過去記事のコメントから、お題をいただきまして…。
ひっさしぶりの着物話題です。
いわゆる「白無垢」など打掛ではなく「花嫁振袖」、またお引きでないものについて…
といったご質問でした。
まず…なんで花嫁衣装にも種類があるのか…です。
かつて日本(だけではありませんが)は、身分制度があり、貧富の差が大きく、
裕福な身分の人は、全国民のうちのほんの一握り…だったということ。
「昔の花嫁衣装はね」と言っても、庶民には縁のないものだった、ということです。
つまり、「武家の」とか「公家の」という形で形成されていき、やがて時代がうんと下がって
「庶民もマネをすることができるようになった」ということですね。
現代の花嫁衣装は(これには洋装とイマドキの「打掛に西洋てんこ盛りアタマ」はいれません)。
打掛が白で綿帽子(全部白いので白無垢と呼ばれます)
上と同じで角隠し
色打掛で角隠し
上と同じで綿帽子
打掛(本来関東では掻取といいます)の色が白であれ、色であれ、
下に着る掛下(着物)や帯はすべて白が原則ですが、これもまた時代によって…です。
なんとなく「白無垢は綿帽子・色打掛は角隠し」というのが、スタンダードですね。
そしてこれ以外に「黒振袖」という花嫁衣装があります。
これは打掛なしで、華やかな黒地の振袖を着るもの。角隠しです。
中村勘三郎さんが亡くなられたとき、奥様が白喪服をお召しになられ、
一時期話題になりました。なかで「嫁入りの時、喪服と同じ白無垢を着るのは、嫁いだら一生を捧げて、
家を守りますとか、命がけでお仕えしますとか、そういう意味合いを持つ」というような
お話もありました。それもあったと思います。明治まで喪服は白でしたから。
白無垢を着て嫁入りし、夫が亡くなった時は、その袖を詰めて喪服とする…だったとも。
しかし「黒振袖」も、武家の花嫁衣装であった、と言われています。
これはどっちがほんと…と言うことではなく、一つには身分によるもの、と言うこともあったかと思います。
花嫁衣装の場合の「打掛」、これは元々武家でも身分の高い女性が着るものでした。
お城に務める女性とか、大名の奥方、息女、そういった立場の人が着るもの。
街で暮らす例えば御家人や、同心など、身分の低い武士の奥方などは、打掛は着ません。
つまり、同じ時代であっても、違うものを着ていた可能性もあります。
また「花嫁衣装」という、いわば特別な衣装の時だけ、打掛を着たのかもしれません。
今の人たちがみな普通に着ているのは、今は身分制度も何もないし、
好きなものを着られる時代になっているからです。
ただし、それでも今の時代「打掛」を着ていいのは「花嫁さん」だけ、私たちは、どんなにオシャレしたくても、
訪問着の上に打掛着て披露宴に行くことはできません。
さて黒振袖。
まず「留袖」と言うもののお話ですが、かつて留袖とは、いわゆる幼児期を過ぎた子供の着物の袖、
これを止めたことにあります。お宮参りの時の掛け着、あるいは、今も残っている幼児期の着物は、
「広袖」です。広袖は、袖口の部分が全開のもの。十二単の袖がそうですね。
子供のころは体温が高いので、袖を全部あけて風を通すことで体を守る…と言った意味が
あったと言われています。効果のほどはわかりませんが…。
昔は乳幼児の死亡率が高かったですから、とりあえず幼児から「子供」くらいまで育てばまず一安心。
そこで、長くてひらひらした袖を、手の通る袖口を残して下を閉じ、更に袖丈も短くする…
これが留袖の最初と言われています。文字通り「袖をとめる」わけです。
やがて、時代が進み、幼児期をすぎても袖丈は長いほうが、子供らしい、
或いは若い娘はそのほうが華やか…、という理由から袖丈だけは長いままで、
今度は「嫁入り」が、留袖の時期、となりました。
現代の(と言ってもここ数十年のものですが)「黒振袖」は、着物全体に柄があって、
たいへん豪華なものになっています。
例えばこちらは昭和30年代の本からの写真。
岸 恵子さん。
八千草薫さん。
ところが…です。これより少し前の黒振袖は、上半身と、袖の上の方には柄がありません。
これは私の手持ちの黒振袖ですが、実は両肩の柄、どうも不自然です。
色も下の柄と合っていないし、ここだけ後で柄を付けた形跡があります。
つまり元々は、裾と袖下だけの柄であったと思われるわけです。
それなら袖の柄部分を切れば「留袖」になります。
裾にしか柄のない黒振袖、これは、嫁に行ったら袖を切って「留める」、
そして文字通り、今度は「留袖」として着用する…という、いわば和服得意の「繰り回し」の着物。
切り落とした袖のきれいな柄部分は、女の子が生まれると産着にするという習慣もあったとか。
昭和30年、つまり戦後、ですね。復興進む中「後で留袖にするジミなもの」より、
全体に柄のある豪華なものに…と、新しく考えられたものではないかと思います。
ジミだった?証明。これは私の義母(上左)、叔母(上右)、下が叔母の身内と思われる誰か…。
時代はみんな戦前です。時節柄、華美なことは控えるように…と言われ始めた時代。
