写真は、母から譲り受けた本。亡くなる前にもらっていましたから、10年はすぎているはず。
タイトルは「値段の明治大正昭和風俗史」、2冊目が「続」、3冊目が「続続」ラストが「完結」、
初版は昭和56年です。
大切にしておくれ…だったのか、残り布をはぎ合わせて全部カバーが付いています。
すっかり色あせたりしていますが…。
この本は、食物や衣服、道具はもとより「大工の手間賃」とか「都電乗車券」など、
ジャンルは多岐にわたります。こういうものの一覧表は、ネットでもみかけますが、
この本はただ価格を並べるだけでなく、ひとつのものについて、誰かのエッセイを載せています。
たとえば「時刻表 松本清張」「しる粉 沢村貞子」「ダイヤモンド 高峰秀子」といった具合です。
それぞれのものについての、ご本人の思い出話などが綴られているわけで、
ただの価格表よりも、ずっと生活に即した空気が感じられておもしろいです。
私はこの本の中に、何か着物にかかわるものはないかと探したのですが…
残念ながら「反物」もなければ「帯」もない…かろうじて「足袋」と「草履」「花嫁ふとん」をみつけました。
そして最大「着物」に近かったのが「貸衣装」でした。
この貸衣装は「花嫁衣裳」、寄稿したのは作家の近藤富枝さん。著書を読んでなくてすみません。
昨年ご逝去なさってしまいましたが、主婦の友の専属ルポライターになった方です。
昭和21年5月にご結婚、挙式なさっておられます。
文はその時の様子でした。戦後すぐの時期で、戦地からたくさんの兵隊さんが復員してきたけれど、
それでも当時はトラックいっぱいの娘に婿一人…と言われたとあります。
物やお金がないだけではなかったのですね。とりあえず女史の結婚相手はのちの軍事史研究家「土門修平氏」。
なにしろ結婚ラッシュだったそうで、よくよく考えればわかることですが。
とにかく式場でもなんでも、さっさとみつけてさっさと決めないと、いつになるかわからない…。
それと同時に、戦死なさった方がたくさんいたわけですから、あれこれ贅沢をいうことが
ははばかられた時代でもあったとあります。そりゃそうでしょうね。
結局、見つけた式場は「三越デパートの地下」だったと。終戦から1年も経っておらず、デパートには並べる商品もなく
商売がなかなか難しい…そんなわけで三越さん、そういうこともやっていたのですね。
お式も、式を挙げて、お色直しの着物に着替えて、仲人さんのあいさつでおひらき…だったそうな。
それでもちゃんと写真だけは残っていました。今の時代では考えられない「省略?」「省エネ?」挙式ですね。
で、この時に着た「花嫁衣裳」が、貸衣装だったというわけです。
以前にも書きましたが、戦後着物が着られなくなった理由は様々あるわけですが、
その中のひとつに、戦争でみんな失ったこと、もあると私は思っています。
家財道具を疎開させることができなかった人は、戦火でみな焼かれ、
なんとか家財が残った人も、戦後の動乱の中では、着物を売るか食べ物と交換するか…。
そうするより家族を養っていくすべがなかった時期だったのですね。
三越には「貸衣装買います」の広告もあったそうです。
結局、女史も貸衣装を借りたわけですが、モノクロ写真でも豪華さがわかる、見事な黒振袖です。
どこぞのえぇとこの御嬢さんの持ち物であったのだろうと…。
しかし…元々このエッセイの題が「ベルトコンベアーの日」という題で、何のことかと思ったら、
とにかくついて案内されたらモーレツな速さで化粧と着付けが終わり、あっというまに文金高島田のカツラをかぶせられ、
はいっと゜ーぞーと、挙式、写真、そして披露宴はお手持ちの訪問着で…と、あっという間に脱がされた…。
結局1時間も着ていなかった…のですと。化粧室で見ていたら、15分ごとに花嫁ができあがってゆく…ははは。
一通りすんでとりあえずはお決まりの「新婚旅行」(できたんですからすごいですよね)のため駅に行ったら、
自分の後に「花嫁」になった女性がいた…ととうわけで、なんだかベルトコンペアーに乗せられて、
あっというまに一律おんなじ~で、一日過ごしたと、そんな記述でした。
