日のあるうちにと、ちゃっちゃとやりました。
乾くまでの間に、実家にいって、母にお線香…と並べてタバコをば…1本お供えしてきました。
お線香とタバコの煙で、仏壇前モワモワ…。「ばーちゃん干菓子よりこっちだよねぇ」。
残りの伸子張りは、半幅部分と袖二枚、最後に残ったのは衿ですが、これはもうアイロンでやりますわ。
半幅用の張り木も伸子もあるのですが、今回は端縫いしてつなげました。
伸子張りをしてから、いつもじっくり調べなおしをします。
着物のままのとき、解いたパーツのとき、もちろん調べてはいるのですが、
一枚につなげて張った状態で見ると、更に思わぬ傷をみつけることがよくあります。
それと、まっすぐになると、その場所から「コレは仕立て直しのとき隠れないな」とか、
「このシミを隠すには、こうするといいかなとか」、そういうことがとてもよくわかります。
またダメージが多かったり、全体に散っていたりするときは「ここからここまで使える」とか
「このへんカットすれば、パーツつなげてコレくらいは使える」とか、使える分量もとてもわかりやすいです。
昔々、母もきっとそう思いながらシゴトをして、使える生地の分量から次に作るものを考えていたのでしょうね。
着物は本当に、究極のエコ衣料だと思いますが、
今は洋服感覚で「もう着られない」の先は、廃棄が多い…とても残念に思っています。
さて、今日は夜から雨になるといっています。明日はちっと季節が戻って寒くなる…とも。
春はいつもそうですが、とりあえずはお彼岸…これから先は、一気に春めかしい空気になるのでしょう。
このところ急に大きくなった、我が家の「桜」。八重咲きの山桜です。
子供のころ住んでいた家に、ひょろんと一本あったんです、山桜。薄いピンクで、毎年ちゃんと咲いていました。
あのころは、桜をめでるの季節を感じるの、そういうことより「今日は誰とあそぼかな」の方が大事でしたから、
今年も咲いたねぇ…で、それ以外特別感慨もありませんでした。
今になって、あの桜にもう一度会いたかったなぁと思っています。
私が引っ越してだいぶたってから、更地になって、別の建物が建ってしまいましたから、
きっとそのとき、切り倒されてしまったと思うのです。
毎年桜の季節になると「もう一度会いたい桜」の姿が、いくつか浮びます。
通っていた小学校の桜、船橋の大きな公園の桜、元気に咲いていてくれるといいなぁ。
まごうことなく、春到来!
痛みとかもよくわかるんでしょうね。
昔の人は、見えないところで継いだり無駄に
ならない様々な工夫をしていたんですね。
桜ずいぶん膨らんでいますね。
こちらはやっと緑の色が見え始めたところです。
伸子とあの吊るやつ(織りの先生が持っておられるのですが、名前が覚えられない…)、それとスペースがいりますが…。
織りの着物は裏表使えますから、一層いろいろ考えてしまいそうですね。
そうなんです。生地はいけるのに、縫い目のヒケがひどかったり。
予定していたことがまったくダメなんてときもあります。
それもまた勉強…ですねぇ。
近所の桜は咲いたのですが、八重は遅いですから、お楽しみが続きます。
端っこの着の部分は「張り木」と言います。
我が家は玄関先のスペースなので、身頃1枚3メートルほどがやっとです。
昔は路地なんかでお隣さんと共同でやったりしていたみたいですね。
張り板がもう一枚あれば、仕事が早いんですがねぇ。
仕上がりのピシリとしたものを見てしまうと、いいなぁと思うんですよ。
祖母の手仕事を手伝った記憶が事があります。
先日の「久し振りの紬に伸子張り」を読んで
伸子針が売っているなら やってみたいなぁ・・・
何本くらいいるのかしら?
糊も必要?
先生は勿論 とんぼさん? なんて
一人 夢は拡がりましたが
現実は だわねぇ
私も、母の手伝いと見て覚えた…のクチです。
伸子は、普通の家庭では木綿やウールなどがほとんどですから、
それだと10センチくらいずつでOKです。
片身頃、約3メートルとして、30本程度で済むのですが、
つなげて長く張るるなら、その分増えますね。
もう一度仕立てようとする縮緬などは、私もプロに頼みますが、
ハギレ用などの縮緬やお召しだと、2センチ間隔くらいで細かくさします。
片身頃で150本くらい使いますよ。
糊はやはり「ふのり」が一番ですが、普段着なら、母がやっていたように、
ゴハンを晒しの袋に入れて、水で搾り出して…のでんぷん糊でもいけます。
虫がつきやすいので、しまうときは洗って糊っけを落とします。
ふのり、たかいですよー。
挫折致しました。
30本はまだしも150本だなんて
無理
そんなことおっしゃらずぅ…ふふふ。