写真は、鬼しぼちりめんの襦袢です。
なんともはや、いつにも増して「ハデ」な色柄です。
柄は「どんぐり」、しかも紫のどんぐり!!
アップはこんなです。
どんぐりと葉だけなら、どちらかと言えばじみな色目なのですが、
隙間を埋めるわずかな「朱赤」が、実に目立つ!効いてますね。
これも古さからいうと着物からの作り替えと思われるのですが、
実際のところはわかりません。着物にしても襦袢にしても、
いくせなんでもハデすぎ・・と思うのですが、実は昔ってけっこうハデです。
こちらは着物、自分で解いたので、着物だったのは確実です。
反幅そのまま並べていますが、左の真ん中の花なんてカオくらいあります。
とにかく色もあざやか、柄の大きい、いまではとても見られない柄です。
こちらは2枚とも「銘仙」です。どちらも「本裁ち」つまり大人もの、
右なんか「タイガースファンの方御用達?」、左の銘仙は着物だったとき、
赤いじゅうたんの上に砂糖菓子をぶちまけたようでした。
いずれも、戦前のものですが、こんなハデなものが着られていたわけで、
そう思うと上の「どんぐり」も・・・アリだわ、と思います。
さて、本日は「じゅばん」のお話です。ひらがなでいきますね。
じゅばんって、着物の下に着るし、人には見せないものです。
じゅばんで外出はありえません。では、下着になるのでしょうか。
着物の歴史は古いけれど、じゅばんの歴史はそれほどでもありません。
皆様ご存知と思いますが、じゅばんはポルトガル語の「JIBAO」ジバオの
転訛したものといわれています。このJIBAOは実は、男物のシャツのこと。
つまり元は上半分の「半じゅばん」だったわけです。
じゅばんのお話をするには、ちょっとさかのぼってのお話が必要です。
元々着物の原型は「十二単の一番下に着られていた小袖」と言われています。
この小袖は、十二単の中では「下着」と表記されることが多いです。
どうしてでしょう。そもそも小袖と言う名前、袖がちいさいのではなく
「袖口」が小さいことをいいます。
十二単の袖って広くあいてますでしょう、あれは「大袖」、それに対して、
手を出す分しか口が開いてないのが「小袖」と言うわけです。
だから、十二単全体でいえば、一枚だけ袖口の小さいもの、別物、下着、
とそういわれるんですね。実は、着物の場合、いつの時代も
「ここまでが下着、これは上着」というそのあたりが、どうもアイマイなのです。
元々、十二単の下着だった小袖が、着物の原型、と言われていますが、
それはそういうものを着る人の立場でいうことであって、
日本中の女性が、みんな十二単着て田植えしたり、洗濯したり、
なんてことはなかったわけで、庶民はみんな最初から「小袖」なんです。
だから、下着にあたるものは「肌着」、これは今も使われている「肌じゅばん」と
大差はなかったと思います。十二単でも、当然着ていたでしょう。
さぁここからもうあいまいです。やがて、重い衣装を脱いで、
女性は小袖に袿(うちぎ)になりました。これも身分の高い人ですが、
ここで「下着だった小袖」が、表着になった・・と言われています。
でも、正確には一番下に着ていた着物が、上になった、ということだと
私はそう考えています。
洋装の場合は、たとえばブラなどを下着といいます。スリップもシャツも下着、
防寒用の「ばばシャツ」も毛糸のパンツもももひきも、
とにかく、ワイシャツ、ブラウス、セーター、スカート、ズボン、スーツなど、
人目に触れるものの下に隠れるものは、全て下着ですね。
まぁ最近では「下着」とみまがうキャミソールなんとか・・というようなものも
ありますが、あれも要するに「見える」或いは「見せる目的」の「下着」です。
実際、スカートの下からスリップが見えていたら「出てますよ」と言われます。
大きくあいた衿元からブラの紐が出てきたら気になります。
ところが長じゅばんはどうでしょう。女物の場合、袖付けの下はあいてますから、
しっかり見えます。また、ちょっと走ったり、階段上ったりしたとき、
じゅばんのすそがちらちらと見えることがあります。
それどころか、昔は廊下を雑巾がけする・・なんてときには、
思い切り着物をはしょって、長じゅばんむき出しでやりました。
今でも、出先で雨に降られたりして、着物を少しはしょって長じゅばんで・・
なんてこと、ありますね。袂から見えるじゅばんの袖や、
はしょったとき見えるじゅばんのすそ、皆さんはスリップやブラの紐を
見られているのと同じ「かっこわるさ」を感じますか?そんなことありませんね。
でも、雨だからと言って着物脱いでじゅばんで歩いたりはしない・・。
じゅばんって、下に着るけど下着じゃない、でもそれだけでは外に出られない、
実にあいまいなものだと思いませんか?
