無関係画像ですが…ももたろさん柄、の子供着物です。
あの「江戸KIMONO展」の時にお話しました「留守模様」ですね。主役の「ももたろさん」がいません。
鬼が島から持ち帰った「宝物」と、お供の三匹。
あら、雉と犬はいるけど、猿は??
あららこんなところにいました。これは「猿ぼぼ」ですねぇ。
そういえば犬もちょっとお人形みたいな…。
だったらはっきり「雉車」に「犬張子」にすればよかったのに…などとケチつけたりして。
最近は子供に着物を着せなくなって…こういう柄を見るたびに「残念だなぁ」と思います。
さて、また古着のお話しです。
よく「着物って新品でも古着だと安い」とか「古着なのに高い」とか、いろいろ聞きます。
正直、古着の相場なんてあってないようなもの…と思うのがヤフオクですね。
元々このあたりも、時代の流れ…で、ああだったのがこうかわった…があるわけです。
まず、江戸時代は古着屋が多かった…という話は、着物好きならご存知と思いますが、
それは「みんなほとんどビンボー人」だったこと、身分制度が厳しくて、着るものにも制限があったこと、
木綿が一般的に流通しはじめたこと…です。
ただ「一般人が着られる」といっても、イコール「買える」という水準ではありません。
新品の反物などは、一生のうちにそう何度も買えるものではありませんでした。
養蚕や木綿作りをする土地に住む女性は、くず繭や残りの木綿綿などで、自分や家族のものを織ったりはしましたが、
それとても、毎年何反も豊富に作れたわけではありません。
つまり…昔、着物は「古着屋で買うもの」という層がほとんどだったわけです。
そして今私たちが古着を買うのと大きく違うのは、それは何度も洗われ、縫い直され、着倒され…
時には、また売られたりもしたのです。
元々が、当時の女性は「縫い物と自分の髪を結うことができて一人前」といわれました。
また、着物は同じきまりごとで同じように裁断され、同じように縫い合わされます。
全て長方形で、洋服のように曲線に裁断することはなく、また縫い代も切り落としません。
だから、傷んでくると、アッチの身頃に、コッチの袖…だの、これとこれをついで、身頃の幅にして…と、
パズルが行われて何度も着物として再生されたわけけです。
ただつなぎあわせるだけでなく「美しくつなぐ」ことも、盛んに行われました。
西馬音内の「端縫い着物」は、その最たるものです。
だから古着屋は「古手」と呼ばれて、庶民たちにとってはたいそう便利なもので、店数も多かったわけです。
着物は究極のエコな衣装であるといわれるのは、その最後まで繰り回す技術があったからです。
当然、当時の古着屋ではハギレも売りました。身頃はボロボロでも袖はなんとか…なら袖だけ売る、
何かに使って解かれたハギレも売る…。
買い手は「これがあれば、あの着物の傷んだ袖を取ってつけられる」なんてこともあったでしょう。
古着屋はただの呉服屋ではなかったわけです。また「ぼてふり」と呼ばれる行商でも、
古着は売られましたし、また「買い」ました。
当時は着物に関しての作業は全て「手作業」です。
絹は蚕のえさの桑を育てるところから、木綿は綿を植える畑を耕すところから…。
機械が使われるところは何もなかったわけですから、当然今の時代のように大量生産はできません。
全ての人に、安く新品が提供できるはずもなく、価格も高くなります。
だから、絹も木綿も、古着であってもイザというときは「お金に換えられるもの」だったわけです。
親が嫁入りの時に新しい着物を持たせるのは、着ることもですが、何かあったら売れるものだということも、
含んでいたのですね。買取価格は安くなっても、それでもお金になりました。
今で言うなら、貴金属みたいな役目も果たせたのですね。
その後時代が変わって、生活水準が上がる、機械の導入で、大量に作れるようになる…、
そんなことから「古着屋」はほんとの古着売り、になりました。
でもまだ自分で縫える人が多かった時代は、うちで着るならこれでいい…もあったと思いますが、
その後、自分で縫うことも洗うこともできない人が、もとい、しない人が多くなって…
いまや「お出かけ着」を古着屋で買う時代です。高い安いは、私は「本人の価値観による」と思います。
