20年近く前の紬です。ちょっと薄汚れっぽかったので、洗い張りして仕立て直し。
ついでに…えぇ例によって「前幅」もひろげていただきましたとも…。
とても好きな色です。無地にみえますが、そばで見ると、赤や青など
ほそーーくいろんな色がはいってます。
じゅばんは小さな唐辛子柄。
出したはいいんですけどねぇ…お天気が…もぉほんとに「日頃のオコナイ」ですかねぇ。
あまり土砂降りに、薄い色は着たくありませんしねぇ…。ただいまお悩み中です。
縫いあがった着物の「しつけ糸」をとったもの、母はあれを「ときそ」と言いました。
地元の方言だと思いますが、仕立て下ろしを着るとき、
この「ときそ」の取り残しがあると「裸であるいているより恥ずかしい」と、
母はいつも言っていました。大仰な言い方ですが、要するにみっともないことをしないように、
という戒めなのでしょうね。たしかに、どこかにひょろっと残っていたらカッコ悪いですし。
いつだったか例の質問コーナーサイトで、仕付け糸は全部取らずに、
その日会う人にとってもらうものだと聞いた…なんてことが載ってました。
友人にそういわれたとかナントカ…。
そりゃ花柳界のしきたりで、パトロンさんに着物を作ってもらったとき
「ほら、これが作っていただいた着物ですよ」と仕立て下ろしを最初に見ていただく…
という心遣いで、パトロンさんに袖の仕付け糸をとってもらったというものです。ははは。
さて、母は仕立ておろしの仕付け糸だけでなく、古い着物を解いたり、
私の浴衣を縫い直したり…そういうときに、できるだけ糸を長く抜きました。
こんな感じ…。糸を見やすくするのに少し明るくしました。
紬に別の色がはいっているのも見えますか?
母が縫い物をするときには、いつも古タオルとハガキを畳んだものが横においてあって、
まだ使えそうな糸はハガキの方にクルクルと巻き、
弱っているものや木綿糸は、タオルにちくちくと縫い付けました。
何度かやっていると、タオルはいつのまにか雑巾になります。
巻き取った絹糸は、表にならないところをちょっと縫ったり、ほころびを繕ったり。
いつも「これかてお蚕さんがいっしょけんめ作った糸や、ムダにでけへん」と、
そんなことを言い「ばぁば(母の母)はなぁ、糸一本もムダにせぇへんかった」と、
必ず祖母の話しがあとに続きました。
耳タコでしたが、洋服を縫ったことも着たこともなかった祖母が、子供達のために、
もらった服を丁寧に解いて、新聞紙で型紙をとって手縫いで服を縫ってくれたとか、
洋服の「裏地」を知らなかった祖母が、寒いからとスカートの裏に紅絹や古い絹などを
着物とおんなじように縫い付けたので「袷のスカートやった」とか…。
戦争ということも、また母の生まれたころにちょうど実家が「没落」したとか、
そういう貧しい暮らしだったという理由もあったと思いますが、それにしても、
モノをムダにしないという姿勢は、今でもだいじなことではないかと思います。
申し訳ないコトながら、私はこの糸を再利用するところまではいってません。
そのかわり、木綿でも絹でも、自然素材の糸くずは、
溜めておいて燃やして鉢植えに撒いてます。ほんのちょっとですけけどね。
そうそう「雑巾」の話しですが、息子が学校に通っていたころは、
毎学期のはじめでしたかに「雑巾をお願いします」がありました。
いつのころからか「タオルは白で新しいもの」という但し書きつきで…。
新しいタオルなんて、水は吸わないし、縫いづらいし…。
雑巾なんてものは、使い古してよれよれになったものの方が使いやすいんですよね。
古ければ、白くなくたって色落ちなんかしませんし…。
そのうち、どこの家でも「ミシン縫い」になり、やがて100均で売ってるものになり…。
雑巾まで買う世の中になったかと…ちと寂しく思ったものです。
ミシン縫いの雑巾は硬くて使いづらいです。
手縫いでざくざくの場合のやわらかさや、縫いの「遊び」がありませんから、
やがて布が弱ってくると、ミシン糸だけが強くて、そこからボロボロ裂けてくる…。
100均のにいたっては、一枚のタオルで2枚作っているようで、薄い薄い…。
丁寧な雑巾の作り方…なんてあるわけではありませんが、
あとあとの使い勝手を考えてひと手間かける…なんてこともなくなりましたね。
私はいまだに、古タオルで作るときは、面倒でもふちの三つ織り部分を解いています。
あそこが一番厚ぼったいですから、そのままだとごろごろしますし、
乾きもそこだけわるいですから。縫い目はざくざく、の方が使いやすいです。
雑巾も売っている時代、そんなことを考えたりやったりすることは、
細かすぎるのかもしれませんが…。
ちなみに「床拭き」などに使う雑巾は、ブック型に縫うと便利。
タオルのままの形で使うのも便利です。
但し、これは大きいものを拭いたりするとき、たとえば「洗車」とか。
なーんて、こんなお話しはベテラン主婦の皆様には「釈迦に説法」でしたね。
とりあえず…仕付け糸を取ったのはいいんですが、
次に半衿つけ…になったら、針に糸が通りません…また視力落ちたか?
