先日9月13日の「男物襦袢・文明開化」ですが、シルエットの橋は「二重橋ではなく日本橋ではないか」
というコメントを頂きました。
やっぱりそうだよねぇ・・・というより「東海道五十三次」の「箱根」と「三条大橋」があるのだから、
当然「日本橋」で、明治になってあの石の橋ができたから、新しい「日本橋」で「文明開化」…。
それが一番自然な流れだよねぇと…改めて思いました。
はい、調べました、というより、調べずとも写真1枚で確認できました。
「上のガス灯」のカタチが「日本橋」です。
従いまして、あれは「皇居・二重橋」ではなく「日本橋」であったと訂正してお詫びします。
なんかニュース原稿のマチガイみたいですみません。
なんで「二重橋」と思ったか、いえ私もどっちだろ、とは考えたんですよ。
あの下の方の「伊勢講」の宿場表。あれが「三条基点」で書いてあったんですね。
それと伊勢の内宮印もある(ということはお参りしたよ、ということです)もので、
三条から江戸(東京)へ向いての宿場表でしたから、私は関西の人がお伊勢参りをして、
東京(皇居)を目指したのかなと、そう考えたわけです。
お伊勢さんは皇室とかかわりの深い神宮ですし、明治維新によって、
天皇は1000年住んだ京都から江戸に行ってしまわれたわけです。
だから、関西の人が、京都から逆にたどって今の天皇のお住まい「皇居」にいったのかなぁと思いました。
元々、五十三次モノは、江戸が基点で「品川、川崎、神奈川…」と、のぼっていきますから
「三条がはじめ」というのにに惑わされました。これを最初にデザインした人は、京都のひとだったのでしょうねぇ。
たとえ天皇が東京行かはっても、こっちがご実家や!の心意気?
でも結局私の考えすぎ…というより下手な考え休むに似たりの典型…写真をよく見ればわかったんです。
元々日本橋と二重橋って、カタチがよく似ているんですね。
それで記事を書く前に、一応画像検索で両方見たんですが、私が見たのは下のアーチと手すりてだけ…。
肝心のガス灯部分は、アタマから似たようなもんだ…と見落としました。おまけに背景も。
ちなみに、皇居二重橋のガス灯は、下の方が数が多くなって下がるカタチです。ぜんぜん違うやん…。
というわけで、二重橋ではなく「日本橋」でした。
後ろの景色も、皇居ならこの位置では城の一部のような建物」が見えることも確認。
この絵はどうみたってビルですもん。何回目かの大ドジです。申し訳ありません。
ただ、現代と過去のコラボ…というようなシルエット使いの絵の面白さは、変わらないと思います。
また脱線しますが、私これを「二重橋」と書いているときに
京都の人たちって天皇が江戸に行ってしまうことになったとき、どんな気持ちだったんだろう…と思っていました。
確かに大政奉還で、それまでないがしろにされていた朝廷に政権が戻り、喜ばしいことではあったでしょうが、
そのために帝が京都を離れるということは、タイヘンなことだったと思います。
私の母は京都生まれですが、そのことを聞いたことがあります。
さすがに母も祖母も、そのときリアルタイムで生きていたわけではありませんでしたから、
母が「祖母が子供のころに伝え聞いた話として」…という注釈つきで教えてくれたのですが、
何もいまさら「遷都」しなくても「政(まつりごと)」は京都でやったらいい、つまり「首都」を京都にすればいい、と
そんなことを年寄りたちが言っていたらしいです。帝がいなくなったら京の都が廃れてしまう…と。
確かに、過去「遷都」されてしまった長岡京にしても奈良にしても、寂れてしまった歴史がありますから。
実際、京都には何百年も続く老舗があって「宮中御用達」であったことを、今でも誇りにして、
お店は小さくなっていても看板だけとってある、なんていうお店もありますね。
今や、流通が発達しましたから、今でも皇室に品物を納めたり、関わりを持ったりしているところは
たくさん残っていると思いますが、当時京都にすんでいたという一般市民にしてみたら、
まるで日が落ちてしまうような、たいへんなことだったでしょうね。
それまでは江戸の庶民が「帝のおわす京都見物」と、上洛の旅をしていたものが、
今度は帝の新しい内裏である東京へ旅するものも、確かにいたかもしれないなと。
京都がそのまま首都になっていたら、今の日本はどうなっていたでしょうねぇ。
というわけで、おかん様、またさりげなく「日本橋」と書いてくださったりら様、ありがとうございました。
それにしても…あの日本橋の上の高速道路…無粋だ…。 今更なんともなりませんかねぇ。
いえいえ、その程度で結構なのですよ。
こちらは書いてる立場ですから、
ほうりっぱなしはきになりますので…。
それにしてもと思い出してみましたが、
日本橋に行ったのはもう30年位前。
二重橋にいたっては、40年前ですよ。
東京ってかわらんのねぇ???
余り気にせずにいました。
いかに 適当に読み進めているのか
失礼致しました。