あまりのおもしろさに、ついポチッとしてしまった一枚…仕立て直して着ようかな?!
いわゆる裏勝り、も含めて、日本人は「見えないオシャレ」「見えないきかせワザ」が好きですが、
男物のじゅばんは、女性のように袖に「振り」がない分、よけいにほとんど外には見えません。
そこでこういう「主義主張」と言いますか、時には批判、批評、からかい、更には揚げ足取り…みたいな、
こんな柄を染めてしまうていうところ、昔の人のしゃれ心も気概も感じます。
さて、柄をよく見てみますと…
「清い一票明るい日本」…棄権するな…と言ってますね。今も同じですっ!
「棄てるな迷うな貴き一票」…なんて文字もあります。
新聞記事の絵があります。昭和3年1月21日… 衆議院解散の記事です。
もっとも苦手な「近代史」、ほんっと好きじゃありませんでした。いや、今でもですが。
ともあれ…お得意のおおざっぱ説明ですが、維新後、議会政治になったとはいえ、それはまだ不完全極まりないもの。
それでいろいろ「政治はみんなでやらねばよ」…と、政党ができたり消えたりくっついたり離れたり…。
つまりこれまた今とかわりゃしないわけですが…。
そんなわけで、この「昭和3年1月21日」というのは、当時の衆議院が解散
当時の民生党と政友会という二大政党の争う選挙になった…というこれはほんとのことです。
このとき初めて「普通選挙法」による選挙が行われました。
いやもう細かい歴史なんぞはすっかり忘れてはおりましたが、
それまでは25歳以上の「納税額が規定以上の人」しか選挙権がなかった…というのは覚えておりました。
このときの選挙から「25歳以上の男子なら誰でも」になったそうです。近代史寝てたからなぁおぼえてないわー。
このじゅばんの柄は「選挙権が平等にもらえたんだぞ。だからちゃんと政治に目を向けて考えよう。
棄権しちゃダメだぞ。国を変えるのはわれわれなんだぞ」というアピール柄ですね。
民生党を応援しているようにみえます。
この「マンガちっく」な絵は、当時の政党を揶揄したものですが、
「らちのあかない小田原評定」とあります。「ひょうてい」ではなく「ひょうじょう」です。
この「小田原評定」なんていうたとえも、若い人は使いませんよねぇ。
いや、私だって使いはしませんが、知ってはいます。
元々「小田原評定」そのものは、戦国時代の、いわば「会議の名前」です。このアタリはワカルっ!
当時の支配者北条氏(鎌倉幕府の北条家ではなく『北条早雲』の方です)が毎月開いていた、
いわば定例会議のこと。重臣たちを定期的に集めて意見を聞いて、あれこれ決めていたわけです。
この会議の方法自体は、専制的でなくて、よい行政の方法である、と評価されてるはずです。
今「小田原評定」というと、あぁでもないこうでもないと、時間ばかりかかって結論が出ないことをいいますが、
そんなことになったのは、豊臣秀吉が小田原に攻め入ってきたときの戦のため。
篭城して戦うほうがいいの、いや出て行って戦ったほうがいいの…まぁそんなことがあれこれあった上に、
結局、主要だった城を次々落とされて負け戦になり、北条氏は滅亡しましたから、
せっかくの進歩的な方法であった会議も、「やってもムダ」なことのたとえになってしまったわけです。
これを着ていた人は、どんなひとだったんでしょう。
右往左往して、なかなか国民の不満もおさまらない世の中で、着物の下に「なんとかしろやい」と、
思いをおさえこんでいたのでしょうか。
選挙柄は、まぁ内容にしても絵ヅラにしても「男物」に使われます。
過去にはこんなのを載せています。こっちの方がデザインとしてはしゃれてますね。
言論の自由で、誰を支持しても特別とがめだてられることはない今、逆に「百鬼夜行」かなんかで、
「妖怪二枚舌」とか「せんみつ(千に三つしかほんとがない)」とか「猫叉」ならぬ「たぬき叉」とか…、
独創的なのができそうなきがしてしまう~。
このブログで政治にかかわることを書くつもりはありませんが、
未曾有の災害とやたらな天災、避けられたはずの人災で、今年の日本はガッタガタです。
今年ももうあと二ヶ月ちょっとしかありません。少しでも夢をもてるような年の暮れを迎えたいものです。
遠い昔に平塚らいてう、市川房江さん
という方達が運動されたと聞いたような
記憶ぐらい・・・苦手でした。
20歳になったら選挙権という時代と違い
自分達でもっといい世の中にしたいと
頑張って下さったおかげで男女平等に
なったのではと思います。
今は見ていると、誰がトップになっても
足を引っ張るばかりでバックアップして
日本をよくしようというのが見えないです。
盛りたてて共に・・という気にならないのでしょうか。
様々な事がすらすらと出ていらっしゃる
頭の中が(は?)すっきり 綺麗に整理されているとお見受けしました
ご近所の人や友人の類と 政治と宗教の話は御法度ですが
はがきに押すスタンプそのものもとても素敵でいい記念になりました。
私が着物を手に入れられるようになったのはリサイクルショップのおかげです。呉服屋の定価で買うなんて夢のまた夢。
不勉強で失敗もたくさんしましたが、最近はそれも授業料だとおもえるようになりました。
売るほうも買うほうも損をしないよう眼を光らせてるっていうのは、美しいことではありませんよね。お互い最低限の礼はだいじにしたいものです。
こういうのをみるとワクワクしてしまいます。
男物の襦袢や羽裏には本当に感心させられるような面白いものがありますね。。。
この面白さが古布の魅力の一つだと思います。
一度とんぼさんのコレクションを見てみたいものです。。。
シリーズでお願いします。是非に!!!
と勝手なお願いを書いてしまいました。。。
考えたら、日本ってまだまだ遅れてますよね。
今の日本は危機感ないような気がします。
町内会の揉め事みたいに、チマチマやってて、
大きなものが見えてなくて…。
国会のヤジの飛ばしあいやら、足の引っ張り合いやら
そんなの見ているとがっかりします。
どうなっていくんでしょうねぇ。
いえいえ、ぼんやり覚えているだけで、
いちいち確認せねばなりません。
おまけに新しいことは覚えられないし、
整理どころか、記憶の引き出しは
ガタピシいってなかなかあきません。
困ったものです。
落合ほたる、お出かけになられたのですね。
手ぬぐいゲット、よかったですねぇ。
ものを売る買う、というのは、一緒に気持ちも
やりとりすることだ、と母が言ってました。
今はほんとに損得ばかりで…寂しいですね。
もうこんなのが今は作られないのが、
残念でなりません。
こういう感性って育てないと消えちゃうんですよね。
いずれ羽裏とかじゅばんとか…写真で
並べてみようかと思っているのですが、
その前に「どこにナニが入れてあるか」…。
アタマの中の整理をしないとイケマセン…。
(そぉーっと)ティシュどーぞ…。