実は、これは入札していてそのまま落ちたのですが、もう一枚…時間忘れていて落札し損ねました。ぐすっ。
モダンないい柄だったのに~。
気を取り直して…これは一目瞭然、ですね。太田道灌の「逸話」です。
全体はこんな感じ。
逸話…は、これ学校で習っていると思うのですが…念のため。
太田道灌は、江戸城を作った人…。江戸城はのちに徳川家康以来将軍の居城となりましたが、
最初の江戸城は平安時代に「江戸氏」というものが建てた館程度のもの、
鎌倉時代にこの江戸氏が没落したあと、ここに城を建てたのが太田道灌です。
まぁ歴史はともかくとしてその太田道灌の「山吹伝説」といわれているのが、この図柄のお話し。
ある日、鷹狩に行った道灌が(これも父親を尋ねるところだったとかいろいろですが)、
にわか雨に降られ、ちょうどみつけた農家に立ち寄り「蓑」を所望しました。
蓑は今のレインコートです。ところが、中から少女が一人出てきて、
「山吹の花の一枝」を無言で差し出します。道灌は「蓑がほしいのであって、花などいらぬ」と、
機嫌を損ねてその場を立ち去ります。後日この話を家臣にしたところ、一人の家臣が
「中務卿兼明親王が詠んだ歌に『七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだになきぞ悲しき』という歌がある。
娘は山吹の『実の』と『蓑』をかけて、請われても蓑一つ貸せない貧しさを伝えたのではないか」と言います。
これをきいた道灌は、自分の歌の素養のなさを恥じ、それからは和歌の道に精進した、というお話しです。
横に書いてある「少女不言 花不言 英雄心緒 心如絲」は詩吟…でしたっけ?
叔父が詩吟をやっていたのですぅ…よく聞いとくんだった…。
少女は言わず 花は語らず 英雄の心緒乱れて絲の如く…だったかなぁ…このへんかなり怪しい。
この前に確か「雨に濡れた被り物のためにと、花の枝を差し出した」
とかなんとかいう意味の詩があったと思うのですが。こういうのをちゃんと暗記していないのは、
授業中寝てたから…だはは。源氏物語も枕草子も覚えているのは冒頭のほんの数行ですからねぇ。
とりあえず少女は「ウチはビンボーだから、蓑なんか貸してやりたくったってないわよ」というところを
だまって差し出した山吹の花に託したという、ダジャレの…いえ「言葉のかけあわせ」の妙を絵にしたわけです。
この絵、なかなかの絵だと思います。
こちらの女性、当時の貧しい農家の娘が、こんなにきれいな小袖を着ているはずはありませんが、
そのへんは、まぁ「絵のうそ、芝居のうそ」ってことで…。
ゲタはまぁ本当はこの時代ですと、ゲタの前身の「足駄」と呼ばれるもの、が多かったでしょうね。
たいしてかわりはありませんが、カタチ的にもう少しごつい感じ。
難を言えば、山吹は春の花ですから、着物のもように紅葉というのは季が違う…のですが。
この絵の場合、これで着物の柄が桜や梅だったら、侘びた山奥の風情がでない…のでしょう。
女性の横顔がちょっと平面的でのっぺりしていますね。
こちらの「道灌と従者」の顔は、羽裏の絵としては秀逸と思います。
装束は典型的な「狩装束」、笠は「綾藺(あやい)」と呼ばれる笠で、このテッペンのとんがっているところを
「巾子(こじ)」と言います。ここに束ねた髻(もとどり)をいれるのです。
狩は馬に乗って激しく走り回るスポーツですから、笠がぐらついたりするのはこまるわけです。
そこでまず「萎烏帽子(なええぼし)」というものを被ります。これは単純に半円形の少しテッペンの高い布帽子。
これを被って、髻の部分を烏帽子ごとまとめて「巾子」にいれるわけですね。
これで笠の緒を締めますと、笠がしっかり頭に固定されるわけです。
着物はこのころはまだ水干や狩衣です。その上から左肩だけを覆うための「射篭手(いごて)」をつけます。
写真の青いものがそうです。これは矢をつがえて弓を引くとき、袖がじゃまにらないようにつけるもので、
洋服のラグラン袖のような形になっています。コレ見たとき思わず「五十肩用保護下着」を思い出しました。だはは。
絵では柴垣に隠れて見えませんが、手には「弽(ゆがけ)」(字がでませんが、革に蝶の右側とも書きます)
という手袋をします。腰の上まで来ている茶色いものは「行縢(むかばき)」という、いわば袴カバー。
カウボーイだと「チャップス」といいますね。「ローレンローレンローレン」…ローハイドの世界ですねぇ。(分かるヒト同年!)