でっかい手芸用ルーペのお世話になりました。こういうことがわずらわしいですよねぇ。
「えぇい、通れっての」と必死になりながら、ふとある人の言葉を思い出しました。
「おまえねぇ針に糸を通すときは、糸を動かすんじゃなくて、針の方を動かすんだよ」…。
ははは、そーなんですよね。ちなみに私にこれを教えたのは「母」…ではなく「父」です。
掃除洗濯大得意、冷蔵庫の残り物であっというまに3品おかず。
どこのスーパーの何が品物がいいか、いつ安売りか…把握しております。
先日は「ズボンが安かった」と普段用を買ってきまして「もう裾あげ終わってる」…。
やっぱり「一家に一人」ほしい人材です。
オットよ、ツメの垢ひとっカケラでいいから、煎じて飲んでおくれでないかい!
ついでに…えぇ例によって「前幅」もひろげていただきましたとも…。
とても好きな色です。無地にみえますが、そばで見ると、赤や青など
ほそーーくいろんな色がはいってます。
じゅばんは小さな唐辛子柄。
出したはいいんですけどねぇ…お天気が…もぉほんとに「日頃のオコナイ」ですかねぇ。
あまり土砂降りに、薄い色は着たくありませんしねぇ…。ただいまお悩み中です。
縫いあがった着物の「しつけ糸」をとったもの、母はあれを「ときそ」と言いました。
地元の方言だと思いますが、仕立て下ろしを着るとき、
この「ときそ」の取り残しがあると「裸であるいているより恥ずかしい」と、
母はいつも言っていました。大仰な言い方ですが、要するにみっともないことをしないように、
という戒めなのでしょうね。たしかに、どこかにひょろっと残っていたらカッコ悪いですし。
いつだったか例の質問コーナーサイトで、仕付け糸は全部取らずに、
その日会う人にとってもらうものだと聞いた…なんてことが載ってました。
友人にそういわれたとかナントカ…。
そりゃ花柳界のしきたりで、パトロンさんに着物を作ってもらったとき
「ほら、これが作っていただいた着物ですよ」と仕立て下ろしを最初に見ていただく…
という心遣いで、パトロンさんに袖の仕付け糸をとってもらったというものです。ははは。
さて、母は仕立ておろしの仕付け糸だけでなく、古い着物を解いたり、
私の浴衣を縫い直したり…そういうときに、できるだけ糸を長く抜きました。
こんな感じ…。糸を見やすくするのに少し明るくしました。
紬に別の色がはいっているのも見えますか?
母が縫い物をするときには、いつも古タオルとハガキを畳んだものが横においてあって、
まだ使えそうな糸はハガキの方にクルクルと巻き、
弱っているものや木綿糸は、タオルにちくちくと縫い付けました。
何度かやっていると、タオルはいつのまにか雑巾になります。
巻き取った絹糸は、表にならないところをちょっと縫ったり、ほころびを繕ったり。
いつも「これかてお蚕さんがいっしょけんめ作った糸や、ムダにでけへん」と、
そんなことを言い「ばぁば(母の母)はなぁ、糸一本もムダにせぇへんかった」と、
必ず祖母の話しがあとに続きました。
耳タコでしたが、洋服を縫ったことも着たこともなかった祖母が、子供達のために、
もらった服を丁寧に解いて、新聞紙で型紙をとって手縫いで服を縫ってくれたとか、
洋服の「裏地」を知らなかった祖母が、寒いからとスカートの裏に紅絹や古い絹などを
着物とおんなじように縫い付けたので「袷のスカートやった」とか…。
戦争ということも、また母の生まれたころにちょうど実家が「没落」したとか、
そういう貧しい暮らしだったという理由もあったと思いますが、それにしても、
モノをムダにしないという姿勢は、今でもだいじなことではないかと思います。
申し訳ないコトながら、私はこの糸を再利用するところまではいってません。
そのかわり、木綿でも絹でも、自然素材の糸くずは、
溜めておいて燃やして鉢植えに撒いてます。ほんのちょっとですけけどね。
そうそう「雑巾」の話しですが、息子が学校に通っていたころは、
毎学期のはじめでしたかに「雑巾をお願いします」がありました。
いつのころからか「タオルは白で新しいもの」という但し書きつきで…。
新しいタオルなんて、水は吸わないし、縫いづらいし…。
雑巾なんてものは、使い古してよれよれになったものの方が使いやすいんですよね。
古ければ、白くなくたって色落ちなんかしませんし…。
そのうち、どこの家でも「ミシン縫い」になり、やがて100均で売ってるものになり…。
雑巾まで買う世の中になったかと…ちと寂しく思ったものです。
