このところ解きも伸子張りも「ハズレ」ることが多いなぁなんて思っています。
これは「緞子の羽裏」です。
柄は「蔵前あたり」でしょうか。千石船と猪牙のようです。
ちなみに千石船とは、文字通り「千石積めるくらいの大きな船」のことですが、
さてそれでは「千石」って、どれくらい?
これはもちろん尺貫法ですし、実は昔から一定というわけではありませんでした。
江戸時代アタリはようやく今に近い感じ、きちんと制定されたのは明治に入ってからです。
それでいくと「千石」は、まず「一石は10斗、1斗は10升、1升は10合」…
この辺まで来ると、なんとなく量的に感覚がわかりますね。
つまり、「1石は10斗で100升で1000合」です。
で、お米は「俵」で運びますから、じゃ1俵はというと、規定では4斗。
今のキログラムでいうと60キログラム。
つまり千石とは、俵を2500俵積める船、ということになります。
さて、私の計算はあっていたのだろーか…一抹の不安を抱きながら、先に進みます。だはは。
江戸時代は「水運」が盛んでしたから、川沿いに米問屋の蔵が立ち並びました。
「蔵前」なんて名前も残っていますね。
この千石船で運んできた俵を、小さな「猪牙(ちょき)」に移し変えて、
あちこちの蔵まで運んだわけです。単なる河岸風景ではありますが、
要するに「五穀豊穣」というめでたさも隠し持ってる柄なんですね。
上と下の飾りはシマダイ?と海藻のようですね。
物流も盛ん、海産物も豊富…の象徴でしょうか。
この水面の表現なんて、とても細かくてうまいと思いませんか?
緞子というのは先染めの織物で、この前書きました「諸撚り糸」を経糸に使って、
繻子織りに仕上げた光沢があってしなやかさのある豪華な織物です。
緞子の羽裏は、主に男性の羽織の裏地として、一時期はやったそうですが、
今はほとんど羽二重の羽裏が主になっています。
ドンパは、あたたかいけど羽裏としては重い…ですしね。
さて、この羽裏は見た目もたいへんきれい、羽織そのものも少しヤケっぽいだけで、
大きなダメージはありませんでしたので、これは大丈夫…と玄関先で解き始めました。
ところがですねぇ、少し広くはずれてきたらなんだかパラパラ中から落ちてくるのですよ。
ゴミではありません。ちょうどお茶漬け海苔のなかにはいってる細い海苔、
あんな感じのものがパラパラ…パラパラパラ…。
何だろなと思ってよくよく見ましたら…「金糸」でした。いえ色は変わってましたが。
緞子は織物ですから、裏を見ると、絵柄部分に糸が渡っています。
ほかの色糸はまだちゃんとしているのに、一部の金糸だけがぼろぼろになってました。
わかりますか、細かくこぼれているの。
金糸も一色ではなく、明るい金、暗い金とさまざまです。
実は図柄を見たとき、空などは明るい金が使ってありましたのでわかりましたが、
ほかの部分は、そんなに金が使われているとは思えない、落ち着いた色だったのです。
結局ひっくり返してみたら、船の部分はいろいろな濃淡の金が、
たくさん使われていました。それが全部変色していたわけで…。
保管が悪かったのでしょうね。変色の上、モロモロになっちゃってました。
なんたってこの「細切れ」さんは、袖の丸みの部分にまでたまっていました。
何度も畳んだりひろげられたりしているうちに、移動したんでしょけれど、
すごいものですね。
私はいつも「古いものを解くときは何か敷くか、外で、マスク着用」って書きますが、
たとえばこれは「衿部分」、けっこうなほこりです。マスク必要でしょ?
