写真は「美しい着つけ」のためのページの写真、29年の本です。
つまり「こうやって着ると、こんなに美しく着られますよ」というページ。
だいたい、こういう本は、今も昔も出ているヒトは「美しくスマート」です。
通販のカタログなんてのは、そのヒトが着てるからそう…なのであって、
それにつられて買って着てみたら「なんでこーなるの」になる…んですね。
ですから、昔のヒトがみんなこうだった、ということではなく、
こう着ましょうというノウハウ本なわけですが、
私はこれを見て、いや、きれいに着られんでもええわ…と思っちゃいました。
この時代に生まれてなくてよかったです。
ではそのノウハウをば…、まずは、こちらの写真を…。
これは、最初のボディメイクですね。右の「胸のほっかむり?」は、
着物用バストの整え方。
原文をそのまま載せてみましょう。
胸は手ぬぐいか晒を、お乳の上で写真のように結び、左右へ綿を入れて、
ふっくらとなだらかな丸みをつけます。
ここからは読めると思うのですが「ブラジャーでは乳首の辺だけが
高くなってしまう」とあります。
いってることはわかるし、この時代は「着物ブラ」がなかったから、
これなのでしょうが、なんとも…。更に下の方は読んでみると、
「下腹はさらしを巻いておなかの肉をキュッとしめて、
みずおちの方へおしあげよ」とのことなのですが…。
それでお肉全部が押しあげられりゃ苦労はシナイ。
ちなみに晒のまき方は最初まっすぐ、二周目からは「ゲートル巻き」、
ゲートル巻きなんていったってわかるヒトは…はい知ってます!
岩田帯を巻いたことのあるヒトならご存知です、
あの「オナカの真ん中で反対側に折り上げて巻いて、
ぐるっとまわってきて、また前で反対に折り上げて」です。
ゲートルと言うのは、戦争中、男性が足のふくらはぎに巻いた、
いわば「巻きつけ型脚絆」です。
それにしても、この「ボディメイク」胸こそ「寄せてあげて」はないものの、
なにこの腰の細さ…。ここまで締めるか?
この下「さらしグルグル、ゲートル巻き」でっせ?
さて、もう一度深呼吸をば…ここからがまたすごいです。
土台ができたらつぎは襦袢を着ます。
三枚続きの写真です。
一番左はなんぞや…のちほどごせつめー致します。
その前に「長じゅばんには背中央の袖付け並びに、衿肩明(あき)の幅だけ、
腰紐の中央を縫いつけておきます」と書いてあります。
つまり今で言うところの「衣紋抜き」がわりに、襦袢に紐をつけておくわけです。
まず右から…説明によれば「乳首の真上に腰紐を」
「腰にたるみを作らないようにして左脇で結ぶ」のだそうです。
次に「胸と腰の間のたるみを伊達巻でしめ、上を紐でおさえ」
さてここからがややこしい…、「まんま」書きますと
後袖付け並びの紐を(縫いつけた紐ですね)斜め下にひっぱって前で交差させ、
後ろでひとつ結んで最後は縫いつけたところの左右にひっかけて結ぶと
背中のしわがなくなり、形よく繰越がつきます、だそうです。
一番左の、まるで「罪人を縛り上げたがごとき紐のくくり」は、
結局、背中にできる余分なしわやたるみを、最初からまとめてくくっとけ!?
らしいですー。
あまりにすごいのでアップで一枚、見やすいように色を変えてみました。
そしてこの「最初の美しい着方」の写真の下にあった説明、
「初めて和服を着る方でも、らくに着られて着くずれず、
すっきりと美しい着付けのこつを、順を追ってご紹介いたしましょう」です。
いやまぁ「崩れない」とは思うけど、「らく」には着られないでしょー。
このページの指導者は「山野愛子」さま…。
こういう着付けできれいにきた普段着、ハイもいちど深呼吸!