アチラはなめし皮が多く、「行縢」は毛皮が多い、おもに鹿皮だったようです。熊だったらこわいか…。
肩には「箙(えびら)」、これはちと私もうろ覚えなのですが、矢を入れる器としては「空穂(うつぼ)」というのがあります。
流鏑馬が今でも行われているので、「箙」という言い方の方が知られていますが、
「空穂」のほうは、矢の羽までカバーする「雨天用」と言われています。
戦で使うときは、フタなんかしておられませんから「箙」でしょうが、狩などは遊びですから、
従者が山ほど矢の入った「土俵空穂」という大きな入れ物を持って、お供したそうです。
この絵の場合は本来雨ですから「空穂」ですが、突然の雨に…で箙なのでしょうね。矢の方が絵になるし。
この話はいろいろなところで伝わってまして、東京では「この少女を後に江戸城に呼んで和歌の友とした」
という話もありまして、その少女の名を「紅皿」というそうです。フシギな名前ですね。
さて、落札し損ねた羽裏は、これとはうってかわってモダーンな柄だったんです。
羽裏は大正から昭和初期が一番華やかで、柄の種類も豊富です。
今は虎、龍、富士山、と片手で数えられるくらいの柄しかありません。
需要がないからでしょうけれど、たまには女物の羽裏をつけるくらいのかた、現れませんかねぇ。
それにしても、柴垣に半分隠れて見えないけれど「従者」がハンサムじゃ…。
追記 先日の「きんたろさん」、どこかで見た記憶がありましたが、元絵を探すにも作者の名前も題も覚えておらず、
ほんとにそういう絵があったのかどうかの記憶もぼんやりで…。
そのまま書かずに出しましたところ、お知らせいただきました。hさま、ありがとうございました。すっきりしました。
原図はこちらです。 やっぱり足元のものは柿でしたー。
今は話しても意味のわかる人はすくない…と
いう想いも込めて
大家さんが「はっつあん」へ、かみくだいて説明しているのが
秀逸でした。
その後かんちがいしてるはっつぁん(笑)も好きです。
絶えたことを伝えるのはかんたんにはいかないですね。
それにしても…おつきのひと、いいわぁ(笑)
最近の下手な羽裏なら縞や市松模様で済ませた方が余程ましですが、
昔はこんな上質な額裏をさらりと着ていたのですね~
それにしてもローハイド・・・
チャップス姿のフェーバーさんや若き日のクリント・イーストウッドのロディーが思い出されます。
これを着ていた方はどんな方だったのでしょう?
結構インテリな方だったのかも。
粋な羽裏は良く見ますけど、こういう知性が美の中に程良く同居しているものはあまり見たことがありません。
それをみてとれるなんて素晴らしい
ですね。
絵もさることながら、達筆ですねぇ。
おつきのひと、えぇでしょう。
だんだん「テレビの大河ドラマに出ないヒト」は
有名人じゃない…なんてなったりして?
おつな話なんですけどねぇ。
こちらこそご無沙汰です。
昔のヒトは粋ですね。
需要がないので、なくなってしまいましたが、
復活してほしいものです。
ローハイド、ララミー牧場、ボナンザ…
昔のドラマは、なんであんなにおもしろかったんでしょうねぇ。
昔のヒトは見えないところにも、
オシャレだったんですね。
もう少し昔の字が読めれば、もっと楽しめる羽裏も
たくさんあるんですが…。
とにかく読めませんわ。
今は物語性のある羽裏も少ないですね。
なんか逸話がありそうだと思うと、
楽しいです。
昔のヒトって、さすが筆書きがうまいですね。
私も書道途中までやったんだけど…。
続けときゃよかったのに…です。
狂言や長唄に靫猿というのがあります。
猿の毛皮で蓋を作るのが粋だというので
猿回しの猿を毛皮にするから欲しいと大名が言い、
猿回しの猿がかわいい芸をして見せると
可哀想だから止めた、というのですが
なるほど雨用蓋付きの箙が空穂(靫)ですか!
すっかり賢くなった気分♪~です。
それと絵の女性の着物
私が三味線袋にした縮緬(URL)と似ています。
典型なのですね。ちょっと嬉しい気分です。
空穂は、なんか大きな筆みたいで
あんまりカッコよくありませんね。
「靫猿」、お猿さんのかわいさが、
目に浮かぶようですね。
今日は三島で「かみつきザル」が逃げましたけど…。
ステキなおしゃみの袋ですねぇ。
そういえば、この大きな紅葉の柄って、
ちょっと古い着物で見かけますね。
情緒のある柄だと思います。