やっと本題ですが、この時の貸衣装、そのほかの小物も一式揃って「100円」だった、とありました。
今の価格にすると…というのは実はたいへん難しくて、全部が全部同じ比率で変わっていくわけではありません。
なので、まぁ基準として…とよく出るのが「大卒の初任給」とか「コーヒー一杯」とかですが、
それとても、じゃ貸衣装だと…といっても、そうそう今の価格に近いのかどうかは、言えないわけです。
「企業物価指数」というものがありまして、それで換算すると、昭和20年、つまり終戦直後と現在を比べると、
だいたい190倍くらい…つまり、当時の1円は今の190円くらい。
あまりピンときませんが、100円だと19000円、と言えば感覚的にわかりやすいですかしら。
公務員初任給が75円で、換算すると18万くらい…という記述があります。
またこれは初めて知ったことですが、自分に貯金があっても、やたらとおろせなかったそうで、
「結婚の支度金」ということで、町会長と仲人にハンコをもらい、出張所で証明をとって、
やっと銀行で「支度金」として、受け取ることができたのだそうです。たいへんな時代だったのですね。
モノによって価値が違うので、一概には言えませんが、女史自身が、たぶん今のものに換算すれば
20万くらいではなかったか…ということでした。まぁ貸衣装(花嫁さん)というのもピンキリではありますが、
今でもそんなに安いものではありません。
もっとも最近では、ネットの貸衣装屋さんで「9980円セット」だとか「5万円セット」だとかでています。
当然のように安ければ化繊、そして表が正絹でも裏地はだいたい化繊です。
とはいえ…価格という意味では、貸衣装は昔と変わっていないか安くなっている…感じですね。
それというのも、貸衣装に対する感覚が変わってきているからだと思います。
女史も書いてましたが、当時は花嫁衣装に限らず、着物の晴れ着は自前が当たり前。
着たくても焼けてなくなってしまっているから泣く泣く貸衣装で…というような、やむを得ず借りる…と言う感覚。
だから「貸衣装なんて…」という思いがあったわけですね。
いまや「持ってない」ことも、別に恥ずかしいことではないし、自分の家から着ていくわけでもないし、
むしろ心配なく身体だけ持って行けばいいし…便利ですからねぇ。
更には「これを娘に」とか「これはおばぁちゃんの結婚式の」とか、そういう「伝える文化」が
なくなりつつありますから、それはそれで時代の変化というものなのでしょう。
さみしい気ももちろんあるのですが、一度着ただけで箪笥の中でシミだらけになって、
「あーもうこれ駄目ね」と、捨てられるよりは、いいのかな、なんて思っています。
ちょっと前までは、肌襦袢と裾除けと足袋だけは自前、であったものが、
今はそれすら「ご用意します」だそうですから、世の中変わったものです。
先日「清水寺」の旅リポートがあったのですが、二年坂三年坂あたりは、着物の女性がいっぱい…。
あれも「貸衣装」ですよね。ただ、なんといいますか…アロハかムームーかというような、
まっかで大きな花柄の着物が多く、またその上にド派手な羽織を着て…。
男の人もいましたが、着流しに真っ赤な羽織の人を見たときは「アンタは芸人さんかい?」と言いたくなりました。
帯つきの女性は全員「どんな着物でも半幅帯」、まぁ「着物着て散策できます」」なのですから、
それのレベルということなのでしょうけれど、せめて小紋の着物にはつけ帯でもいいから、
お太鼓にしてほしいものだと思いました。どっちを見ても「ちょいとそこまで」スタイルで…。
なにより「それでいいのだ」と思われたらさみしいなぁと。
貸衣装、これから先、どんな変化をしていくのでしょうね。
私も団塊の世代なのでその時分のエスカレーターで産まれたのだと思います。
先日東大路の五条から四条を走るバスに乗りました。
その間に全部ではないと思いますが東側に五軒の貸衣装店を見つけました。
最低価格は2,500円、某国の人が経営。
価格競争で喧嘩も起きているそうで、京都の人間にとっては迷惑そのものと悪評です。
なんちゃって舞妓さんとなんちゃって着物が街を闊歩しています。
