先日「女物のいいモスリンの紐がない」というお話しを致しました。
ネットでみつけましたのでご報告?!これは男女兼用・・とありました。
「鳥獣戯画」です。色は実物と全く違いまして、ココア色に絵はグリーンです。
実は「女性用」というのも、数は少ないのですがあることはあるのです。
ただ、じゅばん地をそのまま使ったような感じか、或いは「かわいい花柄」とか
そういう感じしかないのですね。もう少し大人っぽい感じの柄がほしいなぁと。
男物だとダルマ柄、ウロコ柄など粋な柄行と色があります。
小物というのは、人目にも触れませんし何より実用一番ではありますが、
オシャレの小道具と考えて、もう少しバリエーションがほしいなぁと思います。
と、こんなハナシをポロツといったら、バサマが「昔はなんでも自分で
つくったもんや、お金だしたらなんでもあるのに何をゼータクゆーてんねん」
あぁ~~やっぶっへっびー、ごめんねばーちゃん!
そういえば、バサマは今の私の年のころでもやせていて、タオルをたてに3つに
折ったものを2枚重ねて縫い合わせ、両端を三角にしてそこに紐をつけて、
腰のクビレの補正具にしてましたっけ。帯板も、ボール紙か何かを、
はぎれでカバーをつけた手作りでした。ボール紙ですからだんだんヨレて、
何年か使うと作り直し・・。今のようにプラスチック板なんてものが、
手芸やさんにおいてある時代ではありませんでしたから・・。
衿芯も昔は硬い布製のものを縫いこんでいましたね。
私は今はプラ製のしゅるしゅるっと入れる・・あれを使っています。
これも大きさ方さがいろいろあって、細くて柔らかめがなかなかありません。
幸いにもそう壊れるものではないので、薄汚れると洗ってまた使ってます。
母はいつも残り布を整理していたし、夜に針仕事をしている姿は当たり前でした。
もったいない、というキモチはもちろんですが、針を持つ・・ということが
特別なことではなかったように思います。
着物や洋服までは縫えなくても、ちょっとした補修とか工夫はやりたいものです。
今日は短めで・・おしまいに私が工夫してること・・っていっても、
ほんっと「だからそれがなんなのよ」のことなのですが・・。
紐をしまうとき、五角形に巻く方法はよく使われますが、
巻き始めを両方の端をあわせたところから始めます、
最後に真ん中部分が残ったらそれを挟んでおく・・。
こうすると、次に使うとき、はさんだところを引き出して一振りすると、
最初から紐の真ん中が持てる・・というただそれだけなんですけどね、
私バタバタするとすぐ紐をころころ転がしては手を離したりして拾ったり、
なんか要領わるいもんで、こうしています。
365日着物で過ごす時代の人にとっては当たり前のことだったのでしょうが、着物離れが和裁離れになりいまや「針仕事離れ」・・なんか寂しいですね。着物のリメイクについては、また書きたいことがありますので、その折に・・。おっしゃるとおり、モノがない時代の「ある種のゼータク」、なくして惜しいものの一つだと、私は思っています。
私の嫁入りの着物の類、江戸妻から道行、被布にいたるまで全部母が縫いました。何年も何年も娘のためだけに縫い物してましたね。洋服類も全部、
手のきかないのはとんでもないというわけで、私大学に通いながら、洋裁、和裁、料理、編み物教室に全部通わせられました。ですので只今大抵のものの理屈だけはわかっていて、文句だけは着けられるという仕立て屋さん泣かせです。
ウールというものが戦後出たときに、値段も結構しましたが、それよりもウールそのもの、丈夫でした。
戦後はじめてウールアンサンブルを買った母親のその後の着物の行方は面白いものでした。
まづは、アンサンブル、何年も着たあげく、羽織はもじりに、羽織だった生地の残りは、着物の半襟取替え、長めの大きい前掛けに、もちろん着物は上下を取替え、きれいにしてず~~っと
一番最後、生地を15CMくらいの大きさに切って、ほかの生地ときれいにパッチワーク、座布団になりました。
着物は生ききったものです。見事でしたね。
何でもあふれる今の世の中、豊かになったのかな?
周り中、手の仕事に囲まれていた時代、ある種の贅沢にあふれていましたね。
ひょっとして「せっかち」ですか?
私も教えられたのが子供のころで、
「どーなってるの?」と四苦八苦、
最初の頃は形にならなかったり、妙に角が
増えたような・・逆に三角になっちゃったり。
母が「おまえはせっかちやからあかんねん・・
ゆっくりやっとおみ・・」と、母の方が
イライラしながら見てました。
なんで? って言われるのですが
何でなのでしょう?
あれ って判らなくなって まあ良いや で 終ります。