だいたい「押し絵」というと、紙を土台にして綿を入れ縮緬や金襴でくるむ…なのですが、
これは「刺繍押し絵」…というタイトルで出ていました。「ししゅう…おしえ???」
押し絵…となっていますが、押し絵って本来厚みがあって立体的なものですからねぇ…。
違うっしょー…と思いつつ、とりあえずまずは「モノ」の説明から…。
トップ写真が全景ですが、和紙の上に置いて写しています。
大きさは、A4サイズの紙に載せると上下が飛び出す…という程度の大きさ、けっこう大きいです。
これ…何かに貼るために作ったというより、何かに刺繍されていたものの周りを切り落としたような…、
例えば帯とか袱紗とか…そういうものだと思うのです。
これが裾のところのはじっこ…
着物の部分はもちろんのこと、顔、髪に至るまで全て手刺繍。
さして汚れもせず、糸の切れもなく、よくぞここまでいい状態で残っていてくれた…と思います。
お顔の部分…
着物です。こまっかーい…でしょう。色が少し全体に薄めです。
もう少し濃い色が入っていてもよかったんじゃないかと…いえいえ、できもしない私が余計なお世話ですが。
男性の方は、ちゃんと着物の輪郭に別色を使って立体感を出しています。
毎度申し上げておりますが、刺繍に関してはまっっったくダメな私から見ると、これはもう「神業」です。
裏がこちらなんですが、ムダな糸渡しがないように思います。プロの仕事でしょうねぇ。
結局いろいろ考えて私の結論は「押し絵」じゃないよ…。
では、違うといいつつ「押し絵」のお話し。
今、押し絵細工…というと、やはり最初に書いた「綿を入れたちりめん」が多いわけですが、
単純に何かを貼り付けて柄にする…というなら、ただの「貼り絵」、これは正倉院御物にあります。
もちろん見たことありませんので「講釈師、見てきたようなウソをいい」ですが、えー思い出せないので調べました。
「人勝残欠雑張」…舌かみそうですが「じんしょうざんけつざっちょう」でした。
五節句の一つ「人日」、つまり一月七日の節句に飾ったものだといわれています。
またここで脱線、
「人日」は節句の中でもほかのお節句と違って「三月三日」などのように日と月の数字があっていませんが、
中国の古い風習で、1月1日から6日間、一日ずつ動物をあてはめ、その日はその動物を殺生しない…と、
そういう決まりごとです。その7日目が人間、まぁ人間はいつの場合も殺生は許されませんが、
逆に「罪人の刑罰」をこの日はしなかった…といわれています。
つまりは「命」「健康」を考える日ってことなのでしょうね。
というわけで、その「一番古い貼り絵」は、人間と動物の貼り絵、です。
単純に「何かを貼る」ということで言うなら、雅な暮らしの平安貴族は、女官たちがきれいな布のはしなどを、
道具類の箱などに貼って楽しんでいたそうですから、ずっと昔からあったのですね。
最初は単純に「貼り絵」だったと思いますが、やがて「立体的に」が始まり、それは地方へも広がっていきました。
私が知っているのは九州の「おきあげ」と呼ばれるお雛様。
どこだったっけかな…で調べましたらありました「日田」です。博多、久留米もあるそうですから、
九州では盛んだったのでしょうね。ただ、時代はずっと下がってのモノだと思われます。
よく「つるし雛」とか「つるし飾り」とよばれるものが、伊豆の稲取とか、柳川では「さげもん」といいますが、
お雛様の飾りとして作られますね。つまりひな祭りというものが庶民の間にも定着して…ということですから、
あちこちで「押し絵」が作られ始めたのは、平安からずっとあと…ということになります。
一説には室町あたりといわれていますが、これは押し絵で平らなもの、つまり日田のおきあげなど。
また江戸時代が発達の期限だという説もありますが、たぶん「押し絵羽子板」の出現のこと…と、私は考えています。
この手わざはずっと「手芸」として伝わり、明治大正のころは女性がはぎれをじょうずに使うのは、
一種の「当たり前」でしたから、巾着に押し絵が縫い付けてあったりとか、そういうものが残っています。
江戸での「押し絵」は、羽子板が有名ですが、そうなると今度は「羽子板の歴史」。
これは長いので、過去記事をご覧下さい。それにしても私はなんとあちこち話題を飛ばして書いているのでしょう…。
