことですが、
黒塗りの箱につけたわけです。
挟み箱は、上の絵の先頭の三人の一番後ろの人が担いでいるもの。
なんでこれが先頭かといいますと、この中に正式なお衣装が入っているわけです。
毛槍も見えていますが「♪お駕籠の前にはひげやっこ 毛槍をふりふり~」ですね
これは、毛槍も「先箱」と一緒で、行列の先頭を行くもの。
このほかにも、洗面道具だのちょっとし家具だの、いわば旅行グッズと
単身赴任引越しグッズをあわせたようなもの、これらがそれぞれ箱にいれられて、
担いで運ばれたわけです。これは「後箱」といいます。
なんたって、身分が高ければ高いほど、タイヘンな「民族の大移動」でした。
歌の殿様は「紀州の殿様」ですから「松平家」、吉宗さんのご実家ですね。
諸国の大名は、参勤交代を義務付けられていたわけですが、
これは大名にお金を使わせて「裕福にさせないため」でした。
しかーし、実際遠くの大名などは、タイヘンなお金がかかるわけで、
お金が残らないどころか「大赤字」…。
そのため、後年は、ちいさい行列で出発し、
箱根あたりからアルバイトを雇ったそうです。「大名行列要員募集」ですね。
「即決派遣、奴から駕籠担ぎ、ご要望があれば、供侍10名まで即OK
要相談、格安!」なんてね。
このじゅばん、真ん中の「上り」のところに、大きなシミがあるのですが、
元々が白地ではないので、目立たない…。
広幅ですので、真ん中に縫い目はありません。
羽裏に使ったらおもしろいかもですが、完品でないのでねぇ…。
あぁだから安かったんでないのぉ…。
だってぇ、こんなのないんだもぉーん、変わってるんだもぉーん。
ちょっとシミがあるから安いしー…。
ま、3年位前ならもっともっと高かっただろうから…いっか。
ちょっと値がさがってる気がします。あっ男物だけね。
さて、この絵は何かと申しますと…どうやら「すごろく」のようです。
真ん中の浮世絵、これに「東海道五十三次 上り」と書いてあり、
廻りはずっと宿場とそこの名物などが描かれています。
たとえば、わが町のある「かながわ」は…
「小田ハラ」と「ういろう」だけは、しっかり読めました。
いまや小田原といえば「かまぼこ」「わさび」「干物」ですが、
そういえば「ういろう」ありましたわ、漢字で書くと「外郎」…。
今は名古屋名物ですよね。実は大好物です。あんまりコってないふつーの。
全部お見せしたいところですが、数が多いのでおもしろいのを。
右は今でも有名な「鞠子のとろろ汁」、左、どう見ても「染飯」ですよね。
混ぜご飯とか、茶飯みたいな「色のついたご飯」かしら。
左側は「ふじゑ?」、というわけで、検索検索。
みつけました「藤枝」、ご飯はくちなしの実で染めたごはんだそうです。
コレには伝説があって、昔、宿場近くの池に大蛇がすんでいて、
悪さをしたために高僧によって封じられた…というお話しなのですが、
その「悪さ」をする前、ある夫婦がこの池の大蛇を弁財天としてあがめ、
強飯にくちなしをそえたものをお供えしたところ、幸運がおとずれた。
そこで子孫もずっとこれを続けたところ、あるとき子孫の夢枕に
「くちなしで染めたご飯を三角にして旅人に売ってごらん、いいことあるよ」と
お告げがあった、そこでくちなしの実で染めた握り飯を茶店で売ったところ
大繁盛した…というお話しだそうです。こちら現代の「染飯」です。
お次はこちら、沼津ですね。カツオブシ、名物だったんですね。
同じ沼津の「原」宿が「うなぎの蒲焼」…「木札」みたいに見えますけど…。
次は左が「日坂」宿の「わらびもち」、右は掛川の「葛布」。
葛布はその名の通り「葛」の蔓からとった繊維で織った布です。
今でもありますが、着物地はもうなかないようです。
こちらに歴史がありますが、戦後はやはり「外国産」にとってかわられたんですね。
なんか…ちょっと悲しかったり・悔しかったり・申し訳なかったり…です。
こちらは「大津」、大津は「大津絵」で有名ですね。
この絵では「源五郎鮒?と蜆」、琵琶湖で取れる川の幸、ですね。
以前大津で「鮒の甘露煮」をお土産で買いました。
