既に何冊か持っているのですが、帯の「大正100年」と言う文字に惹かれまして…。
新装版 高畠華宵---大正☆昭和レトロビューティ (らんぷの本/マスコット) | |
クリエーター情報なし | |
河出書房新社 |
高畠華宵のデビゥは、今もある婦人薬「中将湯」の広告絵だって、ご存知でしたか?
彼が活躍したころは、蕗谷虹児、加藤まさをも活躍した時代。
加藤まさをはあの「月の沙漠」の作詞者でもあります。
「華宵党」「虹児党」…などと、女学生が人気を分けて、互いにけなしあったり張り合ったりしたとか。
いつの時代も「女学生」とはそういうものらしゅうございます。(ヒトのこたぁ、いえませんが)
私は「顔」だけでいうなら「加藤まさを」氏、いわば「まさを派」いえ「まさを党」ですが、
全体の姿は、やはり華宵が好きです。
華宵は着物や浴衣の柄デザインも手がけていますので、
昭和初期の「銀座行進曲」という歌謡曲では「国貞描くの乙女も行けば華宵ごのみの君もゆく」と
歌われたのだそうです。この歌は知りませんが、母が「華宵ごのみ」という言葉があった…と言ってました。
母は大正12年生まれでしたから、母がお年頃になったころは、
実際には高畠華宵全盛…は過ぎていたと思われます。
それでもこの「華宵ごのみ」という言葉、すごくなまめかしく聞こえます。
「華宵」という雅号は、本人が京都祇園の美しい宵の風景からとったそうですが、
「虹児ごのみ」とか「まさをごのみ」といわれるより、なんだかすごくいいものに聞こえてしまうのは私だけ??
全盛期には、ぜいを尽くした豪邸に住み、優雅な暮らしだったそうですが、晩年は…と、
よくある話ですが、そういう方だったそうです。
いずれにしても、私はこのヒトの絵を見るときは、着物の柄とかコーデばかり見ています。
もちろん、昔の着物ばかりですから、今の色柄ではないのですが…。
裏表紙に、こんな絵があります。表紙の絵ですから使わせていただきます。
うなりますね、いいのか悪いのか、いや、このころから「ミニきもの」は考えられてたんだと驚くか…。
本文の中にもこの絵は載っており、興味深いことが書いてあります。
このころ、つまり大正の初めですが、資生堂美術部、これがどこにあったかは知りませんが、
おそらく銀座だと思います。この前を行く女性を一時間調べたところ、
洋装はわずかに5パーセント、和装が圧倒的だったんですね。
また別の、こちらは大正14年だそうですが、同じような風俗調査でも着物が9割。
その着物は柄は「縞・絣・友禅」の順だそうで、銘仙・木綿・お召し、の順、
羽織は柄は「絣・縞・友禅」、素材は銘仙・錦紗・木綿。
私はこの時代を知りませんから、本や、わずかに残る写真などで見るだけなんですが、
明治の時代をいろんな意味で引きずりつつ、少しずつ豊かになり自由になっていく様子が
なんとなくわかって、おもしろいものだと思っています。
しかも、モボだのモガだのという「昔の話」を耳にすると、当時の若い女性がこぞってやっていたように
聞こえていたのですが、実際には「着物」の暮らしがほとんどだったのだなぁと、改めて思います。
上の「着物もどき」の絵は、ファッション雑誌の口絵だそうですが、
だからと言ってこれがはやった…と言うことではなく、着物がほとんどでありこのころ「挿絵画家」の絵は、
着物界においてのファッション・リーダー的な役目を持っていた…ということで、
華宵が描いた挿絵の着物の柄をデパートが売り出す…というような状況だったんですね。
挿絵画家として、というより、彼の描く絵の着物の色柄やコーディネートなどが研究されたそうで…。
つまり、それだけ当時の着物ファッションに、けっこう影響があった…ということでしょうね。
上の着物モドキのような絵が発表されても、それを真似して…というのではなく、
参考にするのは、実際の着物や帯の色の取り合わせなどであった…ことは「幸い」だったと思います。
今の時代なら、こんなのがそこいらじゅうに現れますがな。
ともあれ、久しぶりに、たとえ「絵」であっても着物一杯で、シアワセ~な気分でした。
実は今、私このほかにも「本」のお話しを書いています。
「暮らしの手帖」をなんとダンボール3箱も!頂いたんです。
毎日少しずつ見ています。いろいろ面白いことが一杯…ですので、いずれまた。
とてもモダンです。100年前にも、ひざ下着物の
発想があったなんて(^▽^;)
人間は、体型差はあっても、意外とファッション
には限界があるんだよ、とうかがったのを思い出しました。
「デビゥ」の響きが新鮮です。
次のお話、お待ちしてます。
大正時代にすでに、こういう斬新なデザインを描いておられるとは驚きです。
私の身内には戦前に洋装したハイカラ人間はおりませんので(田舎もんだし)「本物のモガだわ~!本物の写真だわ~!」
雑誌では見たことあるけど、ホントにいたんだ~と感激しました(感激どころが間違ってるかも…白州正子と白州次郎みたいでした…^^;)
このイラストレーターの描くぽってりとした流麗な女性のラインが、時代を感じます~。アールデコ、アールヌーヴォーの言葉が浮かびます。。。
「暮らしの手帖」!すご~い。解りやすく解説してくださるのが勉強になります、楽しみです~。
早速買い物かごに入れてしまいました。
華宵の描く女性たちのちょっと上気したような独特の目つきが好きです。
今は絶対タブーみたいになっている袖口から長襦袢も一つの色のハーモニーとして描かれていますね。
リアルタイムではないけれど私も知っている…
ということは、それだけ人気があったということですね。
ほかにも内藤ルネとかの絵を思い出すと、
イマドキの「キャラクター」とよばれるものより、
ずっとアートだと思います。
暮らしの手帖、楽しいです。今日、とりあえず記事書きました。
まだまだ「タネ」はつきません!
「中将湯」、どこの家でも見かけましたね。
「命の母」とか、昔から女性は「たいへん」なんですよね。
この絵を見て、今のミニ着物なんかよりずっとモダンでステキ…と思いました。
あのころのファッション、今でもいいなと思います。
ローウェストのワンピとか。いえ、とても着られまへんが。
この表紙のまるいヘルメットみたいな帽子、ほしいですー。
この時代って、戦争前の一番輝いていた時代ですね。
「暮らしの手帖」、すごいです。自分の若いころのことなので、
思い出すこともたくさんあります。
ボチボチ書いていきますので…。
彼は日本画家を目指してましたが、
一番の違いは「この眼」ですよね。
「物言う眼」です。
このころの方が、なんか自由だなぁと思います。
生い立ちや「ザセツ」も書いてあって、へぇぇなんて思って読みました。