本日も羽裏です。
さて、これは何の柄でしょうか。
大きな柴のたば、左側の箱には「やけど薬」とあり、右側の巾着には「火の用心」の文字。
はい「カチカチ山」ですね。
留守模様だけど留守番がいる・・・といったのは、薬箱の柄にうさぎがいるから…。
留守模様については過去記事をどうぞ。
薬箱アップ、木目柄も細かいです。「兎薬局謹製」ってとこでしょうか。
こちらは「巾着」、よく見ると「唐獅子と牡丹」の絵が描いてあります。芸が細かい…。
シルエットだけみたいなぼんやりした「柴」ですが、立体感を出すためのアクセント小紋、
使い方がうまいですね。
背景にさらさらッと描いてあるのは「老夫婦の住む家」でしょうか。
その前には狸が悪さをする田んぼ、そうなると後ろの山がカチカチ山?
カチカチ山といえば「ワルたぬき」と「かしこウサギ」の物語。
おおまかにいうと
悪い狸が老夫婦の田畑を荒らす。
老人が捕まえて「狸汁にするから」と縛っておくと、狸は老婆に必死で改心したと訴え、
老婆は縄を解いてやるが、狸は老婆を殺して逃げる。
仇討ちをしたいが自分にはムリだと泣く老人に、仲のよい兎が仇討ちを請け負う。
狸をそそのかして柴刈りに連れ出し、兎は狸の背中の柴に火をつけ、
おおやけどを負わせる。薬だといってからしを塗らせる。
ヤケドの治った狸を池に魚とりに連れて行き、大きな泥舟にのせておぼれさせ、仇を討つ。
ですね。
この筋はどの地方でもだいたい同じなのですが、昔話というのは、語り伝えられるうちに内容がかわったり、
時代背景でプラスマイナスされたり、変化します。
よく「本当は恐ろしい・・・の物語」なんていうのがありますが、このカチカチ山でも、
実は狸はおばあさんを殺して「婆汁」を作り、自分は得意の術でおばあさんに化けて、
帰宅したおじいさんに「狸汁を作った」といって、おばあさんの肉の入った汁をたべさせる、というお話し。
ちょっとヒキますよね。
近代に入って「残酷」なことはいけない…という方針が進み、
いろいろなお話の「殺す、殺される」という結末や、残虐な場面などがソフトに変えられたり、削除されたり。
そうなると、カチカチ山でもおばあさんは、大怪我をしただけ、ということになります。
これ猿カニ合戦でもそうですね。カニは猿に硬い青柿をぶつけられて大怪我をする…になっています。
また、最後にカチカチ山の狸も、猿カニ合戦の猿も、仇討ちにあって殺されることはなく、
「改心」して謝罪し、よいことをするようになった…と。
そうはうまくいくかい…ってのが現実なんですが。
そういう「改定」がいいのか悪いのかはわかりませんが、いくら昔話をそうしても、
いまやテレビゲームで毎日、何人も殴ったり蹴ったり、銃だの爆弾だので殺してますねぇ……。どうなんでしょうかねぇ。
さて、昔話のお話しはおしまいにして、では「火をつける」というお話し。またブッソウな…。
いえいえ、柄の中の「火の用心」の巾着の中身のことです。
柴があって薬があるのですから、この袋の中には「火をつける道具」が入っているはず…ですね。
昔の「火起こしグッズ」です。
また、ちと脱線…
カチカチ山、という題名は、兎が狸の背中の柴に火をつけるのに「火打ち石」を打ち鳴らす音からきています。
狸に「今の音はなんだ」と聞かれて兎が「ここの山にはカチカチ鳥というのがいて、カチカチと鳴く。
だらここはカチカチ山、というのだ」と答えます。更に柴に火がついてぼうぼうと燃え出すと、
狸がまたたずねる、兎は「この山にはぼうぼう鳥がいて、ぼうぼうと鳴くからここはぼうぼう山だ」というんですね。
子供のころこの本を読んでは「ぼうぼう燃えてたら、きっと熱いし煙も出てるし、気づけよもぅ」なんて考えてた、
かわいくない子供でした。
火起こしに必要なものは「火口(かこうではなく『ほくち』)、火打ち金(ガネ)、火打ち石、つけ木」でワンセット。
ほくち、というのは消し炭を粉にしたものや、蒲の穂、麻などをほぐしたもの、また木綿の綿などを
蒸し焼き(消し炭状態)にするとか、炭の粉、硝煙などを混ぜ込んだものなど、いろいろ考案されました。
要するに火のつきやすいもののことです。火打ち金は、火花を散らすための金属。
火打ち石は、鉄をも削ろうかという硬い石のこと。日本では「玉髄」と呼ばれる石英系の石だそうです。
つけ木は、木の板を薄く切ったもの、厚めの経木みたいな感じですね。
実はこのセット、今でも売っています。縁起物、ですね。
出かけるとき玄関先で、家に残る人が出発する人の背中に向かって「切り火」を切る、
これは「魔を切る」とか「厄災を払う」というおまじないです。時代劇でよく出ますね。
火をおこすには、まず「ほくち」の真上、もしくは火打ち金のところに「ほくち」をちぎって指で押さえた状態で、
火打ち石を火打ち金に打ち付けます。飛んだ火花が「ほくち」に燃え移ります。
この状態では「炎」が立ちませんから、チリチリと燃えているところに「つけ木」を差し込んで火を移します。
