これしかないはぎれ、江戸ちり、と呼ばれるものです。
江戸と言っても、明治初期も含まれますが、えらく古いことにかわりはなし。
むこうが透けて見えるほど薄く、でもしぼはちゃんとあって、柄行は独特です。
こんな着物きてたんだろか…と思いますね。見てみたかったけど。
柄は「雪の茶室」、なにしろ暖冬ですから、
そういえば「冬だったんだ」と改めて思い出してみましょう???
ちょっと部分アップしてみました。
軸の絵は建具に隠れて見えません。香炉らしきものがおいてあります。
下の左の方に、トリミングのときうっかり切ってしまったんですが、
炉がきってあって茶釜があります。
右の窓の外には、なぜか「満開の桔梗」…なんで?
手前の大きな枝振りの木は「梅」でしょうね。
構図的に「広重」の「亀井戸梅屋鋪」っぽい感じ?
こちらはもうひとつの柄、なにしろこれでも「小紋」ですから、
180度ひっくり返して部分アップしました。
上の絵のちょうど真下の柄です。
トップの写真でお分かりのように、茶室の図柄ではあるのですが、
雪をまとった「梅の木」が構図的にめだっています。
場面分割というより、梅主体で茶室はバックみたいな感じです。
花はひとつも咲いていないのに「梅」だとわかる、日本の風景ですねぇ。
あまり寒々しくても、というわけで、やがて春がきて梅が咲きました、デカイ!
こちらは羽裏です。アイロンかける手間を惜しみました。
しわくちゃですみません。それにしてもこれで反幅です。
大きな梅だということがお分かりいただけるかと…。
黄色いのは「がく」、つまり「裏梅」といわれる柄ですね。
実際の紅梅は、もう少しピンクっぽいですね。
それにしても鮮やかです。最初から羽裏ではいったので、
どんな羽織についていたかわからないのですが、
黒絵羽だったら、ステキですね。
さてそれでは「梅」のお話。
といっても、ガーデニングは弱いので、まぁ梅にまつわるエピソードなど…。
梅は奈良時代に中国から渡来したといわれています。
もっと古いという説もあるのですが、実際奈良時代には
花といえば梅でしたから、そのあたりが広く分布した時期でしょうか。
「花といえば桜」になったのは平安時代です。
梅にまつわるお話で有名なのは「鶯宿梅」「飛梅」でしょうか。
「鶯宿梅」というのは、村上天皇の御世のお話、
帝ご寵愛の清涼殿前庭の梅の木が突然枯れてしまい、
帝は悲しんで「よい梅を探して参れ」と家来に命じました。
ようやく西の京で素晴らしい梅をみつけた家来は「帝のために」と、
その家の女主人に話をしましたところ、女主人は「帝のご勅命ならば」と
梅の移植を承諾します。そのとき枝に文を結び付けておきます。
御殿にはこばれた梅を見て帝はたいそうお喜びになるのですが、
文に気がつき、はずして読んでみると、
勅なれば いともかしこし鶯の 宿はと問わばいかに答えむ
とありました。つまり「帝のご所望とあらば梅は差し上げますが、
いつもこの梅を宿にしていた鶯が戻ってきて、私のお宿はどこへいったのか、
とたずねられたらなんといえばいいんでしょ」ってところですね。
これを読んだ風流人の帝は「これはかわいそうなことをした、
鶯のために梅を返してやりなさい」と言った…と言うお話。
何回も掘り起こされて移動させられた梅には、とんだ迷惑だった…
という話し…じゃありませんからっ!
以前、長岡京の「錦水亭」というたけのこ料理のお店に、
「鶯宿膳」という、有名なお料理があったのですが、今はないみたい…。
あっ、お店はありますよ、すんごいりっぱな料亭ですが、ランチもあります。
もうひとつのお話「飛梅」は、有名な菅原道真の故事ですね。
讒言にあって、大宰府に流されることになった道真が、
都を去ることが決まって、いつも愛でていた梅に向かい、
東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ と詠んだ…、
東風が吹いたらちゃんと咲くんだよ、あるじがいなくなったからといって
春をわすれないようにね…という、ちょっと自信過剰気味の歌??
結局、梅は主・道真がいなくなったことにたえられず、
一夜にして大宰府まで飛んだ…というのが「飛梅伝説」。
見たかった、梅が飛ぶとこ…。
なんか茶化してしまってすみません。決してつまらない話だなどと
思っているわけではありません。ことほどさように、梅という植物が、
長い長い間、人に愛され人とともに今も在る、ということが
とてもすごいと思っているのです。
今年は梅が早く咲いちゃいました。梅の実のできはどうなるのでしょう。
梅干、梅酒、お作りになられた方からの「現物での結果報告」お待ちします??
