ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

着物が暑いとか寒いとか…

2010-07-08 22:20:34 | 着物・古布
写真はすみません、何もなかったので「ゆかた」です。芸のないことで…。
去年の記事をごらんになっておられる方は覚えていらっしゃるかもですが、
紺地に葉っぱのゆかたの記事を書きました。
そのゆかたの色がところどころなんか赤っぽく見えまして…。
呉服屋さんにみせたところ「ヤケ」だとわかりました。
太陽光の下で見ても「こういう色かしらねぇ」という程度のものだったのですが、
呉服屋さんが「こういうものに気がつかずに売ってしまった自分が許せない」と、
まず引き取る、といい、着たいからいやだというと、いいって言ってるのに、
では一枚作らせてくださいと…。それが反物での入荷がなかなかなくて、
やっと持ってきた何本かの中で…実は「これがいい」というのがありませんでねぇ。
それで、その中ではこれかなと、選んだものが、届けられたんです。
すっかり忘れていましたので「私作ってないよ!」といったら
「ほら、去年のお詫び」って…。ありがたいですね。
親の代からのおつきあいで「信頼を裏切るようなことになって、申し訳ない」って。
私にしては珍しい色柄ですが、ちょっと違うのも…と思いまして。
今日は着る時間がありませんでしたので、いずれまた。



さて、昨日は着物の暑さ涼しさの見た目とか実際とか、そんなことをお話ししました。

「麻」のほうが涼しそう…実はそうなんです。
じゃなんでゆかたってみんな木綿なの?

このお話しをしてみましょう。これは繊維や着物の歴史ってことが関わってくるんですが…。
まず、麻のゆかた、今でもあります。高いです。んでもって洗うと縮みます。
このあたりであぁそうか、ですね。つまり、ゆかたって言うのは普段着中の普段着、
たとえ電車とバスを乗り継いで花火大会に行くようなことがあっても、素足に下駄が基本、
実際には「ゆかたは湯上り着の進化したもの」であることにかわりありません。
それが家で洗えないとなったら…元の価格が高かったら…浴衣にせずに単として着ますね。
ゆかたってのは洋服で言えばTシャツにGパン。
麻の単は一応きちんと支度をすれば「カジュアルなスーツくらいまで」はいけるもの、です。
それを簡易的にやってしまおうというのが
「ゆかたでも色柄や素材を選べば、襦袢を着て単着物として着られる」という
最近の流行?なわけです。麻着物が高価なものになってしまったがゆえの知恵ですね。


まず素材のお話しを致しましょう。先日「麻」のお話しをしましたが、
元々日本人は「麻」を衣服の素材として長く使ってきました。
一つにはそれが数ある繊維のなかでもっとも衣服に適していたことと、
麻は作りやすかったからです。割とどんなところでも育ち、また成長が早く、
一度にたくさん取れる…これが、メリットだったんですね。
同じ麻でも、それを採る植物や、またその加工によって、極上の麻から、
普及品、衣服以外の麻までいろいろあります。
コーヒー豆が輸入されてくるときの袋、あれも麻です。ドンゴロスといいます。

かつて身分制度があり、貧富の差が大きかった時代、身分高い人たちは
それこそ上質の麻はもちろん、絹もまとい、珍品としてはいってきた
ウールだの縮緬だのを着たわけですが、一般庶民はみんな麻やそれ以外の繊維でした。
これは木綿のところで書きましたが、いわゆる「綿花のタネ」が伝来したのは
800年くらいのこと、800年といえば日本はまだ平安遷都の時代です。
場所は三河、今も三河木綿といえば有名ですね。
但し、このときの最初のタネは「海難事故で救われた崑崙人」がもたらしたもの、で、
これは栽培として、うまくはいかなかったようです。
ただ、三河では元々が絹などを多く産出し、都にも収めていた土地柄でしたから、
その後輸入に頼った「木綿」が栽培というカタチで広がり始めたとき、
いち早く産地となったわけです。

木綿の栽培は、最初は狭い範囲でしたが、かの織田信長がこれを奨励しました。
木綿は戦の道具のアレコレにも大量に使うものだったからです。
やがて戦国時代が終わり、軍需品だった木綿は、その栽培や流通のルートなどが
確立されていたことで、一般人の使うものとなっていきました。

