前回はなにやらよくわからないおしまいで…すみません。
写真は、またまた「再出」、昭和30年代と思われる訪問着の解きです。
今日も「解決策にもなんにもならないお話し」で、申し訳ないのですが、
とりあえず「訪問着」ってなんだ?…のお話し。
貴方が訪問着を着るのはどんなときでしょう。お友達の結婚式、何かのパーティー(ちょっと格式のある)、
お茶をなさっておられる方は、初釜の時などにお召しでしょうか。
いずれにしても「めったに着るもんじゃないんだよねぇ、でも一枚はないと困るのよねぇ」…だと思います。
ほんとにそうなんですよ。
これからお話しすることは、知らなくても別にちっとも困らないお話しです。
ただ、訪問着のことをもう少し知ったら、何かアイデアがわいたり、別の視点で見えてくるものがあるかも…。
なんともはや、えぇ加減な動機ですみません。いって見ます「THE 訪問着」…。
まず「訪問着」は最初は別の名前で呼ばれていました。「訪問服」「散歩着」「社交服」…。
「服」?…私たちは、スーツやセーターなどを買いに行くとき「ちょっと服、見にいってくる」といいますね。
散らかすとお母さんが「自分の服くらい片付けなさい」といいませんか?このときの「服」は「洋服」です。
着物の時は「着物」っていいますよね。服ってタダの「着るもの」のことです。
昔、洋服なんてめったになかったころ「服」は「自分たちが日常的に着ているもの」、つまり着物のことでした。
今でも「紋付」のことを「紋服」といいますし「式服」といいますね。
西洋文化が入ってきたから「アレは西洋の服」で「洋服」と言ったわけです。
そのうち洋服の方が数が増えてきて、今度はわざわざ「和の服」で「和服」と言う言葉ができたわけです。
そしていまや「服」は洋服のこととなり、着物は「着物」だの「羽織」だの、全部まとめて「和服」になりました。
逆転されちゃったんですね。
だから、最初に「訪問着」ができたころは、まだ「服」は着物が中心だったので「訪問服」といわれてたわけです。
では、なぜ訪問着ができたか…いくつも説があります。
元々地域性などもあるものですから、全体的に見れば「こんなことがあって」…ということで、
お話ししたいと思います。
訪問着は大正年間に、デパートの画策で出現した…と言うお話しがあります。
でもその前に、まず「そうなった土台」というものがあります。
そもそも日本人が洋服を着るようになったのは、明治維新が大きなきっかけとなりました。
京都にお住まいの帝が、大政奉還により「江戸」にこられて、明治政府を開きました。
明治天皇は、外国とのお付き合いをしていく上で、外国の要人と会うなどのときに「直衣直垂」だの、裃だの、
そんなものは廃止して、こちらも洋装で行こう…とお考えになられたわけで…。
明治5年に、宮中と公式の場では「直衣直垂」などの和装を取りやめました。
当然、洋装になるわけで、当時の政治に関わる要人、華族(元々公家の身分の高いヒトや武家では元藩主クラス)、
そういった人たちの男性は、みな背広や燕尾服だのフロックコートだのを着用したわけです。
一方、女性もまた少しは洋装を取り入れましたが(鹿鳴館でダンスする女性などですね)、
女性については、男性ほど「これでなければならない」ではなかったので、着物が着られ続けました。
ところで…上流社会の女性たちは、江戸の昔はどうしていたか…。
女性は表に出ないのが当たり前。特に身分が高ければ高いほど、出てきません。
屋敷の奥深くで、家を守るための采配をふるい、子を産み育て…政(まつりごと)に口を出すなどもってのほか。
まぁいつの時代にも例外はありますが…とりあえず、妻は屋敷の奥にいなさい…で「奥方」というのです。
それが、洋風文化が入ってくると、アチラはなにかあれば「夫人同伴」です。
