先日、突然「カルタ結び」というワードでの検索がやたら増えました。
例えば成人式近くになると、トイレのこととか、七五三が近くなると、親の着物とか、
それに関するワードでの検索が多くなります。
でも、突然「カルタ結び」ってなんだい?
全く見当がつかなかったのですが、MIXIのニュースでわかりました。
なにやら「ゲーム・キャラ」だかなんだか…要するにイラストですねぇ。
そのなかのある「美少年」のコスチュームが「カルタ結び」と説明されていた…それに対して、
カルタ結びというのは、かつて衆道(つまりボーイズ・ラブですな)において、
女性の立場になる方、受け手というのだそうですが、それがしていた結びだと。
「おかしいじゃないか」みたいな苦情がでたり、なにやらちょっとした騒ぎで、
作者がお詫びをしたとかしないとか…あら、ご苦労様…ですわ。
もちろん、反論もあったようですが、「カルタ結び」は男も女もやっていた結びです。
なにかどこかで聞いたか読んだかしたことが「正しいこと」として認識される…、
それはよくあることでが、ほんとにそうかどうか、内容によってはよく調べないとね、です。
久しぶりの着物話題だというのに、今日はとんでもない話になりますが、
かつて「衆道」はいまよりずっと「めずらしくもないこと」でした。
元々は仏教から…かつての仏教には「女犯(にょぼん)」というキマリゴト、があり、
女性と交わってはいけない…でした。もちろん妻帯もしません。
しかし人間にとって当たり前の欲求は、いかに仏道に帰依するものでもおさえがたいもの、です。
それを補うように「稚児」というものが考えられたわけです。
時代がさがって、これは武士道に持ち込まれました。
武士の場合「究極の愛情」なんてことまで言われました。なんでか…妊娠を伴わないから。
つまり、当時は「お家(いえ)」が大事ですから、とにかく「跡継ぎ」をと騒ぎます。
だから側室を何人も持ったりするわけで…。
顔も見たことない、性格もわからない女性を、家柄だの何だのでもらうことも多かった時代では、
要するに「結婚」は「子作り」のため…という目的が大きかったわけです。
中には好きでもない女性と、連れ添わなければならなかった人もいたかもですね。
女にとっては、ふざけんじゃないわよ、こっちが願い下げだわ…ということももちろん。
そんな状況では、子供を作ることが目的ではない「おつきあい」は、純粋に心のつながりでの相手、
ということも言えたわけで…もちろん、単に「そういうことが好き」が多かったとは思いますが。
やがて江戸時代になると、これが庶民にも広がり「陰間茶屋」という「専門のお茶屋」もできました。
今と違っているのは、12~13歳くらいから、せいぜいが16~17歳くらいで、
盛りをすぎてしまうこと、あくまで「美少年」と呼ばれる間の、短い商売ではあったわけです。
この商売の少年たちが締めたのが「カルタ結び」だといわれたわけですが、
そういう話が衣装の歴史で特筆されているのは、見たことがありません。
確かに解けやすい締め方ですから、お客の相手をするには…ということも考えられますが、
この結びは前述のように、男性も女性もしたものです。
なんで女性も締めていたか…となると、これは「着物の変遷」ということになります。
ずっと垂髪(つまりストレートの下げ髪)から、髪結い、ということが始まったのは、
安土桃山のころ、南蛮貿易が入ってきたりの変化の時期です。
最初は唐輪髷、男髷の変化球タイプ…から始まり、だんだんあれこれ結うようになりました。
江戸時代までかけて進んだのです。
江戸の最初のころは、まだ前時代の風俗が色濃く残っていますから、
着物対丈、帯前結び…も、まだまだ残っていました。過渡期ですね。
このころの髱(たぼ…後ろの髪)は、ほとんど下にはさがりません。
どちらかというと後ろ部分はそのまますーっとあげた感じ。
それまで女性は「衿を抜いて着る」ということがありませんでした。だって垂髪だったから。
着物もそのまま着ればよかったから対丈だったし、帯も細くて、男性と同じような締め方、
はい、水前寺清子さんみたいなかんじですねぇ。
やがてあれこれ「美しく」が始まり(なにしろ世は元禄、戦争もなくなりましたから)、
今度は髱を後ろに伸ばすようになる…これはえりあしを強調することになり、
当然のように、衿が髪に擦れないように「衿を抜く」ということが始まるわけです。
後ろにのばす髱は、だんだん長くなり、エジプトのファラオのひげみたいな形にどんどん伸びました。
逆に「鬢」はどんどんちいさくなって…面白いものですね。
つまり、髪型がかわることで着物の着方もかわり、帯の幅もかわり、着物の形もかわり…と、
連動していったわけです。対丈でさっぱり着ていたころは、そんなに華やかな帯結びはありませんから、
結びやすくて便利な、今で言うなら半幅の締め方みたいな…そんな締め方で間に合っていたわけです。
それのひとつが「カルタ結び」だったわけです。
やがて帯幅が、どんどん広くなり、丸帯をそのまま締めるところまで行きましたから、
長さも長し、幅広し…で、数百種なんて言われる帯結びが考案されたわけです。
カルタ結びのようにチマッとした結びは男の結びになって言ったわけです。
結局、女性が次にこの「カルタ結び」に目を付けたのは「おたいこ」結びの考案の時、です。
帯幅が広いと、きゅっと締まりませんから、今で言う帯締めが必要となり、
やがてはそのアレンジから今のお太鼓が完成したわけです。
妙な「検索」から、今日はちと気恥ずかしいお話にもなりましたが、
着物は長い歴史をもつもので、いろんなことが変わってきて、今の状態になっているわけです。
どこか一つだけポンと取り出しても、それが時代のどのあたりかで、始まりと終わりでは、
ずいぶん違う話になることもあります。また「赤穂浪士」でもそうでしたが、
芝居の影響、草紙のうそ…など、当時は「それは理解したうえでのこと」でも、
今の私たちが聴くと「どれがほんと?」もあるわけで…。
時代考証の専門家が書かれている「時代風俗」という分厚い辞典がありますが、
同じ時代劇でも、江戸初期と幕末の時代設定では、女性の風俗は大きく違う…。
アニメの「美少年」、どんな役どころかも知りませんが、元々ああいった「キャラ」の和服は、
ほとんどアレンジされたものばかりです。普通の着物じゃヒンソーでしょうしね。
あれはあれで別の「着るもの」「コスチューム」…私はそんな風に思っています。
ありません。
江戸時代の少年の帯結びからとは知りませんでした。
ふだんに着物を着ていると対丈で半幅帯がとても楽ちんで、貝の口や吉弥に結んでいます。
「カルタ結び」も背中がぺったんこなので運転などに良いかなぁと興味がありましたが、
細身の方の方が似合う気がして、試していませんでした。
こんな歴史があったとは、またまた勉強になります。
どんな結び方なのでしょうか?
