86になりました。
写真は、当日届けられた「父手製のお赤飯」です。
古道具で買った一人膳に乗せたら、お箸が長すぎました。
ご飯にあわせて、箸置は「栗」です。
お昼ごはんに間に合うように、と、息子の昼寝前に持ってきてくれました。
お赤飯といっても、食の細い母に栄養を取らせようと、
小豆のほかに栗としらすが入っています。
しらすの塩加減で「ごま塩」がいりません。とてもおいしかったです。
この日の息子と私の昼食は、前夜の残り物「白菜としいたけのクリームシチュー」
これに「赤飯」という、とんでもミスマッチになりましたが、
おかげさまで、なんか栄養つきましたわー。
当日の朝一番で、姪(母の姉の娘)が
母の好きな「源氏巻」という和菓子を贈ってきてくれました。
私にはイトコにあたるわけですが、彼女は母親がなくなっていますので、
「おばさんは、自分にとってもおかあさんみたいなものだから」と
何かと気に掛けてくれまして…実の娘の私よりよっぽど気が利くんっす。
この「源氏巻」、検索すると「津和野名物」しかでてきません。
津和野のものは、こしあんを薄いカステラみたいなので巻いた四角いもの、
京都のは赤い羊羹の薄切りで白あんを「の」の字に巻いたもの。
こっちのほうが「源氏」だよねぇといつも思います。
京都特有の「薄い甘さ」で、なかなかおいしいのですが、
まずとんでもなくマイナーでして、京都の街中でも売ってません。
日持ちが短いため暑い時期はないし、お店はHPもないどころか、
京都のミニコミなんかでもでていません。
ネットでも買えないので、イトコだけが頼り?です。
母の好きな京都名物…というと「水無月」とか「でっちようかん」とか
そこそこあるのですが、実は「子供のころ食べた味」というこだわりで
どれも違う…というのです。料理オンチのくせして、
そういうところだけはヤカマシイ…。
要するに、母のイナカの昔からある「名もなきお菓子屋さん」のもの、
すでに「水無月」などはお店がないそうです。
かろうじておせんべだけはありまして、毎度ネットで買ってます。
で、源氏巻を贈られた母は「もう何もしてやれへんのに」と
涙ボロボロ…「今までいろいろしてきたから御礼やんか」というと
「そうか」というのですが、日増しに「自分はもう何の役にも立たない」
そういうことばかり考えるのですねぇ。
認知症性のウツもありますから、何かと気をつけてはいるのですが、
そこまではいっていないようです。
なんにしても、私らが「ヤダねぇ、もう○○歳だよ」というのとは
もうひとつ違った「年齢を疎む」状態ですからやっかいですね。
京都のお菓子といえどもアタリハズレはありまして、
「はんなり薄味」というよりも「ボケて甘いのわからへん」のもありますし…。
結局冒険せずに、いつも同じところの同じものを買うことになります。
私は「麩焼きせんべい」がすきなので、亀屋良永の「御池煎餅」専門。
空き缶も利用価値あるもんで…。ちなみに缶に貼ってあるラベルの字は
「棟方志功」さんの手になるものだそうです
「麩焼きせんべい」は、ほかのお店でもあり、大きさはいろいろ、
季節によっての「絵」がはいっているものなどもあります。
モノがモノですから、パリッといったときの感触とか、口の中での溶け具合とか、
多少の差はありますが、そんなに大きな違いはありません。
歯の弱い方やお年寄り、小さい子でも安心なので、たいがい買ってきますが、
肝心の母は「こんなん頼りない、ウチは金魚やあらへんで」とタベマセン…。
えー、どーせアタシは「赤いべべきたブキミな金魚」ざんす。
というわけで、とみに涙もろくなった母の誕生日は無事終わりました。
すぐオットですわ。えーーーーと、プレゼントね…思いつかん…。
写真は、当日届けられた「父手製のお赤飯」です。
古道具で買った一人膳に乗せたら、お箸が長すぎました。
ご飯にあわせて、箸置は「栗」です。
お昼ごはんに間に合うように、と、息子の昼寝前に持ってきてくれました。
お赤飯といっても、食の細い母に栄養を取らせようと、
小豆のほかに栗としらすが入っています。
しらすの塩加減で「ごま塩」がいりません。とてもおいしかったです。
この日の息子と私の昼食は、前夜の残り物「白菜としいたけのクリームシチュー」
これに「赤飯」という、とんでもミスマッチになりましたが、
おかげさまで、なんか栄養つきましたわー。
当日の朝一番で、姪(母の姉の娘)が
母の好きな「源氏巻」という和菓子を贈ってきてくれました。
私にはイトコにあたるわけですが、彼女は母親がなくなっていますので、
「おばさんは、自分にとってもおかあさんみたいなものだから」と
何かと気に掛けてくれまして…実の娘の私よりよっぽど気が利くんっす。
この「源氏巻」、検索すると「津和野名物」しかでてきません。
津和野のものは、こしあんを薄いカステラみたいなので巻いた四角いもの、
京都のは赤い羊羹の薄切りで白あんを「の」の字に巻いたもの。
こっちのほうが「源氏」だよねぇといつも思います。
京都特有の「薄い甘さ」で、なかなかおいしいのですが、
まずとんでもなくマイナーでして、京都の街中でも売ってません。
日持ちが短いため暑い時期はないし、お店はHPもないどころか、
京都のミニコミなんかでもでていません。
ネットでも買えないので、イトコだけが頼り?です。
母の好きな京都名物…というと「水無月」とか「でっちようかん」とか
そこそこあるのですが、実は「子供のころ食べた味」というこだわりで
どれも違う…というのです。料理オンチのくせして、
そういうところだけはヤカマシイ…。
要するに、母のイナカの昔からある「名もなきお菓子屋さん」のもの、
