遅れまして、すみませんでした。
とりあえず写真は、私の裾よけ。おもいっきし「ポリ」です。
かわいい柄が気に入ってるんですが、静電気おきます、ははは。
さて、おととい「うそつき」のことを書きました。
ひとつお詫びがあります。
私の中で「うそつきと裾よけ」はワンセットでインプットされてまして、、
「うそつきじゅばん」とついついそう書きましたが、
正確にいいますと、あれだけだと「うそつき半襦袢」ですね。
これに裾よけがつきますと、「うそつきじゅばん」
今風に言うなら「二部式じゅばん」です。
さて、皆さんは普段着物、おうち着物のときの「着物の下」、
どのようにしていらっしゃいますか。
まぁ季節によっても違うとおもいますが、
私の場合…、比較して書いて見ますね。
お出かけ着物
1 肌襦袢・裾よけ(白無地)に長じゅばん。
2 着物スリップ(ワンピースタイプ、前打ち合わせ)に長じゅばん
おうち着物
肌襦袢にうそつき(二部式)じゅばん
寒い時期は、肌襦袢・裾よけ(白)にうそつき(二部式)じゅばん
おでかけだけどごまかしのとき
肌襦袢・裾よけ(白)にうそつき(二部式)じゅばん
暑い時期のおうち着物などは下の裾よけなしですが、
若いころは今では考えられないくらいヤセでして、
そのくせ補正が嫌いでしたから、裾よけ二枚で、腰の辺りを太らせてた…。
そして最近のように「自前の肉布団」で、補正なんかなんっにもいらないけど
今度はよる年波で「冷えないよーに」(わびしーやねぇ)着てます。
夏、家で浴衣を着るときは、上なし裾よけのみ。
さて、じゅばんのはじまり…。
もともと、着物の下には、白い小袖を重ねてきていたのですが、
16世紀ごろにポルトガルから入った丈の短い上着、これを「ジバゥン」とか
「ジバーン」と呼んだそうで、これをまねたものとされています。
えーとですねぇ、これまたややこしいのですが、
日本は、寒さをしのぐために、「重ね着」をしてきました。
また上流社会では、十二単の「重ねることが正式、重ねることがステイタス」
という名残で、着物の下には白い小袖をきたわけです。
これは厳密にいうと「下着」ではないですよね。
「下着」というより「肌着」、今の「肌襦袢」にあたるものは
たぶんあったと思いますが、その上には着物を何枚も重ねたわけです。
それが着物の形も着方もかわってきて、衿を大きく抜いて着る、
半襟を大きく見せる、となってきたとき、じゅばんはオシャレの
重要なアイテムになっていったわけです。ジバゥンの「半分」というのは、
いいアイデアだったんですね。そこで江戸時代はまだみんな「半襦袢」でした。
それに裾よけをつけていたのです。
ここからのことについては、別記事で書いています。妙にウケた「和装下着のお話」で…。
繰り返しになりますが、裾よけについてカンタンに言いますと、
まず、江戸時代に入って盛んになった「湯屋」で、最初は湯に入るとき、
男も女もふんどしをつけました。
女ふんどしは、男のものとは違って、腰巻スタイル。
行くときは裾よけの下に湯ふんどしを巻き、これをつけて湯に入り、
帰りはとって裾よけでかえってくるわけです。
この、女ふんどしは「湯文字」と言われました。
その後、遊女たちが「長じゅばん」を着始めました。
これが一般にひろまったものが、今の長じゅばんなんですが、
遊女たちは「部屋着やガウン」という感覚できていました。
つまり、着物のようにきれいだけれど、それで外にでることはない、ものです。
職業から考えればわかることですね。
そんなわけで、それまで半襦袢に裾よけだったものが、
長じゅばんが広まってくると、半襦袢は必要なくなりました。
また湯屋のほうも後年は「裸」ではいることがふつうになりました。
そうなると、湯文字はなくなりますが、今度は裾よけが「下着」になり、
肌襦袢という「肌着」を着て「裾よけ」という下着を着て、
上に長じゅばんを着る、となっていったわけです。
もともと、半じゅばんにしても長じゅばんにしても、
かならず「衿と袖の振り」は、外から見えます。掃除などの時には、
着物がよごれないように、盛大に着物をめくって、
長じゅばん丸出しでシゴトしました。
これから見ても、長じゅばんって上に着るものではないけれど、
「下着・肌着」でもない、いわば「真ん中着」なんですね。
こういう着方をするのは、世界でも珍しい服飾文化である、
とモノの本に書いてありました。
さて、説明が長くなりましたが、そういうわけで、実は「二部式じゅばん」は、