もちろん、そのものの保管状態にもよりますが、コレくらいのゴミは珍しくありません。
ついでのことに、糸を切って左右にピッとひっぱったとき、ホコリが舞います。
部屋の中だとわかりにくいのですが、表だと光があたるのでもわっと飛ぶのがわかります。
一度見ると「やっぱマスク」と思います。
さて、金糸ですが、ミゴトに「ふりかけ海苔」状態になってしまってます。
一応さっとなでて払ったのですが、パサッと降ると、ナンボでもパラパラ落ちてきます。
あらら~です。裏の金糸は織り込まれていない部分ですから、
その部分は全部こうやって落ちる可能性がある…。
これ、刺繍で言うなら、裏に渡っている糸が全部切れてなくなってしまうということです。
表…大丈夫かい…ですね。まぁ強くこすったり動かしたりしなければ大丈夫と思いますが、
そうなると着るものや持ったりするものには使えません。
また額入り…ですかねぇ。このところどうもうまくありまへんなぁ。
ところで、和服に使われる金糸、今は「化学モノ」がありますが、
本物の金糸は、一つには「和紙に漆を塗ったものに金箔を貼り付けて細く切ったもの」、
もうひとつは「真になる撚り糸に、上の細く切ったものを巻きつけたもの」があります。
織物に使われるのは、細く切ったほう、そば切りのように端から細くカットしていくわけです。
帯などに使われるのは、何しろ1ミリの更に何分の一という細さです。
京都の西陣会館に行ったとき、大きい機(ハタ)、舞妓さんの帯を織るものと、
普通サイズの機との「機織実演」が行われていました。
今もやっていると思いますが、その普通の帯のほうで、この金糸を使っていました。
機の左上のほうにシートのように貼り付けてあって、金糸が必要な柄のところに来ると、
その一本をピッと切り取るようにして織り込むんです。
織っていたおばちゃんが達者な方で、外人さんにも
「でぃすいーず げんじものがたーり、OK?」なんてやってましたっけ。
振袖の刺繍などに使われるもは芯糸に金糸を巻きつけたほう。
赤い細い糸でところどころ留めてありますね。あれです。
近年になって、この二つの方法以外にも作り方が考案されています。
和紙ではなく、セロファンのようなものに蒸着するとか…。
ただ、私たちは「光ってたら金糸」と、つい言ってますけれど。
「金糸」と本当に呼べるのは「金」を使ったもの。
それ以外は金以外の金属や、化学素材をつかったもので、ただの金色糸です。
昔は「金糸のつかわれているものには樟脳はいけない」といわれたものです。
それは使ってはいけないのではなく「直接触れないように」ということです。
逆に和紙ではないものを下地として使ったものは、
プラ素材によっては、パラジクロールベンゼン系で溶けることがあります。
母が使っていたのは「藤澤樟脳」、氷砂糖みたいな色した四角いのを、
昔は「ちり紙」に一個ずつ丁寧にくるんで使っていました。
今でも販売されていますが、大元の会社はすでにありません。吸収とか合併とかですね。
最近のほかの防虫剤は、セロファンとか和紙タイプの袋に個別包装されていますが、
藤澤樟脳は、いまだに「ティッシュ」が必要なようです。
防虫剤は、ナフタリンが一番「心配」が少ないかなと思います。
さて、けっこうジョウモノのつもりで解いたらあらら、でしたが、
それでも使えないことはあれません。
本体の羽織も、結構きれいでしたので、今日は帯裏に使えそうな「衿」だけ伸子張りしました。
お天気は明日は下り坂、だそうです。
入梅も間近、麻竿の植え替えもやりましたし、紫陽花も青くなってきました。
早いですねぇ。
これは「緞子の羽裏」です。
柄は「蔵前あたり」でしょうか。千石船と猪牙のようです。
ちなみに千石船とは、文字通り「千石積めるくらいの大きな船」のことですが、
さてそれでは「千石」って、どれくらい?
これはもちろん尺貫法ですし、実は昔から一定というわけではありませんでした。
江戸時代アタリはようやく今に近い感じ、きちんと制定されたのは明治に入ってからです。
それでいくと「千石」は、まず「一石は10斗、1斗は10升、1升は10合」…
この辺まで来ると、なんとなく量的に感覚がわかりますね。
つまり、「1石は10斗で100升で1000合」です。
で、お米は「俵」で運びますから、じゃ1俵はというと、規定では4斗。
今のキログラムでいうと60キログラム。
つまり千石とは、俵を2500俵積める船、ということになります。
さて、私の計算はあっていたのだろーか…一抹の不安を抱きながら、先に進みます。だはは。
江戸時代は「水運」が盛んでしたから、川沿いに米問屋の蔵が立ち並びました。
「蔵前」なんて名前も残っていますね。
この千石船で運んできた俵を、小さな「猪牙(ちょき)」に移し変えて、
あちこちの蔵まで運んだわけです。単なる河岸風景ではありますが、
要するに「五穀豊穣」というめでたさも隠し持ってる柄なんですね。
上と下の飾りはシマダイ?と海藻のようですね。
物流も盛ん、海産物も豊富…の象徴でしょうか。
この水面の表現なんて、とても細かくてうまいと思いませんか?