同じ大津でも「鮒寿司」は…ゴメンナサイです。
左は「伊勢」、東海道からはちっと外れますが、
実は庶民の方は「お伊勢参り」に熱中しましたからねぇ。
お伊勢さんのあわびに…真ん中の「はたき」みたいなのはなんでしょう。
左は「万金丹」、西洋の薬が入ってくるまでは「家庭の常備薬」でした。
今でもありますね。懐かしいなぁ「熊の胆」とか…。
ちょっと関東に戻って…みつけましたもう一枚「かながわ」「亀の甲せんべい」…
なんかもーちっと、シャレたものはなかったのかい…。
いまや、別のところの名物になっています。
でも、神奈川って昔は田舎でしたから(アタリマエですが)
泥亀町とか亀の甲山なんて地名、今でもあります。
右は品川、海苔ですね。
あとになりましたが、ここからが始まりで「ふりだし」って書いてあります。
コレ京都三条大橋のようですね、大原女さん歩いてるし…。
普通「五十三次すごろく」って、日本橋出発の、京都「あがり」です。
江戸時代は、京都に帝がおわしましたから、
たとえ将軍でも、江戸から京都に「のぼり」ました。「上洛」ですね。
今は東京が首都ですから、東京駅には「のぼり」はありません。
つまりこの絵って、大名行列の絵だけれど「現代モノ」ってことですね。
こちらが、その「上り」の絵です。
一応「広重」なんて名前が描いてありますが、以前にもお話ししましたとおり
こういう絵は「元絵」を適当に寸法変えたりして描いてあったりします。
著作権もへったくれもありませんが、こういうおおらかさはいいですよね。
それにしても、富士山の見えるこんな絵、あったっけ…。
お話しがコレしかないので、大名行列のお話しを…。
童謡「鞠と殿様」の歌にもあるように、大名行列は華やかなもの。
「♪金紋先箱 供揃い…」、金紋は、大名の格によってつけることを許された
金箔の家紋、これを先箱、つまり挟み箱のことですが、
黒塗りの箱につけたわけです。
挟み箱は、上の絵の先頭の三人の一番後ろの人が担いでいるもの。
なんでこれが先頭かといいますと、この中に正式なお衣装が入っているわけです。
毛槍も見えていますが「♪お駕籠の前にはひげやっこ 毛槍をふりふり~」ですね
これは、毛槍も「先箱」と一緒で、行列の先頭を行くもの。
このほかにも、洗面道具だのちょっとし家具だの、いわば旅行グッズと
単身赴任引越しグッズをあわせたようなもの、これらがそれぞれ箱にいれられて、
担いで運ばれたわけです。これは「後箱」といいます。
なんたって、身分が高ければ高いほど、タイヘンな「民族の大移動」でした。
歌の殿様は「紀州の殿様」ですから「松平家」、吉宗さんのご実家ですね。
諸国の大名は、参勤交代を義務付けられていたわけですが、
これは大名にお金を使わせて「裕福にさせないため」でした。
しかーし、実際遠くの大名などは、タイヘンなお金がかかるわけで、
お金が残らないどころか「大赤字」…。
そのため、後年は、ちいさい行列で出発し、
箱根あたりからアルバイトを雇ったそうです。「大名行列要員募集」ですね。
「即決派遣、奴から駕籠担ぎ、ご要望があれば、供侍10名まで即OK
要相談、格安!」なんてね。
このじゅばん、真ん中の「上り」のところに、大きなシミがあるのですが、
元々が白地ではないので、目立たない…。
広幅ですので、真ん中に縫い目はありません。
羽裏に使ったらおもしろいかもですが、完品でないのでねぇ…。
あぁだから安かったんでないのぉ…。
東海道は縁が深いですし、沼津なんて出てきた日には・・・
遠洋漁業基地として有名な戸田(へだと読みます)が先般の町村合併市制開幕により、沼津市になったそうです。
沼津の鰹節というのは今も尚・・・になったのではないでしょうか?
ああ、ホント良いですねぇ、こういう脱力系の洒落た絵。
むかーし「戸田」から船で…
ありゃどこへ行ったんだっけ…。
景色もお魚もいいところですね。
こういう脱力系、たまりませんよね。
さいきんハヤリの「ゆるキャラ」にかけて
「ゆる柄」とよんでおります。
柄はゆるいんだけど、全体として
手ぇぬいてませんよねぇ、昔の柄って。