トップ写真は、今回いただいたものの中の1枚、昭和の香り…しますねぇ。
昭和という時代は、63年という長い年月でしたから、25年生まれの私は、
40近くまでずーーっと「昭和」できたわけです。
ある日突然、今日から「平成」と言われて、早26年…
それまで「あれから何年…」と、ちゃちゃっと計算できたのに…えっと昭和と平成を足して…
なので最近はもっぱら「西暦」使用です。私は1950年なので、実は計算しやすいのですー。
さて、着物の世界でもほかの話題でも、最近「昭和だねぇ」とか「いかにも昭和っぽい」…
なんて表現がされることがあります。あぁそれだけ遠いんだわ、と実感します。
同じ昭和でも、初期は戦争のおかげで、着物どころじゃなくなりましたから、
実際に落ち着いて着物と向き合えるようになったのは、昭和も半分を超えてからでしょう。
ただし、それは着物衰退の始まりでもあったわけですが…。
戦後しばらくの着物本には、呉服業界の混乱や試行錯誤が、よく表れています。
やたらモダンを強調するような色柄が出たり、洋服のようにウエスト強調の着方を推奨したり…。
とはいうものの当時子供だった私の記憶にあるのは、モダーンよりはただのおばちゃん着物…。
周りにまだいましたから…。
トップ写真のような着物も見ました。
実は、母がこれとよくにたウールを持っていまして、よく着ていました。
たたんであるのをパッと見たときに、思わず「あ、おかぁちゃんの」なんて思ってしまうくらいソックリ。
もう一枚ご紹介、こちらもお召しです。
なんということのない小紋柄で、ちょっと離れると無地っぽくみえるくらいなのですが、
近寄ってみると、こんなに細かい織り柄です。黄色と白が、光の加減で光るように見えたりします。
オシャレだからと言って気取りは感じられない、いわゆる「ちょいちょい着」のタイプで、
こういうのが一枚あると、着物で暮らしている人には便利です。
裏が紅絹なのです。昭和も私が生まれる前ですねぇ。「遠いほうの昭和」!
これはあららだった一枚、箱に手を入れてざっともちあげたとき、玄関のなかだったので薄暗く、
「水玉が飛ばしてあるような…」…と思いました。
ところが部屋の中で開いてみたら…いや、こりゃイカンぞ…
この「柄」のように見えているのはぜーんぶ胴裏の「茶ジミ」…おぉぉぉでした。
表地には全く響いていないので「今のうち」です、早めに解こうと思います。
さて、この「真っ白着物」はなんでしょう。実は一緒に「留袖の解きかけ」が入っていました。
柄部分はキレイなのですが、上半身にヤケもありますし、きっと解いて何かになさるつもりだったのでしょう。
となるとこの真っ白で何も柄のない着物は「本襲の中着」ですね。
元々留袖は、白い中着というまんま着物と同じ形の白いものを、留袖と重ねて着たわけです。
これが「本襲」といいますが、この時の下に合わせる白いものを中着というわけです。
今の留袖は「比翼仕立て」で、前裾、衿元、袖など外から見てわかるところだけ二枚重ねているように、
内側から「パーツ」を縫い付けたもの。これは「簡易」にするために考案された縫い方です。
一つには、実際二枚重ねると重いし、厚くなって着づらいし、おなか周りもたつくし…。
慣れないと、しっかりした襲はいまどきの暮らしにはちと合いません。
比翼仕立てにすると、生地もそれだけ少なくてすみますから、経済的でもあるわけで…。
普通は羽二重ですが、これはけっこうしっかりした生地なので、染めれば着物として着られます。
とりあえず、早く解きます。
そして着たいけど私にはちとかわいいよぉぉぉ、がこちらのコート。
レース地です。実際はもう少し濃い目でオレンジ味のあるピンク。
細かいレースです。
娘さん時代のものでしょうかね。
昔のものは、総じて重さがあります。これも少し厚みがあるので、
いまのものなどを思い浮かべると、ちょっと重たさを感じます。
他にも喪服や絽の着物などいただきました。
それぞれに行く先と使い道を考える…この楽しさはねぇ…止まらないんです、始まると。
少し暖かくなったら、友人が娘さんの成人式の相談に「娘連れて行くね」…と言ってました。
別の友人のお子さんは今年が七五三…なんかよそ様のお祝い事でも、心が浮き立ちます。
まだこれから一番寒い時期が来るのですけれど、やっぱり「春待つ心」は、
日ごとに増していく気がします。
私も好きなんです、トップの着物。
お召の単衣なのですが、とりあえずこれも解いて
できれば着たいなぁと思っています。
このシミにはほんとにびっくりしました。
気が付いてしまったら、早く解かなきゃと、
気が焦っています。
この胴裏のシミはすごいですね。
昔の胴裏は全体に黄ばみますが
これはどはげしくて、表にひびいて
無くてよかったですね。