先にお詫びです。メニュー左上の「ファッションぶろぐ村」から検索できてくださったのに、
「中原淳一さんの着物本」の記事がない…。すみませんでした。
いやぁ私も驚いたのですが、いくつか同時進行で記事を書くことも多いので、この記事はまだ途中。
アップした覚えはなかったのですが、ブログ村では記事を「草稿」に戻してもタイトルが消えないようなのです。
昨日気がつきまして…。せっかくいらしてくださったのにすみません。本日仕切りなおしでアップします。
「中原淳一」が懐かしいといっても、実は私は「それいゆ」とか「ひまわり」は、まだ子供でしたからねぇ。
当時は「きれいな絵だなー」程度で…友達のお姉ちゃんのをみたりしてましたっけ。
中原淳一さんの絵は、きれい過ぎてかざったりするのにはコッチがはずかしくなる感じ?
でも、記憶にはちゃんと残っていました。
中原淳一きもの読本 | |
クリエーター情報なし | |
平凡社 |
で、この「きもの読本」、氏は洋装ファッション系のかただと思っていたのですが、ご本人は和装が大好きだったそうで。
この本は、絵はまぁちょっと豪華すぎるくらいの「挿絵」とでもいう感じで、中身は当然「きもの」のこと。
書かれたのが昭和20年から40年代で、当時の「それいゆ」や「女の部屋」といった本の中に書かれた、
「着物に関する文」を改めてあつめたもの…ということです。初版は2005年ですから、ちょっと前ですね。
内容は、着物を着たいなと思っておられる方、着ようかなと思っておられる方には、とてもいいと思います。
書かれていることは40年代であっても、今でも私もそうそう…と思うことばかりです。
つまり、ずっと言っている「薄れてなくなってしまいそうなこと」がわかります。
そんなわけで、私にとっては「あらためて、そうですよねぇ」のことばかりで、
おもしろいなぁと思ったことは、ほかにありました。
中原氏の描く「少女・女性」というのは、後年とてもモダンで、着物を着た絵でも「カオだけもろに洋風」、
実は私はそれに違和感があったんです。
でも、和服女性の絵で、戦前のものは、ちょっと「竹久夢二」と似た感じの雰囲気を持つ女性です。
確かに瞳は大きくて、ちょっとそれまでの日本画にはない顔だけど…でも着物とのバランスはそれほどわるくない…。
このころの着物の着方とか全体の雰囲気は「こんな小さい肩なんてないよ」とか「胸ちっちゃすぎ」というような、
あくまでイラストっぽい絵です。
後年、バランスもリアルで、モデルさんのようになっています。
さて、ご本人は「着物の着付け」のことについて、年代によってそれぞれ着付け方が違う…と、
文章とともに、三人の女性のイラストを載せています。
粋筋の女性には向かない「中原少女顔イラスト」ではありますが、雰囲気はよく出ています。
着物にとっての着付け方は、洋服のデザインのようなもの…なるほどうまい言い方ですね。
「洋服は初めにこうと仕立てたら、中年風のデザインにすれば中年しか着られない。
着物は着付け方で、同じ着物を中年向きにも若向きにもできる…」と。
これは、ほんとにそうなんですが、この本に収められている、
ほかのたくさんのイラスト、つまりソレイユや女の部屋などに載せられたイラストを見ていましたら…。
みんな衿がキュッと詰まった着方なんです。
表紙の絵はちょっとデフォルメされていますが、だいたいあんな感じ…。
こちらが昭和29年の本、みんな衿を割りとつめ気味です。
真ん中「司葉子さん」、右側「草笛光子さん」。
年齢関係なくつめ気味で、帯も少し上目ですね。
氏が、こういうイラストを描かれていたのは、だいたい昭和30年から40年にかけてです。
このころの着物本を見ますと…とにかく着物離れをとめなければ・・・、洋装に追いつけ…。
そのために、着物姿のたおやかさと言いますか、そういうところが一番感じられるはずの衿元、胸元を
とにかくきっちりシャープに…と、衿もあまり抜かず、打ち合わせも固く、半衿もそんなに見せない…。
帯を胸高に締めて下半身を長く見せ、しかも下を細くみせるために、全て片足を前に出したモデル立ち。
