振り向けば…コケてばかりの人生…。
いえ、いただいたコメントに70代の女性が「浴衣は衣文を抜くものではない云々」と、
イマドキの女性の浴衣の着方など、いろいろおっしゃっていた…というお話で、ふと思ったことなんです。
人間というものは、自分が生きた年代の、特に子供から若い年代あたりのことが身にしみ込んでいます。
その女性はたぶん私より10才くらい上…と考えますと、その方の親御さんは戦争を必死で越えてきた年代。
きっと、昔風の躾や社会常識で育っているはずです。
その親御さんに育てられた方の、恥の概念、というものだと思うのです。
戦後の余りのかわりようと、そのスピードに、私たちはずっと翻弄され続けている気がします。
例えば、ミニスカートがはやりだしたのは、私が10代の終わりを迎えたころ、
それまで「ヒザや太ももの見えるスカートをはくのは小学生の子供まで」…だったのが、
いきなり「お風呂に入るので、腰にタオル巻きましたー」みたいなものが、スカートだという…。
老いも若きも、そりゃドびっくり!でも、そのあとの反応はというと、親と娘で正反対。
娘たち(つまり当時はアタシも!)は、すぐに「カーッコいい~」「私も着た~い」になり、
親たちは「なんなんだあの腰巻にもならないものは!」と怒り、
なんでわざわざ下着の見えるようなものを穿くのだ、男にそんなに媚びてどうする、
「恥を知りなさい」「みっともない」「いやらしい」と、そりゃもうたいへんでした。
もちろん、そんなものは吹っ飛ばして、私も下着スレスレまでのを穿きましたけどね。
やがてミニは公認?され、定着し、いまや珍しくもないひとつのファッションです。
ミニのお嬢さんを見て「はつらつとしてていいわよね」なんていったりする…そんなもんです。
70代の方が、浴衣は衿をぬかないものだ、とおっしゃったのは、古いと言ってはなんですが、
少し昔の「恥の概念」が土台だと思います。
私の子供のころでも、よく「女の子は…」という言い方をされることがありました。
衿をきちんとつめて着ることで「娘」であることを強調する、だらしなく着ると嫁の貰い手が…なんてね。
元々、江戸の昔は結婚も早く、また未婚既婚の線引きで、いろいろなことをきっぱりと変えました。
袖の長さもそうですし、鉄漿や眉のそり落としなどもそうです。
極端に言うと、嫁にいったとたんに「中年」と同じ扱いになるわけです。「娘時代」は、とても短い…。
しかも当時は当たり前に「親の決めた相手」「見合い」です。
だからこそ、娘のころから男を誘うような、男の目を引くようなことがあってはならぬ、とばかりに、
きっちりきっちりとさせたわけです。この概念は、なかなか抜けませんでしたねぇ。
戦前なんて、まだまだ男女が並んで歩くなど…でしたし。
つまり、身持ちのカタさが娘としての価値、みたいなところがあって、
だからこそ、衿を抜くなだの、衿元をしめろだのと、うるさく言ったわけですね。
私の母でも、着物で歩きながら、やたらと衿を触るな、と言いました。
それは「玄人」、つまり男性を相手とする商売の女性が媚を売るしぐさだからと、言われました。
戦後すぐなら、地域やその人の親の育ち、考えも、おおいに影響したことでしょう。
時代が変われば、状況もかわる…です。
繰越がついていたって、衿を抜かずに着ればそんなに衿の中は見えません。
母は私に本裁ちの着物を作ってくれたときから、浴衣にもちゃんと繰越をつけてくれました。
若い女性は確かに衿をつめ気味に着ますが、じゅばんを着ないからと言って、
じゅばん衿の位置を浴衣の衿位置にしなくても、深く合わせれば、胸元は開きません。
ミニ・スカートがはやり、おじいさんもおじさんもジーンズを穿く世の中から、
更には下着かと思うようなファッション、揺れる電車内でアイラインまでひく凄腕メイク術、
そんな時代には「恥ずかしい」という概念も、昔とは変わっています。
それである種自由になったところもあります。
もちろん、変わらないほうがいい、と思うこともたくさんあります。
今の時代、なにが、なぜ、、どう恥ずかしいことなのか…
それを教え、伝えていくのは、大人の責任なんですよね。
とりあえず…私は浴衣の衿は、抜かないのは中学生までくらい、
初々しい女性は、衿足をきれいにして、衿をちょっとだけ抜くと、涼しげだと思っています。
私?思いっきり抜きます。だってデブリンは暑いんだもの、できるだけ風に当てたいしー。
先日、60代の女性から、男性の前でそんな座り方しちゃ駄目、特に着物の時は駄目、それは目の前の男性を誘っていることになるのよ、といわれました。