すでに「水無月」などはお店がないそうです。
かろうじておせんべだけはありまして、毎度ネットで買ってます。
で、源氏巻を贈られた母は「もう何もしてやれへんのに」と
涙ボロボロ…「今までいろいろしてきたから御礼やんか」というと
「そうか」というのですが、日増しに「自分はもう何の役にも立たない」
そういうことばかり考えるのですねぇ。
認知症性のウツもありますから、何かと気をつけてはいるのですが、
そこまではいっていないようです。
なんにしても、私らが「ヤダねぇ、もう○○歳だよ」というのとは
もうひとつ違った「年齢を疎む」状態ですからやっかいですね。
京都のお菓子といえどもアタリハズレはありまして、
「はんなり薄味」というよりも「ボケて甘いのわからへん」のもありますし…。
結局冒険せずに、いつも同じところの同じものを買うことになります。
私は「麩焼きせんべい」がすきなので、亀屋良永の「御池煎餅」専門。
空き缶も利用価値あるもんで…。ちなみに缶に貼ってあるラベルの字は
「棟方志功」さんの手になるものだそうです
「麩焼きせんべい」は、ほかのお店でもあり、大きさはいろいろ、
季節によっての「絵」がはいっているものなどもあります。
モノがモノですから、パリッといったときの感触とか、口の中での溶け具合とか、
多少の差はありますが、そんなに大きな違いはありません。
歯の弱い方やお年寄り、小さい子でも安心なので、たいがい買ってきますが、
肝心の母は「こんなん頼りない、ウチは金魚やあらへんで」とタベマセン…。
えー、どーせアタシは「赤いべべきたブキミな金魚」ざんす。
というわけで、とみに涙もろくなった母の誕生日は無事終わりました。
すぐオットですわ。えーーーーと、プレゼントね…思いつかん…。
素敵ですね。そして皆さんでお祝いできるって、
幸せなことですね。 羨ましく思います。
京都には金沢とはまた違った和菓子があり、
出かけたときは必ず何かを選んだり、
ホテルのお部屋で楽しんだりしています。
日一日と寒さ、冷たさが増すことでしょう。
ご家族そろって、お元気ですごされますことを
願っています。
おめでとうございました。
それにしても・・・お父様のこまめな事
女性でもなかなかこうは気が付きません。
何でもお出来になるお母様はきっとご自身に
相当厳しくされてこられたんでしょうね。
今はその分してもらう番が来たんだと思います。日々穏やかに過ごされます様に。
昔の人なのに。
お母様も幸せですね。
元々男は愛嬌、女は度胸ではなかったのかと思うこの頃。
戦争でもなければ男は強さを発揮出来ない動物です。
でも、女はどんな時でも強いですね。
それだけではなく能力も。
悔しいですが勝てそうなのは強がりだけ。
京都は和菓子屋だらけ。
水無月は六月三十日に食べると夏の間健康で居られると言う縁起物。
夏しか売っていないと思います。
従兄弟のやっている店の水無月は絶品ですよ。
ありがとうございます。
父は元々マメな人で、まだ元気で家事全般を
こなしていたころの母にとっては、
男のくせにうっとおしい…なんてところも
あったみたいです。
でも、こうなってみて、私はほんとに
ありがたくて、再婚してくれて、
よかったと思っています。
このトシで、まだ両親が健在というのは、
シアワセなことなんですよね。
このごろつくづく思います。
おいしいお菓子をちょびっと摘みながら、
冬を迎える準備をしましょう。
ありがとうございます。
さすがに、母の鋭さもちっとずつ緩んでます。
ようしてくれる…と、ポツンと言うんですよ。
至れり尽くせりですから。
もうすっかり何もできないのですから、
「元気で居るのがしごとだよ」といってます。
元々の性格が「こまめ」で「勤勉」なんですが、
兄弟がみんな好き勝手で、結局祖父母の面倒も
最後まで父と母でみましたから…。
お葬式の「喪主」ってとこと、財産(極少)が、
持って行きました。まさに「いいとこどり」。
そんなこともいろいろあって、
父にとっては、母に対する感謝もある、と
そんなことを聞いたこともあります。
後々は、父に私が感謝してお返ししたいとは
思っているんですけどね。
水無月は、どこのを食べても
「この味じゃない」と文句いうんです。
もうなくなったお店なんですから
しかたないんですけど、私たちが子供のころあった
いまはないお菓子を懐かしむのと同じですね。
私はお菓子より「ちりめんざんしょ」の方が
好きですー。
羨ましいです。
うちなんぞ、父は何もせずにふんぞり返っていただけ。
母はいまだに「私が四十肩になった時、自分の布団だけさっさと敷いたのよ、あのヒトは」と、グチグチ言っています。
京都のお菓子はあまり存じませんでした。阿闍梨餅くらいしか。
八百三の柚味噌とか、お酒のアテになるものばっかり・・・
生意気ですけれど、近くに住んで顔を見に(見せに)行けるというのは、何よりの親孝行なんだと思います。
それだけでもお母様、お幸せですよねぇ。
オットが「気が利かない」タイプなので、
時々爪の垢がほしくなります。
まぁ細かいだけに、女としては面倒なところも
あるみたいですが、旅行に行くにも、
父一人置いてったって、何の心配もないってのは
ほんとにうらやましかったです。
帰ってみると、出かける前より片付いてるって。
ユメのよーだ?!
京都はおいしいものが多いですね。
下戸なので、お酒のアテは見つけられないんですが、
漬物はいろいろ…。
今はこちらでも売っているものも多いですが、
小さい個人のお店みたいなところの方が
おいしいことがあります。
今度行ったら買うんだっ!