私がいつもシゴトで使っている道具です。
上の巻尺は、10センチごとに色がついています。これって意外と便利です。
下のほうは、アップするとこんな…わかりますか?
巻尺の単位、上はセンチ、下は「寸」です。
まだ使い慣れてなくて、「尺」はつい「竹製の尺差し」を使ってしまいます。
さてさて、間が開きましてすみませんでした。
また「針仕事」のお話です。と言っても、作り方のことではなく、
現代の「お針」事情から、そんな中でどーやったら着物を楽しめるか…、
なんかすごくあいまいですが、とりあえず、ちょっとずつ説明していきましょう。
先日「肌襦袢」を縫ってみましょう、というお話をいたしました。
とにもかくにも「できない、わからない」と言ってないで、
針を持ってみましょう、です。
別に皆さんが針仕事を嫌いだろうと限定しているわけではなくて、
未知の世界に一歩を踏み出してみてください、ということなんです。
そのためにも、途中でいやにならないように、まずは「投資」と考えて、
古い肌襦袢一枚、ダメにするつもりで見本にしてください。
「現物」が目の前にあるということは強みなのです。
料理もそうですよね。ただ本を読んで、写真を見て作るよりも、
テレビの料理番組を見たほうがわかりやすいですね。
それは、現物がそこにあって、それを実際に切ったり、
剥いたり、煮炊きしてくれるからです。
誰かが作っているのをそばで見ていればもっとわかりやすいです。
縫い物も同じです。現物があれば、部分部分を拡大してみたり、
縫い合わせを切って見れば中がどうなっているかわります。
さて「縫ってみましょう」のお話は、ちょっとここで一段落。
これからは、手抜き、ごまかし、うそ、だまし…のお話。
いえ、別に「詐欺講座」じゃありませんから…だいじょーぶ!
では「怪しい講座」へどーぞ!?
何度もしつこく書いておりますが、着物はつい4~50年前から、
一度は忘れられかけ、今また「着物の魅力再発見」といった感じで、
若い方にも受け入れられるようになってきました。
ネットの力も本当に大きいと思いますし、うれしいことです。
ただ、大事なことは、単純に「元に戻りつつある」、ではないということです。
いったん廃れかけた着物は、それとともにさまざまなことも忘れられて、
この前も書きましたが、着物が日常着でなくなったことで
作る技術も、知識も、着方も、ちゃんと伝わらなかった、ということです。
もうひとつは、その間に暮らし方も、生活習慣も大きく変わったということ。
かつて着物が普段着・日常着だった時代は、当然「そういう暮らし方」でした。
今より家の建ち方も部屋の作りも思いっきり「和の世界」、ですね。
暮らしぶりも「着物でなにもかも」やっていたわけです。
更にはそのころ、つまり江戸の昔から、一番最近でも戦後すぐくらいですが、
日本人は、みーんな今より「びんぼー」でした。
いや、あるとこにゃあったでしょうけれど…。
「江戸」と書いたのは、今の着物に近い時代というところで…。
そういう暮らしの中では、この前も書きましたが、
自分で「洗い、縫い直し」が当たり前、また、繰り回し、
つまりリフォーム・リサイクルも、盛んに行われたわけです。
布一枚でもムダにせず、使える間は手を尽くして使いました。
「現物」をしょっちゅう目の前にしていますから、
さまざまな工夫をすることができたということです。
そういう状況であったことを、まずご理解ください。
さて、話題はちょっと変わりますが、着物にはいろいろなルールがあります。
それがめんどくさい…といわれるかたもいらっしゃいますが、
実は洋装だってそれはあるわけで、要は慣れていないから面倒に思えるだけです。
さまざまな着物ルールは、必要があって生まれたものですが、
なにもかもきっちり守らなくてもいい場合もあります。
私個人の考え方ですが、「礼装」に関しては、決まりごとは
できるだけ守ったほうがよい、とそう思っています。
なぜなら「礼装」というのは、自分だけの装いではなく、
必ず「相手」があることだからです。
たとえば結婚式の晴れ着は、自分がお招きするほうの立場なら、
自分や身内を祝福してくださり、挨拶を受けてくださるお客様に対して、
礼装を以ってお迎えするわけだし、自分が招かれた側なら、
新しい門出を迎えた新郎新婦に対して、またご親族に対して、
祝福の気持ちと、めでたい席に招いていただいた感謝の気持ち、
それを「礼装」を以って表すわけだからです。
また、葬儀の場合であれば、亡くなった人を悼み、
残された家族をお見舞いする、そういう気持ちの表れとして喪服を着ます。
礼装のルールを守るということは、相手に対する礼儀が出発点なのであって、
オシャレ目的ではありません。
ですから「礼装のルール」は守るべき、だと思うのです。
でも…とこれには但し書きが着きます。それについては、
別に書かせていただきますので、ここからはもうひとつの着物、
つまり「オシャレ着・普段着」の着物について。
ずいぶん引っ張っちゃったんですが、まずは「礼装」は、
相手に対して失礼のないように、手を抜かないで、
ということを書きたかったのです。
そして、それに比べたら、普段着はもっと自由でいいと思う…
とまぁこれが今日のお話のテーマなんです。
それにしても、前フリが長くなりましたので、
とりあえずあとは「予告」ということで、明日に続けたいと思います。
「普段着物」は、普段と言っても当然「オシャレ着」「普段着」という意味です。
いよいよ「怪しい講座」の本編に入るわけですが、
着物の自由ということは「着方だけでなく、作り方でもそれはいえる」、
ということをお話するつもりです。
うそつき襦袢なんてのは、その最たるもんですね。
ホラ「手抜き・うそ、ごまかし」でしょー!
つまりはそういうことなんですが、引っ張るだけ引っ張っといて、
申し訳ないので、「ごまかし方」のひとつをご紹介。
いや、これってこんな時代からあったんですねぇ。
よーするに「マジックブーツ」です。
2寸といえば7センチ以上です。あたしほしいです。
80…そんなにあるのぉと、いえない私です。
真ん中デブの私は、計るのが怖くて、
メジャーはオシゴトのみ!
でも、余分な脂肪は取ったほうがいいんですよね。
ガンバろっ!
陽花様
礼装に関しては、だんだん「これでもいい」に
なっていくのはちょっと寂しいですね。
季節感も、ほんとに大切にしてほしいと思います。
着物つて、それが大事なポイントなんですもんね。
zizi様
昔の人は「大切なメリハリ」というものを
ひとつの心意気として確立していたように
思います。それは、相手のためでもあり、
自分のためでもある、そういう潔さを
学び撮りたいものです。
私も、知人の葬儀に黒のスーツの中が
「アニマル柄」のブラウスだった人を見て、
「仏さんにはったおされっぞ」と思いました。
祖母は出かけるとき、必ず着替えたそうです。今は大分年をとったので、洋服ですけど。
歌舞伎関係の新年会にタートルネックにリュック・普段履きの運動靴で来てしまう、親族なのに葬式にもタートルネック(喪主妻)や、金ボタン(実母)でも平気、これにはさすがに切れましたーー;
季節に関しても少しは考慮して着て欲しいですね。
寒い時期に夏物のような生地のスカートをはいて
いる方を最近よく見ます。これってファッション
なんでしょうか・・・つい、寒そうと思ってしまう
のは私だけかな・・・
メジャー、私は表がセンチ裏が尺のをオークションを
見る時などに使っています。