普段着ですから、ことさら衿を抜いてません。まるで「チャイナ服」のようです。
帯はそれぞれアップリケとかパッチワーク、と新時代のテクのお勧めです。
つまり、何度も言うようですが、今までの着物の「ズルダラ」としたイメージ、
「なよなよと柳腰」「しまらない全体像」を払拭し、
きちんとスマートに、シャープに颯爽と…ですかねぇ。
ちなみに40年の本にもこの「着つけ」のページがありますが、
すでに「腰布団」とか「和装ブラ」とかが出てきます。
「罪人縛り風」はなく、腰紐をしめたら下にひっぱりましょう、だけです。
結局、着物はラクに着るものなのですから、洋装に近づく着方は、
ボディメイクからして正反対の和装と洋装では、土台ムリがあったわけですね。
私が生まれてからの時間の中では、さすがに戦後すぐの着物の記憶はなく
着物の変遷は昭和40年代からのことが、思い出されますが、
着物全体の歴史の中で考えれば、この時期は
「戦争という大きな波に飲み込まれて一度は沈没しかけ、
必死でもがいて浮き上がり、なんとか生き延びた…」という、
着物にとっての1000年の中でまさに命がけの一大事の時期だったのですね。
時代時代でかわるとはいえ、元々は「基本」のあるもの、
基本的なことは大切に、そして時代に合わせて変えてゆき、
そしていつも「楽しく」着続けたいものです。
ハイ、最後にもう一度深呼吸!お疲れ様でした。
つまり「こうやって着ると、こんなに美しく着られますよ」というページ。
だいたい、こういう本は、今も昔も出ているヒトは「美しくスマート」です。
通販のカタログなんてのは、そのヒトが着てるからそう…なのであって、
それにつられて買って着てみたら「なんでこーなるの」になる…んですね。
ですから、昔のヒトがみんなこうだった、ということではなく、
こう着ましょうというノウハウ本なわけですが、
私はこれを見て、いや、きれいに着られんでもええわ…と思っちゃいました。
この時代に生まれてなくてよかったです。
ではそのノウハウをば…、まずは、こちらの写真を…。
これは、最初のボディメイクですね。右の「胸のほっかむり?」は、
着物用バストの整え方。
原文をそのまま載せてみましょう。
胸は手ぬぐいか晒を、お乳の上で写真のように結び、左右へ綿を入れて、
ふっくらとなだらかな丸みをつけます。
ここからは読めると思うのですが「ブラジャーでは乳首の辺だけが
高くなってしまう」とあります。
いってることはわかるし、この時代は「着物ブラ」がなかったから、
これなのでしょうが、なんとも…。更に下の方は読んでみると、
「下腹はさらしを巻いておなかの肉をキュッとしめて、
みずおちの方へおしあげよ」とのことなのですが…。
それでお肉全部が押しあげられりゃ苦労はシナイ。
ちなみに晒のまき方は最初まっすぐ、二周目からは「ゲートル巻き」、
ゲートル巻きなんていったってわかるヒトは…はい知ってます!
岩田帯を巻いたことのあるヒトならご存知です、
あの「オナカの真ん中で反対側に折り上げて巻いて、
ぐるっとまわってきて、また前で反対に折り上げて」です。
ゲートルと言うのは、戦争中、男性が足のふくらはぎに巻いた、
いわば「巻きつけ型脚絆」です。
それにしても、この「ボディメイク」胸こそ「寄せてあげて」はないものの、
なにこの腰の細さ…。ここまで締めるか?
この下「さらしグルグル、ゲートル巻き」でっせ?
さて、もう一度深呼吸をば…ここからがまたすごいです。
土台ができたらつぎは襦袢を着ます。
三枚続きの写真です。
一番左はなんぞや…のちほどごせつめー致します。
その前に「長じゅばんには背中央の袖付け並びに、衿肩明(あき)の幅だけ、
腰紐の中央を縫いつけておきます」と書いてあります。
つまり今で言うところの「衣紋抜き」がわりに、襦袢に紐をつけておくわけです。
まず右から…説明によれば「乳首の真上に腰紐を」
「腰にたるみを作らないようにして左脇で結ぶ」のだそうです。
次に「胸と腰の間のたるみを伊達巻でしめ、上を紐でおさえ」
さてここからがややこしい…、「まんま」書きますと
後袖付け並びの紐を(縫いつけた紐ですね)斜め下にひっぱって前で交差させ、
後ろでひとつ結んで最後は縫いつけたところの左右にひっかけて結ぶと
背中のしわがなくなり、形よく繰越がつきます、だそうです。
一番左の、まるで「罪人を縛り上げたがごとき紐のくくり」は、
結局、背中にできる余分なしわやたるみを、最初からまとめてくくっとけ!?
らしいですー。
あまりにすごいのでアップで一枚、見やすいように色を変えてみました。
そしてこの「最初の美しい着方」の写真の下にあった説明、
「初めて和服を着る方でも、らくに着られて着くずれず、
すっきりと美しい着付けのこつを、順を追ってご紹介いたしましょう」です。
いやまぁ「崩れない」とは思うけど、「らく」には着られないでしょー。
このページの指導者は「山野愛子」さま…。
こういう着付けできれいにきた普段着、ハイもいちど深呼吸!