明治に入って、そういう面でも女性の社会進出といいますか、そういうことが少しずつ始まったのですね。
女学校が作られ、女性も教育を受ける風潮が生まれたのも明治。
そのころの女性の着物…まぁ第一級のレセプションなどなら「五つ紋の留袖、色留」でよかったでしょうが、
いろいろ「おつきあい」の場が増えてくると、それを着るほどでもない…というような場合も往々にして出てきたわけです。
その間に庶民の方も少しずつ、絹の着物を着たり。裕福な生活をするものも出てきました。
ところが、当時の着物の柄行の種類は「絵羽付け」か「総柄」、今で言う「留袖、振袖」と「小紋」。
つまり「礼装用」と「普段用」だけで真ん中が何もありません。しかも柄行は明治ほど地味、
「若向き」「老け向き?」とでもいいましょうか、ジミかハデかのどちらかに偏っていました。
そこで「五つ紋まで付いてなくてもいい、もう少し『格』をさげた着物があれば…」
「もう少し年代的にいろいろな幅があるとか、若くてもアッサリとか、中年でも華やかとか…」
そういうニーズがでてきたわけです。当然、呉服屋さんは社会状況もみていたでしょうし、
今の洋服製作に携わる人たちと同じように「消費者のニーズにこたえるものを」…の思いもあったでしょうね。
そこで生まれたのが「パーティーなどまでいかなくても、ちょっと奥様方がお集まりの会にきていける訪問服」、
「仲のいい親子やお友達で、ちょっとお買い物…」今で言うなら銀ブラや、お茶のみ…これが「散歩着」、
「女性が集まって楽しくお茶会」のときの「社交服」…。
やがては「紋」という面倒なものも、最初はちょっと格を下げるために五つが三つ、三つが一つ…になり、
「紋ナシ」の訪問着もできてきたわけです。色柄、そして格も、バリエーションが増えたんですね。
つまり、身分の高い女性や裕福な家庭の女性が、いい着物での「オシャレ着」として重宝に使ったわけです。
やがて庶民の女性も、色柄を楽しむ着物になりました。
だから今でも訪問着といっても「格調高い」「豪華」と言うものばかりではありません。
着物をたくさんお持ちの方は、とても結婚式にはジミでしょ、ってな訪問着も持っておられます。
ダメージあり、で、着物としては使えないものですが、こんなの…。
もったいないですが、切れてまして…。
ご覧のように、結婚式にはちょっと寂しい…でも気楽なパーティーなんかにはいいですね。
それと、オシャレ訪問着ですから、実は「散歩着」でもいいのです。
つまり、これで銀ブラしたり、絵の展覧会見に行ったり…お芝居とかも。
そんなことに訪問着なんてちょっとオオゲサ…と思いますか?
それは意識の中に「訪問着は礼装だ」という思い込みがあるからです。
「訪問着の中の、柄が格調高かったり、豪華だったりするものは礼装に着られる」です。紋でもつけときゃバッチリです。
今は着物をチョコチョコ着ませんから「訪問着一枚作っておけば」になるので、
それなら結婚式に着られるものを、で「訪問着→豪華絢爛」になり、
「街着、オシャレ着」は、もっぱら小紋と紬で占められるようになってしまったわけです。
ちっとも「問題の解決」にはならないお話しばかりですが、
だんだん着物が着られなくなってきて、「着物は特別の日に着るもの」になると、
訪問着は礼装に使えるのでそちらばかり、オシャレ着はもっと使い勝手がよく、
訪問着よりは価格的にもラクな小紋…と、二つに分かれていったんですね。
訪問着はいまだって本当は「使い勝手」のいいもののはずなんですが、
今、着物を着たいという方は、紬や小紋をオシャレ着として選びます。
訪問着、という名前だけで「そりゃ礼装」と敬遠する…。
実はもったいないことだと、私は思っています。
お話しを始めるとあれもこれもと長くなります。
とりあえず、こんなことは呉服屋さんでも話しません。