これはどうしてか・・ここからが、じゅばんの歴史になります。
もともと、日本人はその大部分が、ず~~っと貧しかったのです。
武士と言えども、身分が高くなければ庶民と同じ、下級武士が紙子の着物を着て
「せめて木綿がきたいものだ」となげいたというお話があります。
そういう貧しい沢山の人たちは、いったい何を着てどう暮らしていたか、
素材はもちろん、麻や葛、紙など、時代が下がって木綿が使われ綿が出ました。
この前「四月一日」と書いて「わたぬき」と読む、とお話しましたが、
つまり「重ねて着る」「綿を入れたり抜いたりする」で寒さをしのいでいました。
じゅばんは「半じゅばん」が主流、そして、その上に何枚も
着物を重ねてきていたのです。枚数のない者は、綿を出し入れしてたわけですね。
江戸時代になって長じゅばんが生まれたのですが、それはどうしてか。
江戸時代という時代は約270年くらいで終末期を迎えていますが、
初期のころはというと、まだ前の時代をひきずっています。
しかし、何が変わったと言ったら「戦」がなくなった、と言うことです。
これは人心にとって、実に重要なことで、世情が安定しないことには
ゆっくり美しいものを楽しむなんて余裕はありません。
江戸も10年20年と進むうちに、本当に平和なんだ・・ということで、
暮らしをじっくり楽しむことができるようになったわけですね。
今でも「繁栄」や「爛熟」の代名詞に使われる「元禄」という時代は、
本当に世の中が安定して、芸事や芸術、装飾やさまざまな工芸技術などが、
落ち着いて育った時代です。そういう中から、ただ実用的であればよい、から
装飾や贅沢のために、いろいろなものが生まれたわけです。
長じゅばんもそのひとつと言っていいと思いますが、
結局「下着」にあたるものは肌じゅばん、その下はというと「裾よけ」です。
さて、この裾よけ、今では「腰巻」と言われて半じゅばんとのセットのように
なっていますが、元はまず「パンツにあたるもの」、がありました。
「女褌」とも言われましたが元々は湯屋で下半身を隠すために使われたもの、
だから「湯もじ」とも言われます。
この「もじ」は「みやびな言葉」でお話しましたね。しゃもじ、そもじの類です。
「湯やで使う腰から下をかくすもの」で湯もじです。
本来は肌じゅばん、湯文字、半じゅばん、裾よけでワンセットだったものが、
だんだんあいまいになって、湯もじイコール腰巻・裾よけになってしまいました。
裾よけは関西の呼び方、江戸では「蹴出し(けだし)」と言いました。
赤い「湯もじ」は、昔は女の子が大人になると、お祝いとして贈られたそうです
やがて、遊郭から半じゅばんと裾よけを上下つなげたものとして
「長じゅばん」が着られ始めたわけです。
お仕事柄、お客の前で着物を脱ぐわけですから、さらしなんぞよりは、
ハデな方がいいわけで最初は「緋ぢりめん」、つまりただ赤いだけ、
やがてそれに絞りや小紋柄、絵羽柄など柄をつけるようになっていったわけです。
それと同時に、これもいつも書いていますが、当時のお女郎さんや太夫は
ファッション・リーダーですから「長じゅばん」は、遊郭からやがて外に出て
一般の女性の暮らしの中にも浸透していったわけです。
また、当時防寒のこととあわせて、上等、とか、正装、と言う意味でも
「重ね着」は当然のことでした。浮世絵を見ると、ゆらゆらと舞う裾や
大きくくだけて着た衿元には、何枚もの着物が見えます。
花嫁衣裳は「三枚襲」が当たり前でしたし、留袖もつい近年まで、
留袖の下に白い着物を着ました。今は「比翼仕立て」として、
重ねて着ているように見える仕立て方が主流になっています。
この「重ねて着る」と言うのは、日本古来の「礼」のしきたり、
十二単の正装の、あの「襲」からきているわけです。
つまり、正式なときにはいいものをたくさん重ねる・・ですね。
江戸の女性はオシャレの意味で、さまざまな色や模様を重ねて美しさを競い、
祝い事の時には、決められた色目のものをきちんと重ねて着たわけです。