それも、時代なのでしょうか。
誘いたい男性の前でいくら横座りしても、まったくわかってもらえないと思うのですが・・・。
言葉も着方も時代時代で変わるもの。柔軟に対応していきたいですね。
誰しもそれが正しい事という認識だと思う
のですが、絶対という事より許容範囲を
もって臨機応変に対応の方を私は選びますね。
カジュアルということでいえば、洋服のバリエーションは無限です。
着物でもそんな着方があってもいいのかしら?と近年思うようになってきました。
若い方々のアンティーク着物の着こなしなど、とてもかわいらしいなと思います。
http://blog.livedoor.jp/chokonyan/
この方のブログを拝見すると、私ももう少し若ければ、はじけてみたいな、と思わせる着付けです。
目からウロコでした。
本筋があってこその自由ですが。
あと、私は制服と民族衣装のようなスタンダードな衣服を「着崩す」のは難しく、非常なセンスを要すると思っています。だから、自分では少なくとも着付けとコーデに関してはオーソドックスを心がけています。
崩したりアレンジして「おしゃれ」になる場合と、ただ単に「ヘン」になる場合があるのは、洋服でも同じですね。
これはほんと、センスのあるなし云々だから、一律に云えなくて難しいんですけど(^_^;)
浴衣だけでなく振り袖もみたいですが、肩も胸も思い切り出して着る「花魁風」なる着方があるそうですね?
私なんかは「やめてくれー!」と思いますし、振り袖の費用を出した親も嫌だと思うのですが。それに確か本物の花魁はそんな着付けじゃないと思いますし。
小袖がきものになり、Tシャツ・ジーンズが町着として市民権を得たのと同じく、衣服もカジュアル化して低きに流れるのが世の常かもしれませんが、とんぼさんが言われるようにあまりにも「すっ飛ばして」変わるのには、私はなかなかついていけませんね。
件の70代女性は古着屋の店主にまで噛み付きそうな勢いで店主もタジタジでした。
結局古い大島と縮緬の着物を買われて、洋服やバッグを作るそうな。
「どの口が言うたんやろね」と店主とお店に残った私達数人で話に花が咲きました
変わってほしくないものと
緩やかに時代とともに変わって行く方がいいものとあると思うのですがまだ間に合うでしょうか。。。
いわゆる「しどけない」姿だといわれるのでしょう。
そりゃまぁ今でも、男性とふたりで、
きれいな女性が横座りしたら、
男性はドキッとするかもですが、誘ってるなぁんて、
イマドキ誘うなら、もっと大胆でしょう。
結局、昔ってきちんとしていないのは女郎のようだ…という
線引きで、そういうことが言われていたんでしょうね。
時代に合わせて、少々崩さなきゃならないことも、
イロイロ出てきているんですよね。
洋服なんて「着てるだけで誘ってる」みたいなのが、
氾濫してるのにねぇ。
子供のころ教わるのは、躾という意味でもあり、
また「基本」なのですよね。
大人になって応用ができないと、自分がしんどいですよ。
私も臨機応変で、行きたいと思います。
おっしゃるとおり「本筋あってこその…」だと思います。
その本筋がなんだかボケボケで…。
あのかたのお着物など、時々拝見しています。
たくさんの色のものを上手にお使いで、
私もいいなぁト思うことが、多々あります。
やっぱり「センス」のモンダイなんですよね。
あそこまでは出来ませんが、私は年代なりのハジケを
楽しんでいきたいと思っています。
オシャレになるか、単にヘンになるか…。
これは洋服でも時々思います。
ほんとに「センス」なんですよね。
怖いからスタンダード、ではなく、自分の落ち着きどころが
スタンダードであり、それは単に「無難だから」ではなく、
ここから始まれば、自分なりの自由変化ができるから…なんですよね。
花魁は、なんだか映画の影響とか。
花魁は頭デカくて、きているものがハデで前帯なだけ。
片肌脱ぎだの、谷間見えるほどの胸だしなんて、
ありませんよ。ほんと一生懸命の「個性」なんでしょうが、
いつも笑えてしまいます。そして「親の顔がみたい」です。
「どの口がいうたんやろね」…大爆笑!
俗に「お直しおばさん」といわれる人たちは、本当に親切な人も、
もちろんいるのですが、中には「自分ものさし」だけが正しい、と、
押し付ける人もいます。
この方、夏祭りなどの浴衣が多く出る場所で、
「アンタそこ、みっともない!」「あんたそれ違う!」と、
先日のおまわりさんのように、やってほしいものです。
ひきずりおろされるかもですが。