ポーズもちょっとモダーンに?左手の指の広げ方、指、ツリそう…。
涙ぐましいドリョクだとは思いますが、しょせんもとの形が全く違うのですからねぇ。
張り合うポイントが違うんじゃないかと思います。結局、40年代に入ると、元のような感じに戻ってきて、
いまの着物本の写真は、腰から下は「裾つぼまりもナシ」のドラム缶みたいな形になっていますね。
中原氏のイラストが、あの着方の原因とは思いませんが、
若い女性の中には、まねをした方もたくさんいたんじゃないかと思います。
こんな絵姿のようになりたかったのねぇ…と思いながら眺めました。
きものを着なれた方には、昔懐かしい絵がたくさん見られますし、今着物を着たいと思っておられるかたには、
私が毎日ダラダラとまとまりなくかいていることが、簡潔に書かれています。
着物のことだけでなく、髪のまとめ方とか、ウールでカンタンに着物をつくってみようとか、
楽しいページもいろいろあります。よろしかったら一冊お手元に…。
自分ではこういう格好して写真を撮っているつもりです。
そうは見えませんか?当然です。自分の体型が目標とかなりずれてますから(^^)ゞ
上の写真では帯の部分がウエストに相当して細くなってますが、
自分では細めのつもりでも気づいてみれば体型が細身でなくなっちゃったんですからね。あらら・・・
知識が深い方なんですね。
この時代の方々のイラスト、和洋とわず
各国の民族衣装を正確に、それでもなお
乙女心をくすぐる演出と、アイデアがあって
それはもう、かわいらしくて…。
なつかしいです。
こういった着付けは、体型から無理!ですが
当時はあこがれだったのでしょうね。
風と共に去りぬで、主人公がドレスの胸元を
もっとあけたいと駄々をこねる場面を思い出しました。あれもかわいかったです。
いえいえ、いつもちょっと足を前に出されているスタイル、
拝見しておりますです。
私も帯がおなかに乗ってどうする…の体型になり、ため息です。
絵なんだからきれいで当たり前…と思いつつ、
同じようにならないもんかと…。
若いころは、通販のカタログでも、写真はとてもよく見える…
でも実際届いて自分が着ると「なんでやねん」になる。
わかっちゃいるんですがねぇ。
着物への造詣が深い方で、そうだったんだと驚きました。いい本でした。
自分が小さい頃で(^^;)母はこの人が好きだったっけ、と。
書かれていることがとても納得できました。
襟をつめた着付けは田舎では実際に見た記憶がありません。留袖でもみんなざくざくに着ていたような。
都会の、しゃれた流行だったのでしょうか。
今のようにはやりがすぐに来る時代じゃなかった。
私が高校生のころまで、テレビや雑誌で見る都会の流行は、来るのがちょっと遅かったです。
情報の氾濫とスピードは、よくもあり悪くもあり…そんな気がします。
振り回されないように…と、そんなことがわかるのは、
ちょっと大人になってから…なんですね。
母の若い頃の着物は襟を詰めておはしょりを長く取るときれいに着付けられます。すぐ私に回るだろうと想定されて作られた着物は余計にそんな案配です。
祖母が雑誌などで流行を勉強して仕立ててくれていたということなので、祖母は中原淳一を知っていたのかもしれません。
私は目鼻立ちがはっきりした下膨れ顔で着物があまり似合わないのですが、おはしょりを長めにして帯位置を高くすると馴染む気がします~。私も中原淳一さんの本買おうかしら!
おばあさまなら、ご存知と思います。
この時代は、着物が洋服に押された時代ですから、
着物もわざと洋風に近づけた着方をしています。
衿をつめて、帯を胸高に着るのは若い方の特権ですが、
たぶん「繰越」をつけずに、あまり衿が抜けないように、
仕立てたのではないでしょうか。
着物は元々が日本人の暮らしの中で育ってきたものですが、
体格まで外国に追いつけ追い越せの現代女性には、
着づらいものかもしれませんね。
でも、なんでもバランスのモンダイです。
日本女性なら、似合わないことはないと思いますよ。