さて、もう一枚、こちらは野口さん一枚で買えました。正絹です。
子供の着物の柄に「昔話」というのは多いのですが「雀踊り」の
しかもリアルなのは、あまり見ません。実物は、紺がもっと濃いです。
まずは「昔話」、玉手箱は「浦島太郎」でしょうね。下にあるのは「貝」。
一番下はもう「桃太郎」ですね、車に積まれているのは「珊瑚」に「七宝」。
その左上は、つづらがありますから「舌切り雀」でしょうね。
こちらは「宝尽くし」で、分銅、丁子、宝珠、打出の小槌、隠れ蓑に
巾着、七宝と、お宝満載です。
一度で全部はいりませんでしたので、こちら…。
打出の小槌ですから「一寸法師」でしょうか。
いやー、この雉車…ただの男の子のおもちゃかなと思ったのですが、
ここまで「昔話」できているのですから、
なんか「一寸法師」と関係があるんじゃない?
一寸法師に出てくるのは「鬼」ですしねぇ…。
そこで「清水寺」(鬼退治した場所)で、調べてみようと検索したら
福岡にも「清水寺」がありまして、なんとこっちに「雉車」の伝説があり、
おみやげものとして有名だと…。
両方のお寺は宗派も開祖も違うのですが、作られた時期が同じくらい古いこと、
同じ「千手観音」がご本尊であること、などから、
たぶん「似てるし、ま、いいかぁ…」だった?パクリかい…。
いや、ホントのところはわかりません。
ふつう、男の子の着物だと「三太郎」で「桃太郎・浦島太郎・金太郎」ですが、
珍しいですね。ついでにかぐや姫もほしかったなー。
ところで、最初に惹かれたのは、こちらの雀の柄でした。
雀踊りの図柄というと、大体は人間が踊っているところ、
つまり、笠をかぶって奴姿で雀のように踊っているところが多いのですが、
これはアタマ、リアルに「スズメさん」です。
やっこさんは「奴」、武家屋敷の下働きをする人、
中間(ちゅうげん)と呼ばれます。武家の奉公人には若党とか小者とか、
いろいろ呼び名があったり、お屋敷によって待遇が違ったりですが、
よくいう「足軽」、これは武士階級です。だから両刀手挟んでました。
中間はその下の階級、脇差を一本さしています。
ただし「木刀だったり竹光だったり」ホンモノではありません。
ではなんでそんなものもっていたか…。
中間は、戦国のころから「身分」としては存在していまして、
イザというとき、つまり戦のときは「雑兵」としても働くことがありました。
太平の世の中になってからは、そんなことはありませんで、
どさくさにまぎれて刀を持つ、なんてことはナシ。
かわりに木刀などで、殿様のお出かけには供をしてガードしたわけです。
だからお仕えするお殿様が大名行列をするときは、
昨日の絵のように、毛槍をもって先頭きって歩いたわけです。
ちなみに、江戸時代は一つのお屋敷(殿様)にずっと奉公するものもいましたが、
「オレは自由な風来坊」で、あちこち奉公先を変えたものもいまして、
それらは「渡り中間」と呼ばれました。江戸時代からフリーターはいたわけで…。
ところで、やっこさんというと、膝の下に白い三角のものをつけています。
上の絵ではなんかひもみたいですが…。
あれは「三里紙」とか「三里あて」といわれるものです。
元々は字のとおり紙でしたが、お芝居などで誇張されて三角布になったようですね。
膝の下には「三里」というお灸のツボがあり、
中間は時には殿様の乗られた馬の轡をとって長距離を歩いたり、
お使いであちこち出かけたりしますから、
「足」は大事…、で、ここにお灸をすえたりしました。
