着物とともに、本の整理もしておりまして、いらない本をだいぶ処分しました。
着物と本は売るもんじゃない(商売でではなく、古着やさん、古本やさんに)と
母から聞かされていましたが、ほんとにそうですね。
それでも片付けばけっこうな話し、ゴミとして捨てるより、
誰かにまた楽しんでもらえれば・・と、でも安かったぁ・・・!
で、整理していて出てきたのが、以前にもアップしました「昔の通販カタログ」、
これは、日本橋三越と大阪三越、左が日本橋で昭和14年、
右の大阪のほうは、残念ながら全ページちゃんと残っておりませんで
発行年がわかりません。でも、女性のスタイルを見ると、同時期かと・・。
このカタログの「日本橋」のほうを見ますと、時局柄やはり正絹は少ないです。
でも柄行は、けっこうハデですね。
右のページは上の段が20代向き、下の右真ん中だけがティーンエイジャー向き、
となっています。左の下だけ30代後半。紫に白の小紋で、△部分は拡大画像。
左ページのハデーなのは子供の着物、右下の枠内は「新興大島」と「人絹紬」。
新興大島とも言うのはたぶん「交織」などのことではないかと思います。
価格を見ると「人絹紬」よりちょっと安いので、もしかしたら「ガス大島」かな?
着物ではありませんが、これをご存知のかた・・・
真ん中の十字柄の箱「キップパイロール」という薬です。
今でもあると思います。これ、ウチでは物心ついたときからありました。
黄色い油薬で、ベタベタするのでイヤなのですが、
母は「ばい菌はいるやろ」と、すりむいても切ってもこれでした。
次は「カラーページ」です。これは昭和14年6月号の付録なんですが、
本体がありません。上のカタログと同時入手なのですが、
「一束」という形でして、なにしろみんなバラバラ・・・でした。
で、これが一枚だけなのです。カラーなので、当時の色柄がわかります。
全部正絹とレーヨンの交織の「絽錦紗」、つまり絽ちりですね。
これちょっと部分アップしてみました。
こちらが「若向き」、右のユリ柄が「15-6から20」、
市松は「21-2から25-6」、雲取りが「20から25-6」
花丸が「22-3から25-6」矢羽が「24-5から27-8」と
おすすめ年齢入り・・・。
こちらがちょっと年上、細かくなるので簡単に、右の花丸から「25から30」、
葵「25から32」、波につばめ「26から32」、萩「27から34」
笹「32から38」、霞に萩「32から38」
最後の大きな葉は芭蕉で「23から28」
ハデなのかジミなのか・・というより、この頃って自分の好みより、
一般的な線引きが強かったんでしょうね。時局的なこともありますから、
ちょっとハデなのをきていると、いろいろ言われたのかもしれません。
それでもまだ14年ですから、少しは華やかさも残っています。
この後日本は戦争への道を驀進し「贅沢は敵だ」と、
華やかな着物を作ることも着ることも、制限されていくわけです。
そう思ってみると、これは戦前の最後の華やかさなのかもしれません。
ちなみにこちら3枚は、いずれも33-38くらい、とあります。
ババくさい・・ですよね。
三越は本来「呉服屋」ですから、着物が中心ではありますが、
通販カタログですので、さまざまなものが紹介されています。
いろいろな道具や日用品の形、材質、価格を見ていると、
日本は本当にこの5~60年で、急激にかわったのだなぁと思います。
このカタログ、とにかく「バラバラ」ですので、
ちょっと一枚ずつひろげ、ページや写真の色などで、
ちゃんと分けて組み合わせてみようと思っています。
ついでに一枚ずつじっくり眺めて、何かおもしろいものがないか探してみます。
今日はやっと?雨らしい雨になり、ちょっと涼しかったですー。
洗濯パスしたので、こんなものを広げてみていました。
古いカタログ見ているより、ほんとは「ハギレ」を入れる箱を
「現代の」カタログで探すはずだったのに・・・あれぇ?
わかりますう~。
こういうのを見かけるとほんと他の
事が出来ないですね。
私も帯結びをしょうと本を見ると
着物の色、柄が気になってついつい
見入ってしまいます。それで気がついたら
時間がない!てことに・・・
そうなんですよねぇ。荷物のヤマの中で
すわりこんじゃったりして・・・。
これなんかバラバラですから、
あっちこっち広げてもーたいへんです。
あー、ちゃんとやらなきゃ!
今でも、「私・・・才なんですが、派手すぎません?」あるいは「地味すぎません?」こういう言い方する人いらっしゃいますね。
自分の実年齢ではなく、好み、あるいは、見た目年齢、もう好きだからなんだっていいんです、にいつ頃からになりましたかしらね。
人の評価が先にくるのではなく、自分をまず持ってくる、これって個性だというようになって、結局約束にしばられたある種の美しさはなくなったような気がします。ちょっと懐かしい感じもします。
時代がありまして。日本橋にも何回か
お邪魔いたしました。懐かしいですね。
まさか!伊勢谷丹治さんに飲み込まれるとは
思いませんでしたが・・・
百貨店「冬の時代」ではありますが。
こうして「よき時代」を知っている方々は、
手前どもにとって、何より代え難い
常お得意様でございます。
デパートも大変な時代になりましたね。
私の子供のころは、盆暮れのご挨拶の買い物は
横浜高島屋ではなく、伊勢佐木町の野澤屋、
松坂屋、白木屋のどこかでした。
夏に行くと、まだクーラーのないころは、
天井に大きな4枚羽の扇風機?がゆったりまわり、
入り口入ってすぐのところに「お花の入った氷柱」がありました。
母に連れられていく私にとって、あのころのデパートは夢の国でしたねぇ。