それは「今の訪問着は礼装がほとんどだから、訪問着がほしいというお客には
豪華絢爛なものをお勧めすれば、お客様も納得する」からです。
何の解決策にもならないことではありますが、
「披露宴などでは訪問着でなければならない」のではなく「訪問着の中の格調高いものが使える」と、
これだけでも「訪問着」を縛っているものが、少し解ける気がしないでしょうか。
まぁだからと言って、訪問着の価格が下がるわけじゃナシ、結局一枚は豪華なものをもっていないと…ですが、
とりあえず今日は、訪問着ってこんな履歴書なんだよ…というお話しでした。
次回は、ココからまたどこかへ話しを飛ばします。(いいのかそれで)
お褒めに預かり恐縮です。
留袖の単衣と夏物なんて、そりゃお宝ですね。
最近はどうせ冷房きいてるからと、
夏でもみんな袷だそうですが、
夏に呼ばれたらどうしようかと思います。
古典柄の訪問着一枚、そりゃ必要です。
とりあえず「そこから始める」だと、もっといいんですけどねぇ。
日本人は、西洋文化にまみれすぎて、
何人だかわからなくなってるみたいな気がします。
着物復活してほしいですわ。
ありがとうございます。
ほんとに最近は、紬着ても「何かあったの?」
なんかなきゃ着ちゃいかんのか、ですわ。
小さいときから着物が視野の中にある暮らし、
ステキです。
いろんなお話しをしてあげてください。
お嬢様のご成長、私も楽しみです。
知らなくてもいいことなんですが、
なんとなくわかると安心…みたいなところもあると思います。
この一枚目の着物、ざつくり切れているんです。
なんとか別のものにと思いつつはや数年…。
不幸な子なんですよぉ。
いつも博識に尊敬です。
実家にはなぜか訪問着(付下含)が一枚もありませんでした。
紗の道行コート…いまだにしつけついてます…なんかがあるのに。
訪問着を飛び越えて黒留袖は袷、単衣、絽にそれぞれの帯がセットされていてひっくりかえりました。
最近は着付教室でも古典柄訪問着が1枚あれば何も心配ないからと言われているようで毎年この季節になると入学式用にと急ぎの仕立てがあります。
あぁ訪問着欲しくなってきました…そう言う話ではないですね…
今のアパレルと変わらない部分がおもしろいです。
先日、どこかのギャル系そのままの恰好で
歩いてるおじょうさんを見かけまして。
あ~、着物姿を見る人もこんな感じなのかなと思いました。
またのお話お待ちしてます。
こう言うコトを学校できちんと教えてくれないものかしら、と、いつも思うのです。
文化継承を重んじるならば尚更、教育現場でしっかりと子ども達にすり込んで欲しい。
浴衣も着物も見分けが付かないような日本人が世に溢れて居る事を「おかしいぞ!」と思わなきゃいけないんじゃないかと。
ま、実際はそれほど大げさな話じゃ無くて、着る事で解決することが沢山あると思うんですが。
私は普段から着物を着てチョロチョロしておりますが、視線が面白いですね。
子ども達は「何で浴衣なの?」とか「どうしていつも着物着てるの?」とか。
大人は、何とも感じ悪い視線が向けられることが多いですが、それもこれも慣れました。
最近は小学生の娘が休日になると「お着物着せて!」と言うようになり、ウシシと喜んでいます。
娘にとっての着物は「お母さんの普段着」なので、なんの抵抗も無いようです。
もっと着物の事を身近に感じられる環境になると良いのにと思います。
トンボさんの教科書を作って、学校の図書館に置きましょう
そういうことだったんですね。
こうしてお話を読ませていただくと思いこみで物事を見ているなあと実感。
しかしとんぼさんの博識にはいつも本当に感心致します。
画像のお着物--素敵ですねえ~~
1枚目の物が特に何とも言えない色ですね。
続、続を楽しみにしています。