今に残る襲の風習が「伊達衿」ですね。今は衿だけになってしまいましたが、
本来は、着物を重ねてきていたわけです。
さて、じゅばんというものが「あいまい」なものだと言ったたこと、
ご理解していただけましたでしょうか。
最初から「下着」ではなかった(と私は思っています)小袖が着物になり、
本来のはっきりした下着「肌じゅばん」は、おそらく多少形の変化や、
素材の変化はあったと思いますが、ほとんど変わらずにきていると思います。
そして、その上から着ていた半じゅばんと裾よけが、今は普段のじゅばん、
そして、半じゅばんと裾よけのくっついたものとして生まれた長じゅばんが、
今の外出用に多く着られる長じゅばん、ということで、長じゅばんは元から
着物と肌着の間に着るもの、あいまいなもの、だと思っています。
重ねの着物などの場合、着物のすぐ下に着るものを「中着」といいます。
まさしく「下」でもなく「上」でもない「中」に着るもの、ですね。
古着の中には、最初から長じゅばんだったものでドハデなものもありますし、
男物のじゅばんなど、凝った意匠のものも多くあります。
そういう「見えない、見えづらい」ところのに派手な色柄を使うのは、
江戸時代の「重ねて着るおしゃれ」の名残だと思います。
古着の「襲の着物」や「お引きずりの着物」を見ると、
ほんとにこんなもの着て暮らしていたのだろうか・・と思ってしまいますが、
今の暮らしとは、まったくといっていいほど、違う暮らしをし、
また世情も今とは違い、全てがゆったりであったと思います。
なにしろ「流行」だって、始まって、流行りだして、定着して、廃れる・・まで、
今では考えられないほどの長時間かかっています。
なんでもスピード時代の今、着物の袖とすそに「長じゅばん布」をとめつけた
今よりすごい「超うそつきじゅばん」が主流・・なんてことにならないことを
祈っている「ふるとんぼ」です。
色鮮やかな襦袢ですこと。
それより今日は話が途中で終わって
いるような気がしてそちらの方が
気になりますが・・・
ごめんなさい、途中で写真をいれたとき
「草稿中」にするのを忘れたまま、
アップしちゃいました。最後まで気がつかなかった~
ご心配かけてすみません。
途中でこられたかた、「なんじゃこりゃ」と
思われましたでしょう、すみませんでした。
スーパーうそつきですか。既におおウソツキ状態なので、あと一歩のところで踏みとどまらないと…やばいかも。
今どきの襦袢にはこんな遊び心満載の柄は見かけません
やっぱ売れないから、かしら?
(赤いけだしが~♪)って歌、ひばりさんが歌ってましたね、
クリスマス柄(ヒイラギ)かと思いました。
この手のど派手な着物を
なんともうまく着こなす友人がいて
いつも感心しています。
そういう若い人たちに期待しています。
ところでご期待に沿いまして、(苦笑)
もう何年も前に、大嘘つきを提案しています。
(うまこクリックです)
旅行に便利、と書いていました。
裾のことは考えてなくて、半衿と襦袢の袖を
着物に縫いつけておく物です。
暑い時にも、とどこかに書いたような気がします。
その一方で私の留め袖は
白い下着が別になっています。
http://umacco.at.infoseek.co.jp/tomesode/tomesode.htm
色留めもこれを着るようにすれば良かったのですが、
そうしなかったのがちょっと残念です。
こういうちりめんのじゅばんなど、HPができたら載せますのでお楽しみに!
てっちゃん様
ここまではムリとしても、ハデ目のじゅばん、ほしいと思っている人、いると思いますよ。現にここに一人・・。
うまこ様
スーパーうそつきさんに大うそつきさん、実に頼もしい!?いや、実は、いいと思うんです、先に「ホンモノ」を知っていれば・・です。その点、百福様もうまこ様も、心配ありませんから。
HP拝見しました。なかなか別に着るタイプはありませんね、このごろ。貴重です。うまこ様のHPは、ほんとに勉強になります。