さて、麻と木綿、どこがどう違うか。
木綿はもちろん最初はたいへん高価なものでしたが、時代が下がるつれて、
一般庶民の手にも入るようになったわけです。
なぜ重宝がられたか、一つにはその丈夫さ、ですね。
農業国日本では「野良着」としてたいへん向いたものだったわけです。
もうひとつは「暖かい」ということ。
庶民はずっと麻を着てきましたけれど、麻はご承知のとおり、
通気性のたいへんいいものです。元々が夏向きの繊維なのですね。
でもそれしかないから、庶民は一年を通して麻を着ていたわけです。
それだけでは寒いから、重ねてきたり、上に何か着たり、風を通さない工夫をしていました。
これは建物のところでも書きましたが、日本には確かに四季がありますが、
しんどいのは「高温多湿の梅雨から夏」です。寒さは「火」と「重ね着」などで
なんとかなるものの、暑いのは裸になってもまだ暑い…
だから日本人は「夏を涼しくするほう」を優先してきたわけです。
木綿の布を手にしたとき、なんと柔らかくしなやかで暖かいのだろう…だったのですね。
もう一つには、木綿は染めるということについて、麻に比べて染まりやすく、
発色がよかったのです。特に「藍」による染めは、それによって更に堅牢になることと、
「虫除け」などの薬効も言われました。
あのGパンの発祥地では、インディゴで染めるのは毒蛇よけであったといわれています。

農家では、この丈夫な木綿を藍で染めて更に堅牢にし、刺し子やこぎん刺しで、
重ねたり押さえたりして耐久性を持たせたわけです。
麻の布ではできないことだったわけですね。

さて、ではなぜそれがゆかたとして使われたか。
まず、ゆかたの語源は「湯帷子(ゆかたびら)」といわれていますが、
この「帷子」というのは「麻の着物」を言います。
つまり、身分高い方たちがまずはサウナ(日本のお風呂の原点は蒸し風呂です)の中で
着るもの、やがて湯浴みの後にこれを着て水気や汗を吸い取ったもの、
これをやがて庶民がまねをしたことが、湯上り着として定着して言ったわけです。
そのころには、すでに木綿が日常生活のなかで、庶民の使う素材として広まっていました。
しなやかで、発色がよくて、汗もよく吸い取ってくれる、洗濯もしやすい…
麻から木綿に乗り換えちゃったのもわからんでもありません。
この「しなやかさ」っていうもの、、うまく言い表せないのですが、
「麻」ってハリがありますよね。昔麻のブラウスを持っていましたが、
アイロンかけるとぴんぴんになってしまい、着るとある程度はなじんでくれるんだけど、
今度はものすごいシワになる…。どちらかというと扱いにくいものでした。
着物で言うと、たとえば縮緬や綸子、錦紗などは、柔らかものと呼ばれますね。
これと紬や平織りのものとを比べると、しなしなとハリハリという感じの違いがあります。
そうですねぇ…生地を人にたとえて見ると…
「一緒に歩こう」といったとき、紬や平織りの羽二重などは、
肩を並べて、いっちにいっちにと足並みそろえて歩いてくれるような、
つまりしゃきっとしたそんな感じ。
一方縮緬やまして錦紗などになると、並んで歩いても「ねぇ手ぇひっぱってぇ」と
しなだれかかってくる感じ…わかります?
麻と木綿には、素材としてそんな違いもあります。
着易いというなら、体になじんでくれる木綿のほうが着易いのは確かですよね。

実際の気温の差、というのも今にくらべたら当然あったと思いますし、
感覚というものも、今の人とは違ったはずです。
暑さの感覚も、ずっと着物を着て帯を締める暮らしなら、それが当たり前で、
だからこそ、素肌にゆかた一枚の涼しさは格別に感じられたと思います。
洗い張りや和裁など、できなくなったことが増えて、着づらくったのが「麻の着物」です。
麻は縮みますから、汗かいちゃったからザバザバ…ができません。
おまけに戦後は「麻」そのものが、日本では勝手に栽培できなくなりました。
いまや「麻」は高級品です。