緞子というのは先染めの織物で、この前書きました「諸撚り糸」を経糸に使って、
繻子織りに仕上げた光沢があってしなやかさのある豪華な織物です。
緞子の羽裏は、主に男性の羽織の裏地として、一時期はやったそうですが、
今はほとんど羽二重の羽裏が主になっています。
ドンパは、あたたかいけど羽裏としては重い…ですしね。
さて、この羽裏は見た目もたいへんきれい、羽織そのものも少しヤケっぽいだけで、
大きなダメージはありませんでしたので、これは大丈夫…と玄関先で解き始めました。
ところがですねぇ、少し広くはずれてきたらなんだかパラパラ中から落ちてくるのですよ。
ゴミではありません。ちょうどお茶漬け海苔のなかにはいってる細い海苔、
あんな感じのものがパラパラ…パラパラパラ…。
何だろなと思ってよくよく見ましたら…「金糸」でした。いえ色は変わってましたが。
緞子は織物ですから、裏を見ると、絵柄部分に糸が渡っています。
ほかの色糸はまだちゃんとしているのに、一部の金糸だけがぼろぼろになってました。
わかりますか、細かくこぼれているの。
金糸も一色ではなく、明るい金、暗い金とさまざまです。
実は図柄を見たとき、空などは明るい金が使ってありましたのでわかりましたが、
ほかの部分は、そんなに金が使われているとは思えない、落ち着いた色だったのです。
結局ひっくり返してみたら、船の部分はいろいろな濃淡の金が、
たくさん使われていました。それが全部変色していたわけで…。
保管が悪かったのでしょうね。変色の上、モロモロになっちゃってました。
なんたってこの「細切れ」さんは、袖の丸みの部分にまでたまっていました。
何度も畳んだりひろげられたりしているうちに、移動したんでしょけれど、
すごいものですね。
私はいつも「古いものを解くときは何か敷くか、外で、マスク着用」って書きますが、
たとえばこれは「衿部分」、けっこうなほこりです。マスク必要でしょ?
もちろん、そのものの保管状態にもよりますが、コレくらいのゴミは珍しくありません。
ついでのことに、糸を切って左右にピッとひっぱったとき、ホコリが舞います。
部屋の中だとわかりにくいのですが、表だと光があたるのでもわっと飛ぶのがわかります。
一度見ると「やっぱマスク」と思います。
さて、金糸ですが、ミゴトに「ふりかけ海苔」状態になってしまってます。
一応さっとなでて払ったのですが、パサッと降ると、ナンボでもパラパラ落ちてきます。
あらら~です。裏の金糸は織り込まれていない部分ですから、
その部分は全部こうやって落ちる可能性がある…。
これ、刺繍で言うなら、裏に渡っている糸が全部切れてなくなってしまうということです。
表…大丈夫かい…ですね。まぁ強くこすったり動かしたりしなければ大丈夫と思いますが、
そうなると着るものや持ったりするものには使えません。
また額入り…ですかねぇ。このところどうもうまくありまへんなぁ。
ところで、和服に使われる金糸、今は「化学モノ」がありますが、
本物の金糸は、一つには「和紙に漆を塗ったものに金箔を貼り付けて細く切ったもの」、
もうひとつは「真になる撚り糸に、上の細く切ったものを巻きつけたもの」があります。
織物に使われるのは、細く切ったほう、そば切りのように端から細くカットしていくわけです。
帯などに使われるのは、何しろ1ミリの更に何分の一という細さです。
京都の西陣会館に行ったとき、大きい機(ハタ)、舞妓さんの帯を織るものと、
普通サイズの機との「機織実演」が行われていました。
今もやっていると思いますが、その普通の帯のほうで、この金糸を使っていました。
機の左上のほうにシートのように貼り付けてあって、金糸が必要な柄のところに来ると、
その一本をピッと切り取るようにして織り込むんです。
織っていたおばちゃんが達者な方で、外人さんにも
「でぃすいーず げんじものがたーり、OK?」なんてやってましたっけ。
振袖の刺繍などに使われるもは芯糸に金糸を巻きつけたほう。
赤い細い糸でところどころ留めてありますね。あれです。
近年になって、この二つの方法以外にも作り方が考案されています。
和紙ではなく、セロファンのようなものに蒸着するとか…。
ただ、私たちは「光ってたら金糸」と、つい言ってますけれど。
「金糸」と本当に呼べるのは「金」を使ったもの。
それ以外は金以外の金属や、化学素材をつかったもので、ただの金色糸です。
昔は「金糸のつかわれているものには樟脳はいけない」といわれたものです。
それは使ってはいけないのではなく「直接触れないように」ということです。
逆に和紙ではないものを下地として使ったものは、
プラ素材によっては、パラジクロールベンゼン系で溶けることがあります。
母が使っていたのは「藤澤樟脳」、氷砂糖みたいな色した四角いのを、
昔は「ちり紙」に一個ずつ丁寧にくるんで使っていました。
今でも販売されていますが、大元の会社はすでにありません。吸収とか合併とかですね。
最近のほかの防虫剤は、セロファンとか和紙タイプの袋に個別包装されていますが、
藤澤樟脳は、いまだに「ティッシュ」が必要なようです。
防虫剤は、ナフタリンが一番「心配」が少ないかなと思います。
さて、けっこうジョウモノのつもりで解いたらあらら、でしたが、
それでも使えないことはあれません。
本体の羽織も、結構きれいでしたので、今日は帯裏に使えそうな「衿」だけ伸子張りしました。
お天気は明日は下り坂、だそうです。
入梅も間近、麻竿の植え替えもやりましたし、紫陽花も青くなってきました。
早いですねぇ。
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