下着ではないわけで、文字通り、上と下で「長じゅばんのかわり」、
だから白い裾よけを別に巻くのですが、それでも呼び方は
白いものも柄物も「裾よけ」なんですよ。ややこしいですね。
「腰巻」というのは、本来は「湯文字」のことなのですが、
役目や着方がかわって、これもごっちゃになっています。
ちなみに「蹴出し(けだし)」というのは裾よけのことです。
長い前振り、おつきあいありがとうございました。
では裾よけよけですが、単純に布に紐がついてるだけ。
あーおこらないでくださいましー。
少しくらい広げたお話がありませんとね。
えーと、基本的には、腰を一回り半くらいする布の腰部分にさらしをつけ、
その両端にさらしの細ひもをつけたものです。
作り方のほうを仕上げましたら、そちらをご覧いただきたいのですが、
さらしの部分の大きさとか、腰布にあたる部分の長さとか、
基本的な数字はあるわけです。
でも、一番いいのは、自分にとって使いやすい「寸法と工夫」です。
たとえば私はおチビな上「短足」なので、市販のものだとMサイズでも長いです。
かといってSだと腰に回りきらない(昔ならなぁ…OKなのにぃ)。
それで、市販の場合は、上を折り返して、さらし部分を短くしてしまいます。
ひも位置もかえねばなりませんが、裾回しおひきずりになるよりはマシ。
自分で作るときは、当然下の腰布を短くすればいいわけです。
この「さらしをつける」というのも、やせているときは
タイトスカートのように腰にタックをとって、体に沿うようにしていました。
こちらは裾よけのあれこれ。
左上が基本形です。
右上は、たとえば腰布が少したりないとき、
さらし部分を長くするという工夫。
もちろん別布をはいでパッチワークしてもいいわけです。
左下は、私がやってた「ウエストタック入り」
そして右下は「究極の裾よけ」というよりペチコートですね。
普段ならこれでもいいわけです。ただし、このままだと動きづらいですから、
両脇にスリットをいれることをお勧めします。
下につける白い裾よけの中には「東スカート」と呼ばれるものがあります。
こんな形、(わかりやすいように色つけました)
両前の内側に、大きなマチ布をはめ込んでいます。
これは、今でもありますし、特に踊り用として、色柄ついたものもあります。
このマチがついていることで、たとえば踊りの時に大きく足をひろげるとか、
何かの理由で前がはだけることがあっても、中まで見えないわけです。
また「不逞なヤカラが、手を入れてきても中までで到達できない」
というところから「身の安全のために着る」「水商売の方が着る」
なんてことも聞いたことがあります。
私は、母がずっとこれでしたので、若いころはこれしかないと思っていました。
えーと、トイレいったとき、前が左右に完全に分かれないのでメンドーです。
で、昨日の半襦袢もそうなのですが、できれば和裁の本のものを
一度見てください。本には一番基本の形が書いてあります。
それはあくまで「基本」なわけですから、その基本を元にすれば、
自分の体にあわせるとか、あるだけの材料で工夫するとか、
いろいろ考えられると思います。
ただいま、とんぼ塾用の原稿を書いているのですが、これがまぁナカナカ。
とりあえず、一両日中に、まずは「生地」のほうをアップします。
上下つくれるくらい生地があるものは、「二部式用」、
生地の少ないものは半じゅばんの「単」、少しあるものは「半無双」など
組み合わせてみたいと思っています。
お待ちくださいましー。
とりあえず写真は、私の裾よけ。おもいっきし「ポリ」です。
かわいい柄が気に入ってるんですが、静電気おきます、ははは。
さて、おととい「うそつき」のことを書きました。
ひとつお詫びがあります。
私の中で「うそつきと裾よけ」はワンセットでインプットされてまして、、
「うそつきじゅばん」とついついそう書きましたが、
正確にいいますと、あれだけだと「うそつき半襦袢」ですね。
これに裾よけがつきますと、「うそつきじゅばん」
今風に言うなら「二部式じゅばん」です。
さて、皆さんは普段着物、おうち着物のときの「着物の下」、
どのようにしていらっしゃいますか。
まぁ季節によっても違うとおもいますが、
私の場合…、比較して書いて見ますね。
お出かけ着物
1 肌襦袢・裾よけ(白無地)に長じゅばん。
2 着物スリップ(ワンピースタイプ、前打ち合わせ)に長じゅばん
おうち着物
肌襦袢にうそつき(二部式)じゅばん
寒い時期は、肌襦袢・裾よけ(白)にうそつき(二部式)じゅばん