興味深いお話でした。
それぞれに色々な物語があるのですね~
カルタ結びは私が日常着物の結び方として1番始めに覚えた結び方です。本には「横一文字」という名称で、結ばず締められるという紹介があり、しばらくそれだけで済ませていた時代があります。
そして今でも半幅帯の方が断然多いです(苦笑)
>古布遊び様
もしかしたら YOU_TUBE 辺りに動画があるかもしれませんよ。私はファブリック帯を締めるときに参考でチェック入れてます。
覚えてしまえば、楽な結び方ですが、
私もいつも「貝の口」ばっかりです。
江戸時代の少年の帯、ではなく、
初期のころは男も女も締めていた、です。
お太鼓は、車や新幹線では、
ほんと「姿勢がよくなって」…ですよね。
ゼッタイよりかかれないし…。
帯の歴史は太くなってからの方が面白いです。
私の記事でよければこちらにあります。
タイトルはまったく違うんですが…。
http://blog.goo.ne.jp/tombo624/e/57ef73e0fc99cd96b0289c9c2a46440a
着物は長い年月かけて育ってきたものですから、
物語がたくさんあります。
それを知るのも楽しいことですね。
コメントありがとうございます。
このところあれこれあって、サボリ気味です。
すみません。
半幅でさらりと…というのが楽でいいですよね。
普段帯だからこそのちょっと砕けた楽しみもあったりして…。
You Tubeにも画像がありました。
なるほど、まっすぐなのですね~ 今度試してみようと思います。
男性だと貝の口の方がきりっとした感じになりますから、若向けという感じだったのかもしれませんね。
衆道は、名前は違ってもお寺以外でももっと古いようで、源氏物語の空蝉の弟を源氏が取り立ててかわいがっていたのなんかはそうじゃないかとか、大野晋・丸谷才一の源氏物語についての対談にありました。(この本はすごくおもしろいですよ。衣装や設えの話とかも多少あって)
家にいる女房との関係というのがあっても書かれることがないのと同様、衆道もあって当然だから何も描かれてないだけでは…というような感じでした。
あまねです。
カルタ結びがそんなに古い結びだとは
知りませんでした。
またひとつお利口になりました(笑)
ありがとうございます。
母はほとんど着物着ないし着れないし
私に着せて貰えたら嬉しいわと言うぐらい
なので、とと様のようなお話を聞けて
嬉しいです。
ゲームキャラ等と同じ格好をしたりするのを
コスプレと言うのだと思いますが・・・。
この前、着物を着て出掛けたら
50歳か60歳ぐらいのおぢさまに
コスプレですか?と聞かれてしまいました。
とりあえず、「違います、単なる?着物です」
と答えましたが・・・。
どう答えるのが良かったのでしょうか(笑)
まさかその結びにこんな歴史があろうとは・・・
髪の結い方で着物の着方や帯結びが変化していたのもなるほどですね。
現代の着物の着方も明治・大正の頃とは違っていますし、ずっと変化し続けているものなんですね。
こんな風にずっと変化し続けている民族衣装があるのって日本くらいな気がします。
先進国で街中を民族衣装で歩いている人がいるのも日本だけみたいですし。
あ~とんぼさんの着物話ほんと楽しいです^^
ペタンコ中のペタンコで、車には最適です。
いろいろアレンジもありますから、
ちょっと膨らませたりもできますよ。
源氏物語にそれらしき話がある…というのは、
衆道の話の中でも出てきます。
衆道に限らずですが、いまより「性」そのものが
おおらかな時代ですから、
別に珍しくもなかったのでしょうね。
着物離れは、少しは止まった感がありますが、
まだまだですねぇ。
私が言われたんだったら「あんたそれでも日本人?」なんて、
どなっちゃうかもです。
さみしいことですよね。
民族衣装と呼ばれるものが残っている国も、
普段から来ている国もあれば、
お祭りや行事の時だけの国もあれば…ですね。
日本の着物は、やはり特異な存在だと思います。
大事に残していきたいものです。
ちと更新が滞っておりますが、お見捨てなく
よろしくお願いいたします。