古着と言っても「新古モノ」といわれる、現代にごく近いものと
「アンティーク」と呼ばれる、今はもう作られていないもの、希少なものがあります。
華やかな錦紗や、柄の素晴しい鬼しぼちりめん、縫い取りお召し、しゃれた羽裏や、ポップな銘仙…
そういうものは「希少価値」という「上乗せ」がありますから、多少のダメージがあっても着られれば高くなります。
近代に近いものは、目立つシミや汚れがあれば「値引きの理由」になります。
そのアタリの価格のつけ方は、もう素人にはわかりませんね。
とりあえず、まず自分としての予算、その範囲内で買う…最初にするのはそれです。
相場があってないようなもの、とはいっても、着られるかどうかぎりぎりの銘仙が3万5万、なんていったら
そりゃ高いと思うでしょう。場合によってはそのお店の場所代、名前代が上乗せ…もあったりします。
でも、もし3回着たらお尻がビリビリに切れたとしても、着たことに納得できればいいわけです。
高かったけど、ダメージあってもどうしても着たかった、着て写真も撮った、楽しめた、あとは飾って楽しむ、
だから3万高くない…と思えるなら、それはそれでいいと私は思います。
「ずっと着られると思ったのにたった3回でお尻切れちゃったじゃないのー」そういうことのないように、
前のお話の「着られるものかどうか」を判定するチカラをつけることです。
そういう知恵や力をつけることは「こんなはずじゃなかった」をなくすことに役立ちます。
さて、次はオークションのお話しになりますかね。
オークションもさまがわりしてきましたねぇ…。
大切にしまっているのは、今の時代のように
手に入らなかったからなんですね。
一度も着ていない着物でも、売るとなると
最近は目方なんだとか・・・
60年ぐらい前は、質屋さんへ着物を持って行くとお金を貸してもらえたと聞きました。
今とはエライ違いですね。
「お友達の○○さんは、70歳になって、もう着物は着られないからと、業者さんに取りに来てもらったら、着物と帯10枚で1万円ですって!」
びっくりして、別のお店をやってる方に聞いたら、自分も引き取りの場合それに近いと。
なんだかな。。。洋服の国では一般人は日本人ほど服を持ってないというし。たくさん持つことに価値のあった時代の感覚のままで、低価格ライフの現在に至る、どうも貧しい感覚のような。
何か大切なものを置いてきた気がしてなりません。
ちなみに終戦時、学校前の子供だった母は、東京から食料を求めて着物を売りに来た都会の人が怖くて忘れられないそうです(^^;)未だに嫌ってます(^^;)
人気が高まれば値段はもとより、売る場所も買う人間の層も変わるんですよね。
これは商売は需要と供給ですから当たり前だとは思います。
でも、老舗古着屋など寸法と状態とで値段を付けるやり方はほぼ昔のままでやっているようです。
変な趣味だとこういう状況は有利なんですよね~♪ムフフフ
この夏一番気に入っている買い物は、状態&寸法十分な紅絹裏黒地縞お召し210円です。
ああ、これだから古着屋通いは止められない!
今はもうオークションから手を引きつつあります。
針仕事しないのも寂しいですよね。
小さなハギレでもつなげれば大きくなるのに。
ほんとに今目方だったり、逆に廃棄物処理で、こちらがお金をはらうなんてことも…。
どこかヘンですよね。
一時期「使い捨て」がリッチなように言われた時代がありました。
ものを大切にするのは、数があってもなくても同じだと思うのですが、
日本はなんかどっかヘンになってます。
今、何でもかんでも「安い安い」と騒ぎますが、
なんかむなしい気がしています。
昔からの「積み重ね」があるところは揺らがないのですよね。
京都の新しい、今風のショップにいくと、
ナニが基準やねん…みたいな価格で驚きます。
オークションも様変わりで、見るべきものがありません。
それにしても「変化」のスピードが速すぎるのも、
いろんなものを振り落として進んでる気がしますねぇ。
500円だった と言って帰ってきました。
嫁の私は何も言えず・・・(あぁ~あ 勿体ない・・・)
時代小説を読んでいると 街中に古着屋をはじめ
鍋釜から布団などを貸し出すお店も大流行りだったようですね