ミシン縫いの雑巾は硬くて使いづらいです。
手縫いでざくざくの場合のやわらかさや、縫いの「遊び」がありませんから、
やがて布が弱ってくると、ミシン糸だけが強くて、そこからボロボロ裂けてくる…。
100均のにいたっては、一枚のタオルで2枚作っているようで、薄い薄い…。
丁寧な雑巾の作り方…なんてあるわけではありませんが、
あとあとの使い勝手を考えてひと手間かける…なんてこともなくなりましたね。
私はいまだに、古タオルで作るときは、面倒でもふちの三つ織り部分を解いています。
あそこが一番厚ぼったいですから、そのままだとごろごろしますし、
乾きもそこだけわるいですから。縫い目はざくざく、の方が使いやすいです。
雑巾も売っている時代、そんなことを考えたりやったりすることは、
細かすぎるのかもしれませんが…。
ちなみに「床拭き」などに使う雑巾は、ブック型に縫うと便利。
タオルのままの形で使うのも便利です。
但し、これは大きいものを拭いたりするとき、たとえば「洗車」とか。
なーんて、こんなお話しはベテラン主婦の皆様には「釈迦に説法」でしたね。
とりあえず…仕付け糸を取ったのはいいんですが、
次に半衿つけ…になったら、針に糸が通りません…また視力落ちたか?
でっかい手芸用ルーペのお世話になりました。こういうことがわずらわしいですよねぇ。
「えぇい、通れっての」と必死になりながら、ふとある人の言葉を思い出しました。
「おまえねぇ針に糸を通すときは、糸を動かすんじゃなくて、針の方を動かすんだよ」…。
ははは、そーなんですよね。ちなみに私にこれを教えたのは「母」…ではなく「父」です。
掃除洗濯大得意、冷蔵庫の残り物であっというまに3品おかず。
どこのスーパーの何が品物がいいか、いつ安売りか…把握しております。
先日は「ズボンが安かった」と普段用を買ってきまして「もう裾あげ終わってる」…。
やっぱり「一家に一人」ほしい人材です。
オットよ、ツメの垢ひとっカケラでいいから、煎じて飲んでおくれでないかい!
雨降りに薄色や仕立ておろしはちょっと
勇気がいりますよね。
着物でお出掛け、せめて曇りで・・・と
思いますね。
縫い物をする時にそばにタオルを置く、
なるほどと感心しました。
短めの糸は、見えない部分の綴じに使ったり
しますが、それより短いとゴミ箱へ・・
昔の人の無駄のない知恵、すごいですね。
我が家は夫1、息子3という家族構成。
だあれも、なにひとつできません。
息子たちには、大学では下宿させたのに、
料理は??掃除は??洗濯はなんとかできる。
洗濯機がするのですものね。うふふ。
とんぼさんのお父さんを、
貸してほしいぐらいです。
それに、とんぼさんも、いいなあ。
こんな素敵な着物も、
仕立てなおして着れるのですもの。
私は、裄や身丈が足りなくて、
昔のものは無理です。
もう少し低くなりたいなあ・・・。
覚えておきます!
生活の知恵をいろいろと知っていて、それを実行されているお父様は素敵ですね。
私の亡き父は、自身の母の手伝いをまめにやっていたようで、簡単な縫い物や、煮豆や煮魚といった「お袋の味」料理が得意でした。
意外と昔の男性のほうが、役に立つ?(笑
糸くずは、一応取っておいて何かの詰め物に綿代わりに使っています。
でも、その都度古タオルに刺していったほうが実用的だし片付きますね。
真似させていただきます~。
そうなんですよ、いくらコートを着て…
と思っても、やっぱり水にぬれると思うとねぇ。
母の話しは、若いころは
「ハイハイ、またそのハナシね」なんて、
おもしろくなかったのですが、
年をとると「いいこと言ってたなぁ」と思います。
そう思う自分も、年をとったということでしょうね。
元々電気関係の仕事で、電化製品なんか
ちょこちょこっと直せる人ですから、
起用なんでしょうね。
家の外壁や、部屋の内装も全部自分でやりましたよ。
あまりにも器用でマメなので、母は
「女としては、うっとおしいこともある」と
行ってました。確かにそーかも…。
たまーにお借りしたいヒトですね。
身丈は「中継ぎ」でなんとかなっても、
裄は反物の幅に限界がありますからねぇ。
背の高い方はたいへんですよね。
父の戦争を経験していますから、
こまめですし節約だし。
以前母が一人で里帰りなどするときも、
何の心配もしないででかけられる、と
それは言ってました。
何もできない男性は、一人のとき困りますからねぇ。
残り糸雑巾、究極のエコですね。