アルバム整理で出てきました。まぁ時代を感じる写真です。
このとき小学校6年生。真ん中が私ですが、男物ゆかた地です。色ははっきり「白と黒」。
自分で選びました。このころからヒネてたんですねぇ。
これにするのに母とやりあったことを覚えています。
元々毎年ゆかたは着せてもらっていましたが、いつも当然母が選んでいました。
7歳くらいだったか、一番好きだったシャボン玉柄のゆかたが小さくなって、同じのがいい、といったけれど、
全く同じはあるはずもなく、シャボン玉ではなく同じような色合いの水玉になりました。
それが一番古い記憶、それから小さなスコッチテリヤのならんだのとか、なんか花柄…印象に残ってません。
そして、この年の夏、今までのが少しちいさくなって、まだ揚げをおろせば…だったものを
田舎に送ったんだと思います。母は子供の肩揚げはなくてはならない、という人でしたから。
そして新しいのを買うとき、私が「自分で選ぶ」と、言い張ったそうな。
そこは覚えていないのですが、お店で母が「朝顔」だの「桔梗」だのを広げて、
ちょっとお姉さん柄がええなぁ…と言っているのに、私は横にあった男物をあさり、これを選んだと。
お店の人が「それは男物だ」とか「地味すぎる」とか、いろいろ言ったらしいのですが、
私は頑として譲らず「これでないなら、今年はゆかたいらない、もう着ない」といったそうな。
母は、かわいらしいのを着せたかったので、なんとか別のものをと思ったらしいのですが、
「ホンマに誰に似たんやろ、と思うくらいガンコに言い張って…」(アナタに似たのだと思いまふぅ)
と、母の後日談です。
写真がボケているのではっきりしませんが、四角の重なった柄で、蝶ネクタイが並んだみたいに見えます。
小さくてすみませんが、これで目いっぱい…。
ただ、母はふと「モノトーンと考えたら、けっこういいかも」とも思ったそうで、
ついにこれに決めて、合わせて鮮やかな朱色の半幅つけ帯を買いました。
仕立てあがると、母はそれまでの「蛍光ピンクに黄色い花の兵児帯」をやめて、
朱色の半幅を締めてくれたわけです。ちょっと大人になりました?!
いくら大人ぶりたくても、大きな腰揚げと肩揚げでは、単に背伸びしてるだけで、
もしかしたらよそさまには「この子かわいそうに、お父さんかお兄ちゃんのゆかたの繰り回し着てるんだわ」
なぁんて見られていたかもしれませんね。
モノクロ写真なので、ちと色付け…こんなイメージでした。
二人の女の子は近所の一つ年下の子、けいこちゃんとはるこちゃん、どうしていますかねぇ。
けいこちゃん、菊柄のジミな方ですが、たぶんお姉さんかお母さんのものの作り替えでは…と思います。
はるこちゃんの方は、もっともオーソドックスな「女の子用ゆかた」ですね。
残念ながら、どちらの浴衣の色も覚えていないのですが、
これとは別写真で何人かの子供たちと写ってるものがありますが、ゆかたは私たち3人だけです。
毎年子供にゆかたを着せるのもちょっとたいへん…そんな時代でもありましたから。
このゆかたは3年くらい着たと思いますが、大きくなればなるほど「かわいくないゆかた」になりましたねぇ。
結局、これはどうなったのか、覚えがありません。今あったら喜んで着るのになぁ…です。
おまけ写真、翌年お正月の母。39歳で、秋には40というところ。
この着物は後年染め変えたと記憶しているのですが、薄紫に白の「墨流し」柄。お気に入りでした。
帯はおぼえていませんが、柄がちゃんとでていませんし、たぶん伯母からのもらいもの。
車は知る人ぞ知る?「パブリカ」です。ちゃんとお飾りつけてました。
違う雰囲気に写っていますね。
お母様にしてみたら可愛い柄のゆかたを
着せたかったでしょうね。
子供の頃はお風呂上りに浴衣着て、表の
しょうぎで団扇を持って近所のおっちゃんの
怖い話をよく聞きました。遠い昔になりました。
思わず 「わかるぅ~!」と 呟いてしまいました!
うちの母は トンボさん所より手ごわい人で
私はずっと The女の子な母好みの浴衣をきせられていました!小学校高学年のころ 濃紺の粋な大人浴衣が着たくて 呉服屋さんで相当ねばってみたのですが 母が決めたのは 白地にショッキングピンクの大柄浴衣 おまけに反が十分にあったので 袖は中振り 帯は赤地に金の大柄朝顔
その恰好で七夕の浴衣茶会に出たのですが・・・
いやでいやで 終わるとすぐに脱いでしまったのをおぼえています!
何年かたって 結婚後の夏祭りに浴衣を着ようと箪笥をあけると 袖丈を普通丈に直したショッキングピンク浴衣が一枚だけ入ってました!もっと渋いのが 色々あったはずなのに 母は全部却下して・・・まるで陰謀のように・・・
結果 ショッキングピンク浴衣に ベージュ地にピンクと水色の八寸名古屋帯を締めて 二十歳の私は夏祭りに行きました!
結果 周りには 新妻らしく可愛くて初々しい!と 大好評!なんだか母の思うつぼのような気がして すぐに中学生の姪に 浴衣と 赤い朝顔帯は あげてしまいましたとさ(笑い)
そのせいかどうか 解りませんが その後夏物を作る時は しぶぅ~い男物の両面縞とか 男物黒地にほそぉ~い縞の小地谷縮とか・・・・
今の私の箪笥の中には 母の好みのThe女の子着物は ただの一枚も残っていないことを ご報告しておきます!(笑・笑・笑)
きりりとしていいですね。
私もこんなかんじが好きです。
女の子、女の子しているものよりいいなあと思います。
写真はその時の色々なものを映し出すものですねえ~
髪をあげているせいですかねぇ。
思えば「なまいきざかり」で、それまではなんでも
母の言うとおり…だったのが、
少しずつ反抗しはじめたころです。
昔は、夏の有夕方はゆかた…みたいなところ、
ありましたよね。
おじさんたち、よく縁側で床几さしたりしてました。
今は見ない光景ですねぇ。
女親というものは、どうしても娘をお人形のように、
藍らしくかわいらしくと、思うのでしょうね。
私も、嫁入りのときの着物で、特に小紋系は、
かわいらしいやら、赤いやら…。
でも、母は30まで、と言ってました。
そのあとは自分のを順番にあげるからと。
若いころのものは、すでに形を変えたり、
もらわれていきました。
今にして思えば「着られる年のうちに、着ておけば」も
ありますねぇ。
着ているものや、髪型、そばにいる人、
持っているもの…目が行くと、
ほんとにいろんなことを思い出します。
このころの友達は、引っ越して以来、
一度も会っていません。
近くにいたのに、そんなもんですね。
この写真の市営住宅も、すべて建て替えられ、
コンクリートのメゾネットタイプなんて、
シャレたものになっています。
時の流れを感じますわ。
お母さまとともにスタイルも良いですね~
うらやましい~(笑)
着物でつながる母や祖母との思いで…
それがあるから
ますます着物っていーな~
大切に着たいな~(がさつな私でも!)
って思ったります * v *
お返事が遅くなりましてすみません。
昔はガリガリでしたが、いまやごくフツーの
中年太り継続中です。
母はずっとスマートだったんですけどねぇ。
似ませんでした。
着物って思い出が広がりますよね。
私も大切に着ていきたいと思っています。