三里紙はこのお灸の跡を隠したり、また立場上、地面に膝まづくことも
多かったので、保護のため、とも言われています。
私の勝手な想像なんですが、和紙に糊気を持たせて、
シップみたいに貼っていたんじゃないでしょうかねぇ。
なんたって足しむき出しですからねぇ。
ちなみに遠距離を行く場合は、横縞模様の脚半(きゃはん)をつけました。
脚半は旅をする人の必需品で、必ずスネから下につけましたが、
これはいわば「サポーター」や「むくみ防止ソックス」と同じで、
血流を調節して、足の疲れを防ぐためのものです。
さて、「雀踊り」は、仙台の踊りとされていますが、
江戸時代「風流踊り」としても街なかで踊られたそうです。
元々は、仙台城の石垣を築くために大阪の堺からやってきた石工たちが、
伊達公の御前で、即興でおどったもの、と言われています。
袖を鳥の翼のようにひらひらさせ、頭をつんつんと下げるようすが、
雀がえさをついばむようだと「雀踊り」と呼ばれたようです。
その後、石工たちは当然、堺にもどったでしょうから、
踊りは関西にも「お持ち帰り」されたのではないでしょうか。
今「雀踊り」いうと仙台の踊りとされ、踊りの「連」もあって、
毎年盛大にお祭りが開かれるそうですが、
この「雀踊り」の柄は着物や羽裏にも使われています。
土地の踊りとしては伝わらなくても残っていなくても、
農業国日本、雀とは縁が深いですから、柄に使われて残ったのでしょうね。
おまけの一枚、ひもの飾り縫いです。
これは一つ身なので、背守りがあります。
上の写真の「一番下の雀さんのあたり」に縫い目が見えます。
背守りは、背中に縦に一本、てっぺんから向かって左下に向けてもう一本、
色糸で縫い目を入れるものです。
これは「魔」というものはすきまから入り込む、といわれていて、
背縫いのある着物は、そこが「縫って閉じられているので、魔が入らない」
一つ身には、その「背縫い」がないため、わざと背縫いの代わりに
「ここは閉じてあるんだよ」という意味をもたせて縫ったもの。
豪華なものになると、五色の色糸とか、いろいろあります。
また、こういうものの「ひも」の縫いとめ部分には、
飾りステッチがされているのが普通です。
この着物の飾りはこちら。
これといってカタチは決まっていないようで、おめでたい松葉の形とか、
分銅風、剣風など、いろいろあります。
いずれも母親やおばあちゃんが、その子の健康と幸せを祈りながら、
一針一針、縫い刺したもの…たまーにあんまり上手でないものにも
出会いますが、こめる思いの大きさはかわらない…のですよね。
一枚の小さな着物ですが、見どころ満載。
楽しくて…やめられまへんなぁ…。
子供の着物の柄に「昔話」というのは多いのですが「雀踊り」の
しかもリアルなのは、あまり見ません。実物は、紺がもっと濃いです。
まずは「昔話」、玉手箱は「浦島太郎」でしょうね。下にあるのは「貝」。
一番下はもう「桃太郎」ですね、車に積まれているのは「珊瑚」に「七宝」。
その左上は、つづらがありますから「舌切り雀」でしょうね。
こちらは「宝尽くし」で、分銅、丁子、宝珠、打出の小槌、隠れ蓑に
巾着、七宝と、お宝満載です。
一度で全部はいりませんでしたので、こちら…。
打出の小槌ですから「一寸法師」でしょうか。
いやー、この雉車…ただの男の子のおもちゃかなと思ったのですが、
ここまで「昔話」できているのですから、
なんか「一寸法師」と関係があるんじゃない?
