写真は焚火とは遠い親戚??の七輪(かなり無理があるっ)です。
思いつかなくてこんな写真です。すみません。
先日深夜に、NHKで「魂のタキ火」という番組を見ました。
いつもはゲストが焚火を囲んで…という対談番組らしいのですが、
その時は「特集」…でどうだったかと言いますと、30分、ひたすら「焚火」がうつっているだけ。
ゆらゆら揺れる炎の先の方、燃えて細りつつある薪、あたりは暗闇、
ナレーションもBGMもナシ、聞こえるのはパチパチという音だけ。「癒しの」というサブタイトルがついていました。
癒し、とは最近よく聞く言葉ですし、自分もたまに「あ~いやされるぅ」なんて言ってますが、
「癒す」とは、元々治す、和らげる、と言う意味。
確かに現代人は心も体も疲労困憊だったり、もう病んでいたり、なのかもしれません。
ただただパチパチと爆ぜながら燃える焚火をみていることで、癒されるというのは、
逆にそんなにも病んでいるのか、と心配になります。
私も焚火は好きですが、癒されるというよりは懐かしいことをたくさん思い出して、
なんだかほっこり…あ、ほっこりするのも「癒される」うちでしょうか。
最近はやたら庭先で焚火なんてできなくなりました。
お寺とか神社とかあれば、たまに見かけるかもしれませんが、ここにはそれもなし…。
焚火を見たのはいつだったかなぁ。
子供のころ、住宅地の真ん中に空き地があって、そこでたまに焚火をしていました。
たぶん、その空き地の枯草など燃やしていたのだと思います。
草取りを思い立った近所の人が…という感じでしたね。
私たちはみつけたとたんに「焚火だぁ」と群がる…燃え具合を見ているおじさんやおばさんが、
あんまり近寄ると危ないよ、なんていってくれました。
たまに「おイモ入ってるからあとでね」なんてサプライズもありましたっけ。
風が強い日はもちろんしませんが、それでも風は気ままに吹くもの、
焚火の周りのどこかに向けてふいに風が吹き、煙がもわぁっとそっちに向かう…
そこにいた子たちは「わっ煙い、煙い!」と煙をくぐって逃げ回る…
それを見ながらケラケラ笑っていると、突然煙が向きを変えてこっちにきたりする。
またまた大騒ぎ、大人も笑いながらケガのないようにと見守ってくれている…。
そんな風景が、秋から冬にかけて、何度か見られたものでした。もう60年から昔の話です。
今の子供たち、あの煙の臭い、けむったくて息が詰まる感じ…知らないでしょうねぇ。
母は「焚火にあたるときは、決して後ろを向くな」と言いました。
服に火が移ることがあるから…実は母が一番好きだった叔父が、若いころにそれで
命を落としかねない大やけどをしたことがあったからです。
最近は、服の素材そのものが熱で溶けたり、燃えやすかったりして、
焚火どころか、ガスコンロでも火事の元、やけどの元と言われて、注意喚起などがありますね。
焚火が趣味、とおっしゃったのは、亡くなった渡哲也さんでしたね。
焚火のそばに立って、両手を伸ばして手のひらを火の方にかざす…
まさに「ただしい焚火の当たり方」みたいな写真を見たことがあります。
太古の昔「火」を手に入れた人間が、動物の頂点に立った…
あの頃から「火」は人間にとって特別なものになったのでしょうね。
癒しの火、浄化の火、時として恐ろしいものでもあるけれど…。
私が思い出す大きな焚火は、ただただノスタルジックな時間を運んでくれるもの、
あららやっぱり「癒されている」のでしょうね。
焚火…キャンプでも行く?…いやいや、アウトドアは苦手ょぉぉ。
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