実は木綿の歴史というのも複雑でして、確かに日本でも木綿の栽培は
盛んに行われるようになりましたが、国産で全部まかなっていたわけではないのです。
ずっと輸入も続けていました。なんででしょうか。木綿にもいろいろあったからです。
今でも「新疆綿」とか「エジプト綿」とかは最高級綿といわれますね。
元々木綿は、はじけた実のもしゃもしゃを採って作るわけですが、
周りのモシャモシャは繊維が長く、タネの周辺に残ったものは短繊維です。
この長い方の長さや光沢しなやかさで、質が変わるわけです。
日本では、自給自足できるだけの力があっても、栽培していたものは、
この「上質」なものより落ちました。
糸は、その種類によってまた地方地域によって、紡ぎ方や使う機織もかわってきます。
要するに、日本の国産木綿は当時の道具や技術では、太くてケバが多い糸しかできず、
太物に適していたわけです。だから太物と呼ばれる先染めの着物が発達したわけです。
一方輸入していたのは薄手のしなやかな木綿が織れる糸、です。
今でも男物の裏地に使う「金巾」と呼ばれるものがありますが、あれは薄手ですね。

つまり、同じ木綿でもざっくり系としなやか系があって、庶民はもっぱらざっくり系、
身分のある人や裕福なものは、薄手木綿にイロイロ染めて…「更紗」がそうですね。
そんな風に、同じ木綿でも日本で作られるようになっても輸入物もあり、
上質なものから安いものまで庶民に出回るようになるには、長い時間がかかったわけです。
その中で「白木綿」と呼ばれるものが、盛んに売り出されました。三河ももちろんです。
「晒木綿」のことですが、元々木綿は「生成り」という色があるように、
そのままだとやや黄色みを帯びています。これを灰汁や石灰などを使って
いまでいう漂白ですね、それで真っ白にしたものが白木綿、
これが「染めて柄をつける木綿」として広まり、鳴海絞りとか中型とかの
染めの技術によって、染めの着物の元になったわけです。

いつも「一つのものの生まれ育った経緯を見ると、いろんなものがからみあってくる」と
そんな風に書いていますが、木綿一つとっても、日本で栽培されるまでに時間がかかり、
栽培されても、それが布になり、染めるの織るのと、いろいろなプロセスを経て、
江戸時代のゆかた、として定着したわけです。

ゆかたって、そういうもんなんですよー。
だからちゃらちゃらいろんなものつけなくても…あっこの話しは今日はやめましょう。
とりあえず、丈夫で、一枚なら涼しくて、洗濯がラクで、色がきれいに染められて…
これをゆかたとして着るのは、江戸時代の庶民の楽しみだったわけですね。

これは私の想像ですが、いくら鮮やかな染めの浴衣が好まれたといっても、
もっと貧しい階級などの人は、それほど楽しんで着る余裕はなかったと思います。
そういう人は、夏は本来の通気性のよさで「麻の着物」を、一枚で
ゆかたのように着ていたと思います。

今、訪問着はこう、振袖は何々…といろいろ決まりごとや素材なども言われますが、
それは「今の時代」のことであって、かつては武家の奥方の着物でもタダの平織りだったり、
大正時代に絹でなく華やかな鮮やかな木綿縮緬があったりするわけで、
一応の目安はあっても、暮らしの状態で「応用編」の方が当たり前だったとしても、
何の不思議もないのです。
今私たちが「ゆかた」いいよねぇというのは、きれいな色柄に惹かれるからでしょう。
ゆかたが全部、ぼんやりした無地だったり、麻のような染まり方しかしなかったら、
みんな麻を着たんじゃないでしょうか。
今でも「綿麻」のゆかたがありますね。あれはどっちものよさをあわせたもの、
そういうものは高い…。元々高いわけではなくて、モノというのは需要があれば
大量にできて安くなるものです。
洗ったり始末したりするのに手間のかかる綿麻混や、綿と絹の絹紅梅などより、
ザバザバ洗えるし、安ーいものが大量に作れる木綿100%のものが、
大量に出回ることは、仕方ないのですね。

単の夏物の襦袢に「麻」を使うのは、やっぱり麻の通気性がすばらしいからです。
麻のゆかたを一枚で着るのが、実は一番涼しいはずなんですね。
でも、江戸の昔「木綿の魅力」に惹かれ、それでゆかたにしたことが、
今でも「ゆかたは木綿」が基本の流れになっているわけです。

ちなみに、男性の夏着に「甚平」というのがあります。
今ではお尻くらいまでの上と、ショートパンツくらいの下の上下セットが普通ですが、
本来の甚平は上着だけ、でした。上もゆったりめ、丈はひざ上くらいまで長いもの。
甚平そのものはそんなに古いものではありませんが、
大正ころにはすでによく着られていたようです。
この甚平の下は何かと言いますと、究極「ふんどし」だったりしますが、
たいがいはパッチかステテコ、これを夏の日常着にしていた時代は、
クーラーもありませんし、夜ともなれば縁台出して、蚊取り線香の煙をまといながら、
うちわでパタパタ将棋指し…なんて風景だったわけです。
帯もしませんから浴衣より涼しい。
「夕涼み よくぞ男に生まれける」は、江戸時代に活躍した其角の句ですが、
甚平にステテコで将棋指し…のほうがまさしく「よくぞ…」ですね。