着物とは言えない真冬に浴衣そのもの、京都の恥だと。
困ったものです。
伝える文化というのも、大切にしたいな~って、
思いますけれどね^^;
そう考えると、着物ってほんと、そうするにふさわしいんだと。。
だけれど、そのことを知らない人が増えてしまったり。。
おかげで有難い中古市場なのですけれどね( ゚Д゚)
そうそう、
京都の貸衣装を着た可愛い子たち、先日京都に行ったときに見ましたよ。
若い子はとてもかわいいけれど、
ちょっとお年を召したかな?と思われる方も、同じ着方で。。
思わず振り向いてしまいました( ゚Д゚)
あれだけ貸衣装で街歩きをしたいという海外の方の需要もあるのですから、
お年を召した方用のコーディネートがあっても良いな。。
と思いました( ゚Д゚)
名古屋帯にするだけでも、落ち着いた雰囲気になりますものね^^
大勢みました。
おおかたは海外の方のようでしたが・・・
帯によってお値段が変わるという話を聞きました
からやはりリーズナブルな半幅帯にする方が
多いのでしょうか。
着物という事でみるとなるほどそういうものかと面白く拝見しました。
母が結婚したのは昭和27年。その時の衣装は祖母の実家から借りたものでした。
田舎でしたので幸い空襲もなかったのであったのですね。
母は東京の生まれですが、祖母も祖父も東北の田舎が実家。イヨイヨ東京から疎開、という時に荷物は空襲ですべてなくしたそうです。そんなことを考えるとトンボさんのお話もなるほどと、思えたことでした。
こちらでも浅草とか鎌倉あたりでは、着物レンタルが
盛んになっていますが、京都は一番でしょうね。
タレ日でみたあと、ネットでも見ましたが…
浴衣もどきの大柄ハデハデ小紋…なんか粋も雅もありません。
洋装のセンスが当たり前だからなのでしょうか。
あれがふつうと思われたくないなぁと思いつつ
見ておりました。価格合戦、ポリならナンボでもできるでしょうね。
御歳を召した方は「ニーズの少なさ」で、選択肢が
ないのでしょうねぇ。
自前で来てほしいものだというのはゼータク?
旅はいつも着物なので、京都は目立たなくていいのですが、
今度は「ジミー、だっさー」で目立つかしらんと心配中。
どうしても「安価」な方に流れるのでしょうけれど、
きてりゃいいってもんじゃない…と、つい思っちゃいます。
締め方も楽だし、小物もいらないからいいのでしょうね。
なんかちとカナシイ気持ちになりますー。
実にいろいろなものの価格の変遷と、
当時の状況がわかって、なかなか面白い本です。
戦後の大変な時期、都会と地方でも、
いろいろな違いがあったと思います。
伯母(母の姉)は、自前の髪で文金高島田…だったそうですが、
頭と首が痛かったことしか覚えてないと…。
母は四季も上げずに横浜に来たそうですが、
京都と違って、横浜はすべて焼野原…
東京空襲よりひどくて、市街の95%焼けたそうです。
そんなところに来たので「ぜいたくいってられない」と
そんなことを思ったそうな…。
戦争ってほんとにとんでもないことを残しますねぇ。
手作りのカバーだなんて。
紹介していただいた本。とても興味深くで早速アマゾンにて注文しました。
文庫で上下になっていました。
楽しみ~♪
浴衣って暑いときに過ごし易い着物でしょ。
最近みてると、柄とか涼やかさが無いのが多いみたい。
それに化繊の帯とかも「暑くないかな」と思ったりします。
嫁入りのときの留袖や喪服も今は出番がありません。
簡素化というか、洋服が殆どになりました。
母はなんでも大事にする人でしたから、
カバーとか入れ物とか、全部作っていました。
ほんとにマメな人でした。
本、お買い求めとのこと、文庫版もでていたんですね。
こんないい本が、なぜ絶版なのだ…
というようなレビューがありました。
ほんとにそう思います。
ゆかた、私が子供のころは、大人の浴衣は紺と白、
せいぜいが茶色とか黒くらいで、
華やかな色柄は「子供用」と決まっていました。
まぁ色柄がきれいに増えていくのはまだいいとしても、
真夏着るものに椿だの桜だのというと、
かわいければいいってもんじゃないんだけどな、と、
なんでも洋装感覚になっていることが気になります。