戦中は「もんぺ」で三々九度も多かったと言いますから、花嫁衣装を着られただけマシ…だったのかもです。
義母と下の親戚の女性は完全に「留袖」ですね。
叔母は振袖ですが袖を切れば留袖になるタイプで、更に引きずってません。
時代、と言うこともあるかもしれませんが、庶民も婚礼衣装を着られるようになった
明治以降のスタイルは、全体がハデなものではなかったと思います。
たいへん裕福なお屋敷には、先祖の花嫁衣装として、白黒赤の打掛とか残っていますが、
それは婚礼そのものを1日で終わらせるようなことがないような、豪華なもの。
庶民は黒振袖で、袖を切ってはまた着る…というようなことをしていたと思います。
昭和30年代には、こんな写真もありました。これは黒振袖ではなく「お色直し用」。
いまのように洋装があまりなかった時代は、角隠しを取って着物を華やかに変えるのが、
お色直しだったのです。
結婚式も様変わりしました。挙式の時だけでも、日本人なら和服で…と思うのですけどねぇ。
ただし先日も書きましたが「打掛」を着るような豪華な衣装なら、
やっぱり髪は日本髪…にしてほしいものと思います。こんな写真を見つけました。
どちらがいいですか?やっぱり首から下のボリュームには、大きく結った髪があう、と
私なんかは思いますねぇ。なんか和洋折衷が目に慣れません。
昔は、挙式が終わると、披露宴会場の入り口、金屏風の前で新郎新婦、仲人、両親たちが並んで
披露宴会場に入ってくるお客様をお迎えしたものでした。その時は花嫁さんは角隠しを取る。
つまり、角隠しの姿は親族しか見ない…というものでした。
最近はゴンドラに乗って登場?スモークと花火で登場?
披露宴は、二人が、お客様にどうぞよろしく、と「夫婦になった姿」を文字通り披露して
よろしくお願いします、とあいさつをするための宴…そんなことも、今は薄れてきているのでしょうね。
時代とともに変化していくのはしかたのないことであり、また必要なことでもあると思いますが、
人生の大きな節目です。心に残りゃ好きずきでしょと、花魁花嫁にするのだけはヤメテイタダキタイ…。
角隠しのことも書きたかったのですが、長くなりましたので、今回これまで…。
とんぼさんのお話、お写真、とても参考になりました。
ご親族の方々のお写真まで拝見させて頂き、古風さがとても印象に残りました。今は新郎新婦も満面の笑みで写真とりますけど、このお写真はとても落ち着いて、成熟して見えます。
花嫁衣装の振袖の場合は、引きずることが多いように見受けられました。花嫁衣装は、日本髪に引き振袖か打ち掛け。一般の振袖に比べて、模様も豪華。そのあたりは昔から、変わらないのかもしれませんね。
家族だけで小規模の宴を開こうと思っていて、そうなると業者を使わない場合花嫁も仕事があり、引き振袖でない方が動きやすいかなと思ったのですが、花嫁が動くという前提がおかしいのでしょうね。また考えてみます。
有難うございました。
衣装は、結婚制度、挙式方法と密接にかかわりがあることがとんぼさんのご説明でよくわかります。
こじんまりと…という結婚式もいいものですね。
神式とかキリスト教式とか、その方法がわかりませんが、
挙式と披露宴を別々に考える方法だと、
挙式と着付け、結髪をひとまとめで考え、
披露宴はどこかレストランなどで会食、でしたら、
会食は洋装でもいいわけですし…。
引き袖は、確かに介添えがないと動きにくいです。
それと引き袖と普通の振袖は仕立ても違いますから、
レンタル価格も違います。
成人式用の黒地の豪華なものをレンタルして、
普通にお召しになるのもいいのではないかと思います。
いろいろネットで情報を拾ってみてください。
そういえば母の衣装も黒振袖だったような記憶があります。
それも祖母の実家からの借り物だったとか。
お写真を拝見してそうそう、こんな感じだったなあと思いだしました~
今年も大雪と寒さの年末となりました。トンボさんも身体に気を付けて年末をお過ごしくださいね~
昨日からとんぼ様の記事を何度も読み返して、そのたびに発見があります。留袖についても、なるほどと思いました。花嫁衣装とか特別な場合ならともかく、高齢の未婚女性が未婚だからといって振袖を着ていたらおかしい理由も、これでよくわかります。
また過去の記事も参照して、勉強させて頂きます。
お返事遅れましてすみません。
着物は誰かのを譲られたり借りたりして
着られるところが、また便利なところですね。
昔の写真はモノクロばかりなのですが、
それでもきっと色鮮やかな…なんて想像してしまいます。
そちらは本格的に雪ねですね。
こちらはおかしな12月で、ピリッとする寒さがたりません。
なんとかモタモタ年越しして、あとは来年にかけます。
御身体と雪かきに?気を付けて、佳いお年をお迎えください。
お返事遅れてすみません。
只の着物好きが高じてのお話です。
お役にたつことがあれば幸いです。
少しブログも滞っていますが、
いずれまた毎日更新を目指します。
またよろしくお願いいたします。