とりあえず、遊び道具だった羽子板が押し絵をつけた豪華なものになって飾るもの…になったのは江戸時代。
歌舞伎役者が今風にいうなら「3Dブロマイド」でしょうか、それとして作ったのが始まり…という説が有力です。
ここから「立体的な押し絵の羽子板」の独特の技術が急速に発達したわけです。
実家にも80センチくらいの「押し絵羽子板」があるのですが、板にべったり貼ってあるのではなく、
立体感を出すために、更に後ろにはさみこむものを入れているので絵が浮いています。
最近の美術押し絵と言われるもの(季節の飾りとかに使われる色紙に貼られた押し絵)は、浮いていません。
また昔からの「おきあげ」などは串がついていて、背景はナシで畳のへりや専用の台に挿して飾ります。
というわけで「押し絵」は、庶民文化としては江戸時代の少し前あたりからひろがったもので、
「厚みのある立体的なもの」、だと思います。
したがってやっぱりこの「おふたりさま」の刺繍は「押し絵」にはならないと…。
どっちでもいいんですけどね、きれいなんだから…。
さて、これをどうするか…どーしましょ…。
手に入れたはいいけれど、当たり前に「額に入れる」…ですかねぇ。
バックに真っ赤なちりめんとか、或いは古い丸帯の格調高い柄のハギレとかを置いて…。
タペストリーでもいいかと思ったのですが「保存」を考えると、ガラスでカバーしたほうが…と思うのです。
これだけの刺繍にしては、かなり格安だったのは使い道が限られるから…だったのでしょうね。
こんな刺繍の帯があったら、ゼロが当たり前に4つ5つつきますわねぇ。
とっても美しくて素晴らしいと思う以上に
隙間なく埋め尽くしてある刺繍にホゥーと
気が遠くなりそう・・・
等と考えつつ 読み進みました。
私の羽子板なので 60年モノです
それにしても この手刺繍 素晴らしいですねぇ
本当に溜息モノ
是非 本物を見せて頂きたいモノです
とんぼさん所有の品の展示会を開いて頂きたいですね。
ついたてがないし
お身内かご夫婦でしょうか。
女性の袿が殿方の狩衣ののようにも見えますから、薄物の頃に
入りかけた時期、それとも、裳着の前で下がり端のある
女性となると、やっぱり玉鬘かなぁとか想像しております。
二人の距離感が、絶妙で(笑)こんな想像してしまいます。
…でも、押し絵とはちがうでしょう!やっぱり。
とんぼさんの手で大事にされてよかったです。
ほんっとに気が遠くなる仕事だと思います。
すごいですよね。
じーっと眺めていてもあきません。
押し絵といえば「羽子板」ですよね。
実家のは浅草の羽子板市で買ったんですが、
持地は込んだのは私…重かったっす。
「展覧会」…お粗末で入場料もとれまへんがな。
一度ネット展覧会?を考えてはいるんですが、
なかなかですー。
いずれ羽裏オンパレード…したいですわー。
ついたてがないのは、こういうものですから
デザイン的に入れなかったのだとは思いますが。
私は平安文学、全くダメですから、
学んでおられるえみこ様のお話は
「へぇぇなるほど」です。
それにしてもやっぱり「押し絵」にはムリがありますよね。
偶然の出会いってヤツです。
zizi様の刺繍も、ブログで拝見させていただいてますが、
自分のものに刺繍ができるなんて、ほんとにいいなぁと思っています。
たいへんな作業ですよ、一針一針なんですもん。尊敬しますっ!
刺繍って何処の国の物でもすごく手がかかっているみたいですけど、日本刺繍は殊にですよね。
あ、以前中国物産展で見た薄絹の衝立に施されていた中国刺繍は気絶しそうなくらい緻密で、しかも両面からの鑑賞に堪えうる逸品でしたが。
楽しいですね、背景はどうしますか?????
女君は、かざみを着ているようですから、季節は初夏か、それとも晩夏かな。
私もこーゆーの大好きで!
中国と日本は、特に繊細な作業が得意、と言いますね。
私も薄絹に表裏おんなじに見える中国の刺繍うちわを持っていますが、
手間の掛かりように、やっぱり私にはムリと、思います。
汗袗(これって変換ででないので、しかたなく検索からひっぱってきました)
のようですから、暑さを感じる時期でしょうけれど、
そうなると「冬」の場面のもほしいなぁと、またブツヨクが…。
こういうのはなかなかみつけれらないんですけどねぇ。