ちろちろと炎が立つこともありますし、炎が立たなくても少し燃え始めたら、更に藁や紙などにこの火を移し、
次に薪をくべたり炭を入れたりするわけです。たいへんな手間ですよね。
しかもどの道具も「使えば減る」ものですから、とにかく大切に使わなければなりません。
だから囲炉裏の隅などで、灰をかぶせたりして残しておく「火種」というものがたいへん貴重で、
一家の女主の責任とされたり、嫁が来ると「今日からはアンタが火の番だよ」と姑がバトンタッチしたり…
なんてハナシが残っているのですね。
火は摩擦で起きますから、大昔から固い木とと柔らかい木をこすり合わせるという方法がありました。
火溝(ひみぞ)法…硬い木とやわらかい木のセットで溝を作るようにこすり合わせる。
錐(きり)法…棒を立てて両手で錐をもむようにこすり合わせる。
この錐でもむ動きを手ではなく弓のような道具を使ってすばやく回転させる道具などが考え出されました。
いずれにしても「何もないところから炎を出すまでの火を起こす」というのは、タイヘンなことだったのですね。
今はマッチさえ見かけず、ライター、チャッ○マンなど、カチッで点火、ガスコンロもスイッチポン。
シアワセなのですよ、私たちは…。
昔話ついでにもうひとつ…。
「火種」の番をお姑さんから言い付かった嫁さんが、こともあろうに大晦日の晩に、うたた寝して消してしまいます。
元日にはまず火を起こして雑煮を作ったりしなければなりません。
嫁さんは真夜中に表に飛び出し、どこかで火種をくれるところはないかと探しますが、もうみんな寝静まっています。
そのときちょうちんの灯りが見えたので、火をもらおうと追いかけてみると、それが「葬列」…。
葬列の付添い人が「火種をやるかわりに、正月で葬式ができないから、三が日棺おけを預かってくれ」と言います。
嫁さんは驚きますが、なにより「火」がほしい…そこで火種をもらうかわりに、棺おけを預かり、
納屋の藁の中に隠します。夜が明けて無事に年が改まり、祝いの雑煮もできたけれど、
嫁さんはとんでもない隠し事で顔が真っ青…気がついた家族に問いただされて、嫁さんはほんとのことを話します。
ところが、納屋の藁の中を見てみると、棺おけの中の遺骸は同じ大きさの金の塊になっていた…。
姑は「大晦日の七福神が、心根を試して福を授けてくれたのだ」と喜び、嫁さんを大切にした…というお話し。
えぇわたしんとこ、棺おけの二つや三つ、いつでもお預かり…できませんねぇ…こわいわぁ。
やっぱり仲良くするのは屋根の上のビンボー神さんかなぁ…。
羽織の裏の模様???いやん素敵♪
お洒落ねぇ。
昨日、羽織を何点か見てましたら、その裏地もすっごくお洒落な柄のものがいっぱいありまして、かなり楽しかったです。
そうそう(シンデレラ)なんかも実はけっこうグロイのよん。
貧乏神さんの所在は、とんぼさまのおうちの屋根の上?
既に外ですね。
これが大勢でグルリを取り巻くと、福の神は外に出られないんだそうで、めでたしめでたし
絵としても、判じ物としてもすぐれているんですね。
おみそれしました<(_ _)><(_ _)><(_ _)>
火打石のお話、なつかしかったです。
自分はカチカチ山で、火打石の音で気がつけよと思った…かわいげのない子供です。
福の神か貧乏神か分からないですが、年明け早々、飛ばされたようにこけたのは、まわり
金神様の遊行の邪魔をしたからかも・・と
言われました。神様はいるとそれ以来信じています。
火が簡単に点けられる、今の時代に生まれて
良かったと思います。
羽裏コレクションが増えるばかりですが、
こればっかりは、もうなくなる一方だと思うので…。
ただのきれいなものや、ありきたりの柄は、着るのも寂しい…
なんて思っています。
私は自分の羽織の裏に、見つけた羽裏をつけていますが、
縫子さんが「こんなのあるんだー」とおっしゃるそうです。
私は丈が長い羽織か道中着、が多くて、道行は持っていてもあまり着ないのです。
羽織は出先でほとんど脱ぎませんが、道中着や道行は脱ぎますから、
裏もこりたいのです。
貧乏神に囲まれて、福の神が出られなくなったら、
そりゃアリガタイですねぇ。
昔話は高校になっても読んでましたからねぇ。いや今でも読んでます。
イマドキは、子供の本も変わっているようで。
同じお話しでも、年代によって感じることや考えることが違うと思うのですが…。
火打石、さすがに実家にもなさそうです。
母の実家が、昔のわらぶき屋根を壊したとき
いろいろなものが出たんです。
その中にあったかも…と思うと残念で。
金神様の遊行のジャマ…昔の人は、そういうことを
教えてくれましたよね。
最近、100円ライターが子供の事故防止に、ものすごく固くなりました。
ほんとに腱鞘炎起こすかと思うほど固くて、使いづらくなりました。
それでも、火打石でつけること考えたら…と、神棚と仏壇には一個ずつ置いてあります。
ありがたや…ですねぇ。