本日のおまけ写真、和紙のポチ袋、手作りです。
左の総柄は、柄のある和紙をそのままカットして作ったもの、
粋な縞柄のものだけ、裏側を見せてます。
右の無地のものは、無地和紙で作って柄の和紙から模様を切り出して貼ったもの、
真ん中の小さいのは、硬貨用です。500円玉にちょうどいい大きさです。
又聞きのお話なんですが、外国でこの袋にチップを入れて渡したら
とても喜ばれたと…。チップを払うような旅をしていないので、
どれだけ入れたのかはわかりませんが…。
さて、昨日の天気予報で、冬が一ヶ月ズレて来る…
つまり、今月からは寒くなる、のだそうです。
インフルエンザの流行も、ズレこんで今月末からとか。
今まであたたかかったですから、ゆめゆめご油断なきように。
さてその時の話に、鶯は紅梅を好んで・・・とあり、鶯って本当に赤の梅にだけよるのか?と不思議に思い、ネットで問いかけ、
そのときの答え「鶯はにおいに寄るのであって、色は関係ないね、茶人が赤のほうがきれいだと思ってそういう話にしたんだね」という話、本当はもっと古い村上天皇の時代の話だったんだね、納得、でもそれって紅梅でした?あの時代は白のほうが一般的では?
もっとも蒔絵は赤のほうがきれいではありますね。
古木に真っ白な雪のような白梅が好きで毎年
見ていました。子供だったのになぜあんなに
あの梅が気に入っていたのかしらと思いますが・・
味気ないことですが、鶯も他の鳥たちと同じで「梅の香と蜜に寄る虫」のために寄るのです。元来、花も虫も鳥も、人間のために咲いたり飛んだりしているわけではありません。ちょうど時期的に春に先駆ける美しいものとしての取り合わせ、ということです。実際には雀だってカラスだってとんできたはずですから。ミもフタもない言い方ですが、雀と稲穂、つばめと雨とかも、美しい、或いは時節らしい「取り合わせ」ということです。
また、梅はたいへん交雑しやすい種ですから、昔から紅梅白梅はあったようです。人気があったといわれるのは「紅梅」で、「鶯宿梅」も紅梅のようです。かの時代は「色」というものを得るのが今よりずっと難しい時代でした。私たちは今、絵の具でもペンキでも自由に手に入れられますし、売っているものも全てカラフルです。しかし、かの時代は虫の体液で桜色に染めるとか、貝で紫に染めるとか、花や草で染めるとか、そうしなければ、美しい色をめでることはできなかったわけです。だから自然の中の空の青や、山の緑、花の赤や黄に、心惹かれて美しい文章なども残ったのではないかと思います。そういう状況にあれば、色のない白よりも、赤の梅の方が好まれた、と言う気持ち、わかるような気がしませんか?
陽花様
私も、実は「白梅」の方が好きです。
梅の木の幹って茶というより「黒」っぽいから、
とてもコントラストがいいんですよね。
紅梅のあのこいピンクなら、桃のほうが、
もっと濃くてきれい、あら紅梅さん、ごめんね!
ひとつの樹に紅梅と白梅の花が咲く『五賢の梅』は割と有名らしく、観光される方がたくさんいらっしゃいました。
天神さまの側を離れてから初めて『お太鼓結び』が天神さまのお太鼓橋が由来だと知って、もっと早く知っていたら感慨深かったのにぃ~、と後から思いましたが。( ^^;)
( なんせ子供の頃からのお散歩コースなので、恥ずかしながらいろいろと深い意味を考えた事がなかったのです )
数年前に太宰府天満宮に行った時は、心字池が工事中で非常に悲しい思いをした記憶があります。
さだまさしの『飛梅』って歌、ご存知ですか?
あれを唄いながら、心字池に架かる3つの赤い橋を渡りたかったのに・・・。(T_T)
ところで、
『見たかった、梅が飛ぶとこ…。』ってとこで、あやうくコーヒー噴きそうになりましたョ。
あぁ、このコーヒーと一緒に梅ヶ枝餅が食べたい・・・。
いいですねぇ、木のある庭…。
「木」と言わず、「梅林・桜林」といきますか。
春は宴会続きになりそう?!
梅は丈夫なので接木とかで紅白咲かせることが
出来るんですよね。たいしたやっちゃ!!
私、以前船橋でしたから、亀戸とか錦糸町とか
いきました。亀戸天神は藤も有名ですよね。
それで見にいったんですが、
なんとその年は藤が早くてもうぼそぼそ…。
「藤だったらしい花」を見て帰ってきました。
大宰府の梅も見てみたいです。
コーヒーと梅ヶ枝餅、ミスマッチだけどおいしそっ!
梅と言って思い出すのは私もさだまさしです。ちょうど学生時代にデビューしたはずで、『飛び梅』も好きな1曲でしたね。なんか悲しい結末の恋の歌らしいのに、歌を聴いて「行ってみたい」などという女の子がいたりして、首を傾げた思い出があります。「お前、失恋に憧れとるのか?」と聞くと、「違うとは言い切れないけど、そういうわけでも無い・・」とか言われて、いまだにわけ分からん・・・。梅ヶ枝餅は・・・、甘いんだったらパスです。
着物としてはどうだったんでしょうねぇ。
「失恋で、はかなげに憂えるジブン」ってのに
あこがれちゃったりする…女心?
梅ヶ枝餅って確かつぶあん…。
ヒロをぢ様は「梅酒」ですね。梅茶もありまっせ!