普段着ですから、ことさら衿を抜いてません。まるで「チャイナ服」のようです。
帯はそれぞれアップリケとかパッチワーク、と新時代のテクのお勧めです。
つまり、何度も言うようですが、今までの着物の「ズルダラ」としたイメージ、
「なよなよと柳腰」「しまらない全体像」を払拭し、
きちんとスマートに、シャープに颯爽と…ですかねぇ。
ちなみに40年の本にもこの「着つけ」のページがありますが、
すでに「腰布団」とか「和装ブラ」とかが出てきます。
「罪人縛り風」はなく、腰紐をしめたら下にひっぱりましょう、だけです。
結局、着物はラクに着るものなのですから、洋装に近づく着方は、
ボディメイクからして正反対の和装と洋装では、土台ムリがあったわけですね。
私が生まれてからの時間の中では、さすがに戦後すぐの着物の記憶はなく
着物の変遷は昭和40年代からのことが、思い出されますが、
着物全体の歴史の中で考えれば、この時期は
「戦争という大きな波に飲み込まれて一度は沈没しかけ、
必死でもがいて浮き上がり、なんとか生き延びた…」という、
着物にとっての1000年の中でまさに命がけの一大事の時期だったのですね。
時代時代でかわるとはいえ、元々は「基本」のあるもの、
基本的なことは大切に、そして時代に合わせて変えてゆき、
そしていつも「楽しく」着続けたいものです。
ハイ、最後にもう一度深呼吸!お疲れ様でした。
息が詰まりそうでしたわ。
でも、昔の方の姿勢の良さの秘密を知ったような
気がしました。
これじゃ、だらしない格好は出来ようがありませんものね。
もちろん当然、所作も綺麗だったことでしょう。
祖母に、お行儀をうるさく言われたのも道理だった
わけですね。
それが役立ってるかどうかは、まったく別ですが・・・。
私は多分一時間も着ていられないかも
しれません。見ているだけで息苦しく
身動きが出来ないような気さえします。
少しでも楽な着付けをと思っている私は
この時代でなかってよかったこと・・です。
昭和50年頃、着付けてもらった写真を
今見ると、いつも首が詰まっていて
あまり好きになれません。
このころの流行だったんですね。
もっとも母のお気に入りの美容院の先生で
着付けは苦しくはなかったですけど。
母は一年中、着物を着ていました。普段着は、まだ上等なウールが出回っていませんで、モスの袷、銘仙の袷などなど、板張り、伸子張りの手伝いをしました。
ふのりでしたよね。
着物は生地が弱いので、大きな前垂れをしてまして、その上に割烹着、でもこんなに衿のつまった着方はしてなかったような。
モデルさん、はやらせようとした着方が衿つまりでしたでしょうが、実際の庶民の着方は、自分に合ってるというようなものだったのかもしれません。ブラジャーの存在もしらず、着物に似合う、胸ぺったんこ、胴長の体型、メリハリなしの体型は、着物にぴったりだったのだと思いますが、こんな窮屈な着方は、やはり本の中のものだったのかもとは思います。
それにしても、随分ひっつめて着てるのですね。身動きができるのかしら?って思うほど。
私の母も真夏以外は、ほとんど着物で過ごしていましたが、こんなきっちりした着付けではなかったです。普段着では、寅さんの映画にでてくる、おばちゃんに近いものでした。
いゃそれにしても、振袖とかの正装で、胸紐を胸のすぐ下で締めるのだって『苦しいよな~』とか思うのに、それを胸のてっぺんで締めるなんて、いくら胸のない私でもそれはご勘弁。。。
いやでももしかして、両胸に綿とか詰めるんだから私向きなのか?!
う~ん、でもやっぱりやりたくないかも。。。( ^^;)
もともと着物を着ると、背筋を曲げようがなく、
姿勢はよくなるものですよね。
要津通持ちにもいいといわれています。
ゴムパンツになれた身には…つらいっす。
のんこ様
これは「こんなふうに」というお勧めであって、
若いヒトなんかは実践したかもしれませんが、
たぶん一回でヤメタ?!かも。
着物離れに拍車をかけちゃったかもですね。
陽花様
考えたら、これってひとりでできるんでしょうか。
着るまでに相当くたびれるんじゃないでしょうかね。
ほんと、今の時代に生まれてよかったです。
うまこ様
昭和50年ころなら、今に近いはずです。
衿をつめるのは、明治の初めのころから、
「娘は衿をツメ気味に、中年はゆるめに」と
「帯を胸高に」という流れができて、
つめ方や締め方はかわったけれど、
未婚はツメ気味、というのは未だにそうですね。
蜆子様
実際、こんな着方は誰しもできなかったと思います。
元々着られるヒトは好きなように
着ていたでしょうしねぇ。
本は「はやらせよう」というより、
本文にも書きましたが、着物離れをなんとかしよう
というもくろみのひとつであったと思います。
ringo様
きっちり着ていいはずもなし、
結局ははやらなかったと思います。
着たいように着る…でいいんですものね。
お返事書いているうちに入れ違いました。
ほんときつそうですね。
私もりっぱな「扁平ムネ」ですが、
綿を入れようとも、そこに紐かけるってのはねぇ。
なんか、つかまって捕縛させてるみたい…。
深呼吸できる着方がいいですー。