この本は、昭和12年の婦人倶楽部の付録。
題に「三越仕立」とあるんですよ。
三越といえば元々呉服屋さんですから、
やはり仕立ても一流ってことなんでしょうねぇ。
線が書いてあって、和綴じ本のように見えますが普通の作りの本です。
中身は要するに「和裁」の本なんですが、「急所秘訣本位」とあって、
いまでいうなら「ここがポイント!」ってところでしょうか。
中をみますと、たとえばこんな…
でも、急所という割りには「ここがコツ」というようなのはないんですね。
要は「要領をまとめました」という感じ。旧仮名遣いで「読みにくい~」。
まだ着物でほとんど生活していたような時代ですから、
いろいろ細かいテクニックとか、今じゃプロ任せのようなことも、
こまごま書いてあります。
記事はまぁ「和裁本」なんですが、なんたって「広告」が時代を映してます。
こちらは「レコード」の広告ですが、このころはもう軍靴の響き…の時代。
この本の出た5年後には開戦ですが、その前からアレコレぶつかっていたわけで、
戦争は本当に怖いことです。この歌も「軍国子守唄」、ですと。
♪ぼうやよいこだ ねんねしな 父さん強い兵隊さん…
聞くだに悲しいですね、寝られるかっての…。
でもこれが「当たり前」の世の中だったのです。
さて、この本には、もうひとつ「過去からのおたより」が挟まっていました。
こちらです。
「タビの型紙」、サイズ計ったら26センチちょっと、
あの時代の人としては大きいサイズでしょうね。
当時は「文」でサイズを計っていました。
一文銭を並べた長さ、一文は約2.4センチくらいですから、
26センチちょっとということは「十一文」ということになりますね。
当時はなかったかもしれません。でもないから縫ったとばかりはいえません。
この時代は物がだんだん不足していく上、物を大切にしましょう、でしたから。
バサマは舅がたいへんな「甲高」だったので、足袋は全部縫っていたといいます。
足袋は靴と同じで、できれば「マイサイズ」のものをあつらえるのが
一番いいのですが、お高くなりますからねぇ。ちなみにとんぼは9文…。
それにしてもこの型紙、使われている紙がなんと…
わかりますでしょうか「財産目録貸借対照表」!すごいですー。
もう一枚のほうは「共済脱退通報」の用紙…。
紙さえもなくなっていたんでしょうね。
薄くて向こうが透けて見えるほどのこの型紙は、70年の余、
この本の中で、使われることなく眠っていたわけです。
こういう本は戦争が近ければば近いほど、タビを縫うどころか、
穴のあいたタビの繕い方や、傷んだ指先をカットして総とっかえなど、
さまざまなテクニックを載せています。
それを見ると「なんとかなるもんだなぁ」と思います。
今は平和な時代、物もたくさんありますが、だからこそ、
ひとつのものを大事に使うことを意識して学ぶべきだと思います。
記憶があります。
文も尺も匁も時代と共にあまり使わなく
なりましたね。でも私は和裁の時だけは
いまだに尺、寸でしておりますが・・・
懐かしい呼び方です。
母も、体重などを「何貫目」なんていってました。
私たちの時代でメートル法が定着し始めましたから
母なんかは未だに尺貫法のほうが
ピンとくるそうです。
和裁はやっぱり「尺・寸」のほうが
耳になじんでますね。
右綴じで右→左読み、和綴じモドキの装丁、みやびですね。内容はともかくとして、1冊くらい本棚に置いておきたい。
私の歳(50)でも、もう子供の頃文は使った覚えが無く、時々大人が言っているのを聞いてなんとなく知識として残っているという程度です。今でも使うのは酒を升や合で計るくらいですね。18L入りの灯油ポリタンクを一斗缶と呼んでしまうのも直りませんね。
ほんの数年の差ですが、やはり「子供のころ」の
数年は大きいですね。
私はタビの話しをしていて「十文」を
「じゅうもん」と言って、母に笑われ
「ともん、やで」と言われた記憶があります。
「一斗缶」は、18Lよりいいやすくて使いますね。
お米も「何合」ですよね。
今夜はお客さんだから1.8リットル炊くわ、
なんて、ごはんまずそう…。やっぱ「一升飯」でしょ