じゅばんなのですが、袖には別布がついています。
ホディのほうはなんともモダンといいますか、
こういう柄はモスに多いのですが、これは平絹です。
帯にしたら、けっこういいかなと思っています。
実は、ほんとにほしかったのはボディより「両袖」・・・。
こちらのほうが面白い柄でしたので。こちらです。
どんな柄かといいますと「家内制手工業」?の図・・、
いろいろオシゴトしてるんですね。
これは「弓」職人の家のようです。真ん中の「笠」のヒトは、
注文に来たのか、それとも値切ってるのな?
武家の使うものですから、一本一本気合入れて作っているようですね。
次は「桶職人」、たがをはめ込んでいるところのようです。
わかりづらいのですが、左のはしは女性で、堂々と胸をはだけて、
赤ちゃんにおっぱいやってます。おおらかなもんです。
お次は「弓」があれば「矢」のほうも・・で「矢作り屋?」
廊下の左側の人のうしろ、もしゃもしゃと白く見えるのは「羽」」です。
この人「糊」を作っているようです。
こちらは「傘屋」ですね。軒先にさした大きな傘は「看板」!
一目でわかりますね。こういう傘は、身分の高い人の「日よけ用」、
もちろん自分でさすわけではなく、おつきの人が自分は日に照らされながら、
ご主人様にさしかけるわけで・・・。
作っている本人も家族も、自分がさしかけてもらうことなど、
一生、決してなかったことでしょう。
資料として正確かどうかはわかりませんが、当時の雰囲気というのは
たぶん、こんなもんだろうと思います。
世の中で「裕福」だったり「地位」を持っている人はほんの一握り。
大部分の「民」は、こうして毎日汗水たらして働いていたのですね。
あー今もかわらないか・・・。
それにしても、それぞれの家の庭先とか柴垣とかの素朴なこと・・。
ほんとにそのへんの家で、それぞれ親から伝わる仕事を
勤勉にやっていたのだと思います。
呉服屋さんの今の悩みは、さまざまなすばらしい伝統技術で
「後継者」がいないこと・・・だそうです。
私もときどき目正月させていただきますが、
この「織」ができる人はもう80すぎてて、あと2~3反織ったら、
リタイアするといっている、もう二度とこんなのでてきませんよ・・・って。
じゃほしい・・と思ってもまぁゼロがいくつつくことか・・・。
そうやって、昔ながらの仕事が、少しずつ減っていくのは寂しいですね。
この袖は無双なので、両方で2メートル近くあります。
別布とあわせて、服でも作ってみたいですね。
美人画とか風景画はおおいですけれど、こういう絵ってあまり見ませんね。本とは一番多いはずの人たちなのに。ほんとに昔はなんでも「手作り」だったんですよね。そーか、貴重だわ!大事にしなくちゃ。
昔むかしを彷徨っていることが多いりさこです♪この袖の絵柄、このまま歴史博物館に展示したいですね!歴史資料館などを覗いても、あまり庶民の生活ぶりを示す史料が置かれていないので、こういう絵柄は貴重だと思うのです
おそくなりましてすみません。額装・屏風もいいですねぇ!皆様からいろいろアイデアいただけて、ほんとにありがたいです。バタバタと決めずに、いろいろかんがえますね。
ご提案ありがとうございます。
木綿に限らず、着方の基本といいますか、
そういうようなものについて、変遷なども含め
書いてみたいとは思っておりますが、
なにせアレコレ掛け持ちでやっておりますので、
いついつとお約束でくませんことをお許しください。
穴熊の女房様
このまま少し丈を詰めればじゅばんで
着られそうなのですが、この胴の柄、
外に出してやりたい気がするんです。
それと袖は洋服系・・とも思うのですが、
2メートル近くありますので、
なんとか着物系で使ってみようかと・・。
いろいろ考えるのも楽しいものです。
陽花様
ほんとに人間の知恵ってすごいですね。
おまけに金属以外は全部植物主体・・。
身の回りにあるもの・・で、まかなっていること
それも感心しますね。
「家内制手工業」珍しい柄ですね。
いつも思うのですが、最初にこういう
物を作る方法を考えた人はすばらしいと
思います。いまみたいに機械がある訳じゃなく
全部手作業ですものね。
そのままで 楽しんで欲しい気がします。
時代物の 布なのでしょうか
それとも 割りに新しい時代に 遊び心で
書いたのでしょうか
素敵ですね 私も大好きです。
田舎に住んでいると こんな布 見るチャンスなかなかありません。
ご存知ですよね。
最近、木綿着物の着方、襦袢なしか、どーか、あちこちで話題になっていたもので、つい、
頼っちゃいましたけど。。。
身頃の柄もモダンで、確かに帯にするといいかも。
ところで、ムシのよいお願いでなのすが、木綿着物、5月~9月頃まで、暑けりゃ襦袢なしOKとか、そもそも、木綿は通年だったとか、それと、浴衣との違いとか、いずれ、特集していただけるとありがたいです。 つい戦前まで、庶民は、木綿か、せいぜい銘仙だったこと、日常の着方は、着付け教室のセオリー(よそ行き、お出かけ着物)のTPOとは、本質的に違うところなどを語っていただければ、わかり易いのではないかと思うのですが、どーでしょ。。。