今の甚平って、なんか小さくて短くてきっちりのパンツまでついて…
涼しく見えないんですよね。本来の甚平を着て、蚊をパチッとかやりながら
将棋さしてるおじさんたち、私が見たのは小学生くらいまでてすかねぇ。

さてさて、着物は暑いか寒いか…実は夏は何を着ても暑いし、冬は何を着ても寒いのです。
ただ、寒さというのは(今暖冬傾向ですし)それはなんとかする方法が手近にある、
ということで、暑いのは、裸になってもどうにもならない…ということです。
着物を着て汗をかきたくなかったら、ずっとクーラーの効いた部屋で、
じぃーーっとしていることですね。

とりあえず、麻は涼しい、これはまちがいありません。
そのおかげで冬に麻を着るときの寒さしのぎに、紙の着物なんぞを羽織ったりしたのですから。
ひとつ何かが生まれると、それにあわせてまた何かが生まれる…。
洋服の歴史はそれはそれで、500年1000年の歴史があるものでしょうが、
「日本での」洋服の歴史は、まだ始まって150年くらいのものなわけです。
比べて着物は「この国で」1000年の歴史があるのです。
決まりごとに縛られることがいいことだとは思いませんが、
今着ているゆかたが、このカタチに、この素材に、この着方になるまでには、
とてもたくさんの先人たちの、とてもたくさんの積み重ねがあるのだということは、
感じてほしいですね。

明日は「涼しくする工夫」なんてこともかいてみましょうか。

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11 コメント

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Unknown (ぼん吉)
2010-07-21 03:41:09
ぼん吉が子供の頃にもいました。越中一つで夕涼みするおじいさん。
さらに実家は漁師町なので、銭湯の行き帰り越中一つで堂々と
国道の歩道を歩いているおじいさんまで。
今ぢゃ考えられない光景ですよね。

ああ、自分がいつの時代の子供なのかわかんなくなってきそうだ。。。
(現在40台半ばですよっ、くれぐれも。)
返信する
Unknown (とんぼ)
2010-07-20 23:11:24
ぼん吉様

その、たこ糸で…というのが本来のものです。
身頃もぶかぶかです。今のじんべさんより
ずっと涼しいはずですよ。
私が子供のころって、おじいさんが
越中ふんどししてたり…まだいましたよ。
じんべの前をちゃんとしめなさいと、
おかみさんに叱られたりしてましたね。
懐かしい風景です。
返信する
膝上丈の甚平 (ぼん吉)
2010-07-20 04:24:24
そういえばそんなのもありましたね。
以前は「暮らしの衣料品」みたいなお店で
膝上丈の甚平(パンツなし)って売っていました。
あまりはやらなかったのか、いつの間にか店頭から消えてましたが、
本来の甚平は、その長いヤツのことを言うんですね。
かなり涼しそうです。とりあえず一着欲しいですね。

ただその甚平って、両脇はタコ糸で網状につないであるだけですから、
思いっきり下着が見えそうです。
ふんどし一枚の上に着たら、かなり涼しそうですが、
外は歩けませんねぇ。。。
返信する
Unknown (とんぼ)
2010-07-09 21:00:17
ちっく様

ちょっと離れて写したせいでしょうか。
実際には「あ、ゆかただ」という感じです。

いろんなものの変化はしかたのないことですが、
よさが理解されないまま、ただ古いからと、
消されてゆくのは寂しいですね。

ゆかた、さらりと着てみてください。
帯がめんどうなら、子供のようにあげをして、
紐つけたっていいんですよ。
家の中ならそれでも十分です。
返信する
Unknown (とんぼ)
2010-07-09 20:56:08
こいけ様

こちらこそ、拙い記事をお褒めいただいて。
ありがとうございます。

木綿関係の本を読むと、北国の大変さが
いろいろ書かれています。
マッチほどしかないハギレを
次々糸を通して、ひものようにしたものを、
またぐるぐるとつないだものが
ふとんであった…なんて記事もよみました。
どれだけ木綿が貴重だったかわかります。
この展示は、ほんとに拝見したいですね。
森南海子さんの本にも、このなかの「どんじゃ」、
女史の本では「ドンザ」と紹介されています。
モノクロの写真なのに、その圧倒的な存在感に
ため息ついてみていました。
人の知恵とか思いというものは、形にすると、
何よりも説得力がありますね。
よいものをご紹介していただきまして、
ありがとうございました。
返信する
Unknown (とんぼ)
2010-07-09 20:46:10
akkomam様