一寸法師に出てくるのは「鬼」ですしねぇ…。
そこで「清水寺」(鬼退治した場所)で、調べてみようと検索したら
福岡にも「清水寺」がありまして、なんとこっちに「雉車」の伝説があり、
おみやげものとして有名だと…。
両方のお寺は宗派も開祖も違うのですが、作られた時期が同じくらい古いこと、
同じ「千手観音」がご本尊であること、などから、
たぶん「似てるし、ま、いいかぁ…」だった?パクリかい…。
いや、ホントのところはわかりません。
ふつう、男の子の着物だと「三太郎」で「桃太郎・浦島太郎・金太郎」ですが、
珍しいですね。ついでにかぐや姫もほしかったなー。
ところで、最初に惹かれたのは、こちらの雀の柄でした。
雀踊りの図柄というと、大体は人間が踊っているところ、
つまり、笠をかぶって奴姿で雀のように踊っているところが多いのですが、
これはアタマ、リアルに「スズメさん」です。
やっこさんは「奴」、武家屋敷の下働きをする人、
中間(ちゅうげん)と呼ばれます。武家の奉公人には若党とか小者とか、
いろいろ呼び名があったり、お屋敷によって待遇が違ったりですが、
よくいう「足軽」、これは武士階級です。だから両刀手挟んでました。
中間はその下の階級、脇差を一本さしています。
ただし「木刀だったり竹光だったり」ホンモノではありません。
ではなんでそんなものもっていたか…。
中間は、戦国のころから「身分」としては存在していまして、
イザというとき、つまり戦のときは「雑兵」としても働くことがありました。
太平の世の中になってからは、そんなことはありませんで、
どさくさにまぎれて刀を持つ、なんてことはナシ。
かわりに木刀などで、殿様のお出かけには供をしてガードしたわけです。
だからお仕えするお殿様が大名行列をするときは、
昨日の絵のように、毛槍をもって先頭きって歩いたわけです。
ちなみに、江戸時代は一つのお屋敷(殿様)にずっと奉公するものもいましたが、
「オレは自由な風来坊」で、あちこち奉公先を変えたものもいまして、
それらは「渡り中間」と呼ばれました。江戸時代からフリーターはいたわけで…。
ところで、やっこさんというと、膝の下に白い三角のものをつけています。
上の絵ではなんかひもみたいですが…。
あれは「三里紙」とか「三里あて」といわれるものです。
元々は字のとおり紙でしたが、お芝居などで誇張されて三角布になったようですね。
膝の下には「三里」というお灸のツボがあり、
中間は時には殿様の乗られた馬の轡をとって長距離を歩いたり、
お使いであちこち出かけたりしますから、
「足」は大事…、で、ここにお灸をすえたりしました。
三里紙はこのお灸の跡を隠したり、また立場上、地面に膝まづくことも
多かったので、保護のため、とも言われています。
私の勝手な想像なんですが、和紙に糊気を持たせて、
シップみたいに貼っていたんじゃないでしょうかねぇ。
なんたって足しむき出しですからねぇ。
ちなみに遠距離を行く場合は、横縞模様の脚半(きゃはん)をつけました。
脚半は旅をする人の必需品で、必ずスネから下につけましたが、
これはいわば「サポーター」や「むくみ防止ソックス」と同じで、
血流を調節して、足の疲れを防ぐためのものです。
さて、「雀踊り」は、仙台の踊りとされていますが、
江戸時代「風流踊り」としても街なかで踊られたそうです。
元々は、仙台城の石垣を築くために大阪の堺からやってきた石工たちが、
伊達公の御前で、即興でおどったもの、と言われています。
袖を鳥の翼のようにひらひらさせ、頭をつんつんと下げるようすが、
雀がえさをついばむようだと「雀踊り」と呼ばれたようです。
その後、石工たちは当然、堺にもどったでしょうから、
踊りは関西にも「お持ち帰り」されたのではないでしょうか。
今「雀踊り」いうと仙台の踊りとされ、踊りの「連」もあって、
毎年盛大にお祭りが開かれるそうですが、
この「雀踊り」の柄は着物や羽裏にも使われています。
土地の踊りとしては伝わらなくても残っていなくても、
農業国日本、雀とは縁が深いですから、柄に使われて残ったのでしょうね。
おまけの一枚、ひもの飾り縫いです。
これは一つ身なので、背守りがあります。
上の写真の「一番下の雀さんのあたり」に縫い目が見えます。
背守りは、背中に縦に一本、てっぺんから向かって左下に向けてもう一本、
色糸で縫い目を入れるものです。
これは「魔」というものはすきまから入り込む、といわれていて、
背縫いのある着物は、そこが「縫って閉じられているので、魔が入らない」
一つ身には、その「背縫い」がないため、わざと背縫いの代わりに
「ここは閉じてあるんだよ」という意味をもたせて縫ったもの。
豪華なものになると、五色の色糸とか、いろいろあります。
また、こういうものの「ひも」の縫いとめ部分には、
飾りステッチがされているのが普通です。
この着物の飾りはこちら。
これといってカタチは決まっていないようで、おめでたい松葉の形とか、
分銅風、剣風など、いろいろあります。
いずれも母親やおばあちゃんが、その子の健康と幸せを祈りながら、
一針一針、縫い刺したもの…たまーにあんまり上手でないものにも
出会いますが、こめる思いの大きさはかわらない…のですよね。
一枚の小さな着物ですが、見どころ満載。
楽しくて…やめられまへんなぁ…。
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