おでかけだけどごまかしのとき
肌襦袢・裾よけ(白)にうそつき(二部式)じゅばん
暑い時期のおうち着物などは下の裾よけなしですが、
若いころは今では考えられないくらいヤセでして、
そのくせ補正が嫌いでしたから、裾よけ二枚で、腰の辺りを太らせてた…。
そして最近のように「自前の肉布団」で、補正なんかなんっにもいらないけど
今度はよる年波で「冷えないよーに」(わびしーやねぇ)着てます。
夏、家で浴衣を着るときは、上なし裾よけのみ。
さて、じゅばんのはじまり…。
もともと、着物の下には、白い小袖を重ねてきていたのですが、
16世紀ごろにポルトガルから入った丈の短い上着、これを「ジバゥン」とか
「ジバーン」と呼んだそうで、これをまねたものとされています。
えーとですねぇ、これまたややこしいのですが、
日本は、寒さをしのぐために、「重ね着」をしてきました。
また上流社会では、十二単の「重ねることが正式、重ねることがステイタス」
という名残で、着物の下には白い小袖をきたわけです。
これは厳密にいうと「下着」ではないですよね。
「下着」というより「肌着」、今の「肌襦袢」にあたるものは
たぶんあったと思いますが、その上には着物を何枚も重ねたわけです。
それが着物の形も着方もかわってきて、衿を大きく抜いて着る、
半襟を大きく見せる、となってきたとき、じゅばんはオシャレの
重要なアイテムになっていったわけです。ジバゥンの「半分」というのは、
いいアイデアだったんですね。そこで江戸時代はまだみんな「半襦袢」でした。
それに裾よけをつけていたのです。
ここからのことについては、別記事で書いています。妙にウケた「和装下着のお話」で…。
繰り返しになりますが、裾よけについてカンタンに言いますと、
まず、江戸時代に入って盛んになった「湯屋」で、最初は湯に入るとき、
男も女もふんどしをつけました。
女ふんどしは、男のものとは違って、腰巻スタイル。
行くときは裾よけの下に湯ふんどしを巻き、これをつけて湯に入り、
帰りはとって裾よけでかえってくるわけです。
この、女ふんどしは「湯文字」と言われました。
その後、遊女たちが「長じゅばん」を着始めました。
これが一般にひろまったものが、今の長じゅばんなんですが、
遊女たちは「部屋着やガウン」という感覚できていました。
つまり、着物のようにきれいだけれど、それで外にでることはない、ものです。
職業から考えればわかることですね。
そんなわけで、それまで半襦袢に裾よけだったものが、
長じゅばんが広まってくると、半襦袢は必要なくなりました。
また湯屋のほうも後年は「裸」ではいることがふつうになりました。
そうなると、湯文字はなくなりますが、今度は裾よけが「下着」になり、
肌襦袢という「肌着」を着て「裾よけ」という下着を着て、
上に長じゅばんを着る、となっていったわけです。
もともと、半じゅばんにしても長じゅばんにしても、
かならず「衿と袖の振り」は、外から見えます。掃除などの時には、
着物がよごれないように、盛大に着物をめくって、
長じゅばん丸出しでシゴトしました。
これから見ても、長じゅばんって上に着るものではないけれど、
「下着・肌着」でもない、いわば「真ん中着」なんですね。
こういう着方をするのは、世界でも珍しい服飾文化である、
とモノの本に書いてありました。
さて、説明が長くなりましたが、そういうわけで、実は「二部式じゅばん」は、
下着ではないわけで、文字通り、上と下で「長じゅばんのかわり」、
だから白い裾よけを別に巻くのですが、それでも呼び方は
白いものも柄物も「裾よけ」なんですよ。ややこしいですね。
「腰巻」というのは、本来は「湯文字」のことなのですが、
役目や着方がかわって、これもごっちゃになっています。
ちなみに「蹴出し(けだし)」というのは裾よけのことです。
長い前振り、おつきあいありがとうございました。
では裾よけよけですが、単純に布に紐がついてるだけ。
あーおこらないでくださいましー。
少しくらい広げたお話がありませんとね。
えーと、基本的には、腰を一回り半くらいする布の腰部分にさらしをつけ、
その両端にさらしの細ひもをつけたものです。
作り方のほうを仕上げましたら、そちらをご覧いただきたいのですが、
さらしの部分の大きさとか、腰布にあたる部分の長さとか、
基本的な数字はあるわけです。
でも、一番いいのは、自分にとって使いやすい「寸法と工夫」です。