父も、夕方になるとゆかた、冬はどてら…。
懐かしいですね。
昔は暑さもそういうものだと思っていましたし、
一日に何回も着替えるのもありましたね。
こまめにすることが多かったように思います。

衣服に限らず、今はなんでもカンタンで
はやいものがいいとされます。
手間をかけたらかけただけのことが
あるとおもうんですけどね。

古い家は、なんとなくひんやりしていた気がします。
今の言えば南側に家が近くて、陽がささなくて
涼しい?
なんだかなーです。
返信する
Unknown (とんぼ)
2010-07-09 20:40:32
陽花様

私には手は珍しい色ですね。
浴衣はすでに着られないものも入れて、
8枚くらいでしょうか。
いつのまにかたまりましたね。
古いのは「あっぱっぱ」…にしていですー。

シュミーズ、私も買おうと思います。
夏じゃなくてもきられますもんね。
返信する
読みごたえがありました (ちっく)
2010-07-09 20:22:00
冒頭の浴衣、わたしも薄物の着物みたいだな~と
思いました。
それにしても、なくなっていくもの というコメントが一抹の寂しさを感じさせて
ちょっと先日のレスは悲しさをまとっているような・・・
 木綿の浴衣、お風呂上りにまとってみようと思います。今身の回りがあわただしく落ち着かないので
着物をきる余裕も無いのですが、湯上りの浴衣なら本来の意味どおり♪

帯を探してこなけりゃなりませんが、なければ
手ぬぐいでもスカーフでも良いですもんね^^

返信する
BORO (こいけ)
2010-07-09 14:16:59
いつもいいお話をありがとうございます。

東北北部では木綿が育たず、明治になっても庶民の着物は麻で、防寒のためにこぎんや刺し子の技術が発達したそうです。浅草でそうした麻の着物、田中忠三郎さんのコレクション、BOROが展示されています。
http://www.amusemuseum.com/boro/index.html
返信する
麻には思い出が...。 (akkomam)
2010-07-09 08:28:42
 私が知っている祖父、祖母、父、母、義父、義母は
 皆んな麻を着ている時代の人でしたので、
 季節がくると、麻のスーツ、麻のハンカチーフ、などと
 きちっと衣更えをしていましたし、家では麻と木綿の
 着物を着わけていました。

 私も夏は刺繍のある麻のブラウスなどを着ていましたっけ。
 ただ、シワになるのが<それがいいのよ>といわれても
 気になって仕方なく、アイロンをかけていた記憶があります。

 父や義父の夏の麻スーツが帰宅すると鴨居にハンガーで
 吊るされているのが夏の風景のひとつだったのです。

 祖母などは、一日に何回か着替え、夕食には必ず
 その日に見なかった浴衣を着ていた印象があります。
 祖父は海外を知っている人でしたが、家では着物姿、
 結婚したてのときの主人も帰ってくると着物に着替えて、
 夏は浴衣を一緒に楽しみましたが、子どもが生まれて
 からは、もっぱらワンピースにかわりました。

 育ったころからみますと、家が建て込んできて、
 クーラーの熱やら温暖化やらで、夏の夜でも気温が
 下がらず、手入れの大変な浴衣は日常着にはそぐわなく
 なったのか...、働いている人が女性でも多くなったので
 気がまわらなくなったのか、時代の流れは<人>が
 つくるものですが、とんぼさんの文章を読むたびに、
 自国の文化を知る!ことで豊かな気持ちになれることを
 知ってほしいと思いました。

 言葉としては忘れてしまいましたが
 よく両親が<家は夏向きに>と言っていました。
 建てるときの基本のように聞こえていましたが、
 マンション暮らしは求めるときにはベランダ、リビングの
 方向を気にしましたが...、理想とはいきませんね。
返信する
Unknown (陽花)
2010-07-08 23:11:50
浴衣っていうより、上品な着物の
感じがします。
それにしても、とんぼ様は浴衣を何枚
お持ちなのかしら・・と思います。

何に対しても精通しておられ、詳しく
教えて頂けるの有難いです。
シューミーズの件、ありがとうございました。

返信する

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