たとえば私はおチビな上「短足」なので、市販のものだとMサイズでも長いです。
かといってSだと腰に回りきらない(昔ならなぁ…OKなのにぃ)。
それで、市販の場合は、上を折り返して、さらし部分を短くしてしまいます。
ひも位置もかえねばなりませんが、裾回しおひきずりになるよりはマシ。
自分で作るときは、当然下の腰布を短くすればいいわけです。
この「さらしをつける」というのも、やせているときは
タイトスカートのように腰にタックをとって、体に沿うようにしていました。
こちらは裾よけのあれこれ。
左上が基本形です。
右上は、たとえば腰布が少したりないとき、
さらし部分を長くするという工夫。
もちろん別布をはいでパッチワークしてもいいわけです。
左下は、私がやってた「ウエストタック入り」
そして右下は「究極の裾よけ」というよりペチコートですね。
普段ならこれでもいいわけです。ただし、このままだと動きづらいですから、
両脇にスリットをいれることをお勧めします。
下につける白い裾よけの中には「東スカート」と呼ばれるものがあります。
こんな形、(わかりやすいように色つけました)
両前の内側に、大きなマチ布をはめ込んでいます。
これは、今でもありますし、特に踊り用として、色柄ついたものもあります。
このマチがついていることで、たとえば踊りの時に大きく足をひろげるとか、
何かの理由で前がはだけることがあっても、中まで見えないわけです。
また「不逞なヤカラが、手を入れてきても中までで到達できない」
というところから「身の安全のために着る」「水商売の方が着る」
なんてことも聞いたことがあります。
私は、母がずっとこれでしたので、若いころはこれしかないと思っていました。
えーと、トイレいったとき、前が左右に完全に分かれないのでメンドーです。
で、昨日の半襦袢もそうなのですが、できれば和裁の本のものを
一度見てください。本には一番基本の形が書いてあります。
それはあくまで「基本」なわけですから、その基本を元にすれば、
自分の体にあわせるとか、あるだけの材料で工夫するとか、
いろいろ考えられると思います。
ただいま、とんぼ塾用の原稿を書いているのですが、これがまぁナカナカ。
とりあえず、一両日中に、まずは「生地」のほうをアップします。
上下つくれるくらい生地があるものは、「二部式用」、
生地の少ないものは半じゅばんの「単」、少しあるものは「半無双」など
組み合わせてみたいと思っています。
お待ちくださいましー。
着物スリップ、それに長襦袢を着ています。
昔はスリップの代わりに袖部分がレースや
スモッキングされていた可愛い肌襦袢を
着ていました。
自分で着る物は全て二部式襦袢にしています。
袖や半襟で季節や目的別に分けてあります。
長襦袢は、半襟付けたりはずしたりが面倒で
結局、着ずじまいです。
あ、真夏の麻の長襦袢だけは、
半襟付けたままで水洗いできるので
大活躍です。
極寒気に一日中寒い場所にいるとき以外は
室内では暑いので極力薄着にしています。
上に羽織、コートやマントを重ねることはできても
着すぎた下着を脱ぐことは出来ませんからね。
省力化が着物ライフを日常化する鍵と思っています。
襦袢に歴史があるのは当然でしょうが、長襦袢が遊郭から始まったとは知りませんでした。
そう言えば映画の遊郭のシーンではお女郎さんの衣装は長襦袢でしたね。
湯文字も腰巻きも裾除けも同一視していました。
ふんどしや湯文字を着たまま風呂に入るのはどうも汚らしいと思いますが、それ無しで入る様になったのはやはり衛生状からでしょうね。
「着物スリップ」は便利ですね。
着たおして、ヨレヨレなので、
今年は新しいのを…と思ってます。
そういえば、私がよめいりにもってきたのも、
袖がレースでした。糸がチクチクしたりして。
ネルのお腰なんてのも、まだありますわ。
うまこ様
昔の人も、いろいろな工夫があっての暮らし、
だったはずです。
今は「こうでなければ」というものが、
多すぎますね。
母の自前補正や、手作り半襦袢を
いろいろと思い出しました。
暑いのだけが…私にとってのモンダイですー。
otyukun様
ご遠慮なくー。
長襦袢、羽織、帯締め、袋帯、名古屋帯…、
女性の着物の歴史の変化は弾性よりもさすがに
華やかでござりまする。
下着をつけて入るのは、まず最初のおふろは
「サウナ」だったからです。
また混浴でもあったんですよ。
時代劇などでは時代考証のある程度の無視と、
ヌードはお銀さんまで…のせい、
なんでしょうね。